鑑賞から消費へ(映画を早送りで観る人たち/稲田豊史)
すみません、私も映画以外(YouTubeやテレビ)なら早送りで観ることが多いです…しかもそれは、サブスクが登場するよりもずっと前からです…と思いつつ読んだら、私よりやや下のZ世代の心理を深掘りしてあり、知らないことだらけで驚いた。オタク気質の私が自主的に多くを観たいがためにする倍速視聴と、Z世代の彼らのそれはまるで事情が違ったのである。
多くのエンタメが「作品」から「コンテンツ」へ、「鑑賞」から「消費」へと変わってしまった背景には何があったのか?
1 映像作品の供給過多
いうまでもなく、YouTubeや、アマプラ・Netflixに代表されるサブスクによって映像供給メディアは多様化し、増加した。
2 現代人の多忙に端を発するコスパ(タイパ)志向
現代人は24時間LINEで他者と繋がっている。特に若者は「あのドラマを観ないと話についていけない」という状況がLINEの各グループで発生し、とにかく忙しい。
また、「ナンバーワンよりオンリーワン」と歌われた頃から、メジャーに属することからはもはや安心感を得られなくなった。Z世代は「個性がなければサバイブできない」と焦り、強烈な個性をもつオタクに憧れる。オタクに近づくためには量をこなすしかない。だけど、SNSで周囲が見えすぎてしまう。どんなにアニメを観たところで、同世代の自分の上位互換(=オタク)がすぐに見つかってしまう。(「好きなものを好きと言いにくくなった」彼らにとって便利な言葉が「推し」である。)
だから、「体系的に映画を観る」なんてことはせず、観るべき作品のリストを欲しがる。最低限を観ることで、好きと言う権利がコスパよく獲得できるからだ。
※余談だが、これはラノベの読まれ方にも共通していて、ラノベには映画でいうところの監督、つまり書き手にファンがつかない。デビュー作が売れた作家の2作目が全く売れないのはザラ。ラノベ自体がジャンル消費なのである。
3 セリフですべてを説明する映像作品が増えた
本書では鬼滅が例として挙げられているが、私は『すずめの戸締り』を観た時に説明台詞の多さを感じた。(エンタメ業界の人にその話をしたら「新海誠は大きくなりすぎて、マスに寄せていくしかなくなった」というようなことを言われた。)
これほど「わかりやすさ」が求められるようになったのは、幼稚な観客が増えたからではない。幼稚な観客は昔からいたが、見えなかった彼らの意見がSNSによって可視化、民意として拡散されるようになったからだ。結果、製作委員会はそれを無視できなくなった。
以上が、倍速視聴者が増えた3つの理由である。
Z世代(10代後半〜20代前半)の「とにかく失敗したくない」という心理の背景を深掘りした箇所は、アラサーの私にとって「たった10年でこれほど時代が変わってしまったのか…」という驚きの連続だった。
もちろん全員ではないが、彼らの一部にはネタバレ消費という文化が根付いている。映画のネタバレやライブのセットリストを事前に確認し、先のわからないことや想定外の出来事に気持ちがアップダウンすることを避けるのだという。ミレニアル世代が”未体験”に価値を求めるとすると、”追体験”に価値を求めるのがZ世代。ミステリーは犯人がわかったうえで観たいという大学生…何が楽しいの?としか思わないが、実際にそういう層はいる。
心が揺さぶられる状態を避けるメンタリティーでは、「自分が共感できるかどうか」が作品の良し悪しを判断する基準になる。
この世界には自分と全く考えが異なる「他者」がいて、彼らは自分と全く異なる行動原理に従って生きている。その価値観に同意する必要はないが、価値観の存在は認めなければならないし、尊重しなければならない。しかし、向き合い理解することには大きなエネルギーを要するうえ、コスパが悪い。結果、自分の考えを補強してくれる物語や言説だけを求める。
その先にあるのは、他者視点の圧倒的な欠如、他者に対する想像力の喪失だ。彼らは自分と違う感じ方をする人間を安直に「敵認定」する。
肯定する意見だけがほしい彼らにとって、良いことも悪いことも言う評論は意味をもたない。2021年、TikTokで小説を紹介しているけんご氏が1989年刊行の筒井康隆『残像に口紅を』を紹介したところ、11万5千部の増刷がかかった。これに対し評論家とけんご氏がバチバチに対立したのだが、活字離れに喘ぐ出版社がけんご氏を擁護したのは興味深い。
あと、現実問題として、いまの大学生は金と時間がない。
親から下宿生への仕送りから家賃を引いた額は、1990年の7万3800円をピークに下降の一途をたどり、2020年は過去最低の1万8200円を記録した。(私はこの額があまりに衝撃的で、つい親に「私っていくら貰ってたっけ?」と連絡してしまった。)
生活のためにバイトをこなしながら、常にLINEでレスを求められ、人間関係を円滑にするために大量のコンテンツを消費しなければいけない。しかも、慎重にリスクヘッジをしなければ、貴重なお金をドブに捨ててしまう。とにかく余裕がないのである。
私と同世代の人は、Z世代が気の毒に思えてしまわないだろうか?
CDを買ってパソコンに落とし、ケーブルを繋いでiPodに移し、歌詞カードを眺めながら聴く。その工程は面倒くさいしお金もかかるが、確かに心が躍る、ワクワクする時間だった。それを私は豊かな感性の証左と捉えていたが、Z世代の彼らは、そんなことに費やす時間がそもそもないのだ。
大事につくった「間」を無視され、時にはエピソードごと飛ばされてしまう制作者。倍速で観ざるを得ない視聴者。誰も幸せにならない消費文化は、どこへ向かっていくのだろう。