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神は細部に宿る(仕事と人生に効く教養としての映画/伊藤弘了)
映画研究家・批評家の著者が説く「映画の見方」入門のような本。
大学で映画史を教える教授が二人の学生に教えるスタンスで書かれていて、本を読み慣れていない人をターゲットにしました感に満ちていた。つまり、全くビジネス書ではないし、何がどう仕事に効くのかは全然書かれていない。(まあPHPの出す本のタイトルなんてそんなもん)
面白かったのは、著者が大ファンだという小津安二郎作品の解説。
私は「なんかとっつきにくそう」という理由で小津作品を1本も観たことがなかったけれど、『東京物語』のキャプチャを載せながら「この構図のここがすごい!」と具体的に解説されていて、これは観なきゃと思わされた。
それにしても、小津作品のワンシーンが1枚の絵画のように計算し尽くされたものであるということを、初見のコンマ数秒の世界でどれだけの人が気付けるのだろうか。
著者は最後に、鑑賞記録をつけるよう読者に勧めている。
いったい、一切無駄のない人生に生きる価値などあるのでしょうか?
無駄を恐れていたら映画についての文章や、ましてや本などとても書けるものではありません。1本の映画について批評や論文を書いているあいだに少なくとも数本分、下手をしたら数十本の新しい映画を見ることができます。
それでは、なぜ映画について人は文章を書かずにいられないのでしょう。
(略)
「書くこと」「よりよく見ること」は、「よりよく生きる」ことと地続きではないかと思います。私はおそらく、映画をよく見てそれについて書くことが、よりよく生きることにつながると信じているのです。
つい最近読んだ村上春樹の『ラオスにいったい何があるというんですか?』にも通じるものがあり、私はこの文章に全面的に共感した。
(「よりよく生きる」という表現はやや曖昧だけれども)
映画は本みたいにパラパラと手元で見返すことができないので、まとまった文章で感想を綴ることは、私にとってなかなかハードルが高い。来年の目標として、ここに映画記録をつけてみようかな、とぼんやり思った。