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現実よりも生々しく(送り火/高橋弘希)

父親の転勤で、津軽の田舎町に引っ越してきた中3の歩の物語。過去にも引っ越しを繰り返してきた歩は新しい学校に適応することに慣れていたが、そこは一学年10数人しかいない、廃校危機にある中学校。うち男子は6人で、リーダー格の晃を中心に遊戯と称した過激な虐めが行われていた。器用な歩は晃に気に入られたように見えたが、ある日突然、虐めのターゲットが歩に向かっていく。

歩は津軽の新しい家に引っ越してきた日、1カ月ほど早めに越してきていた父親に連れられ、近くの銭湯に行く。帰り道、コーヒー牛乳を飲みながら、歩と父はこんな会話をする。

「お父さんはもう、職場に新しい友達はできた?」
歩が訊くと、父はなぜかくすくすと笑い、
「大人になるとね、友達になるとか、ならないとか、そういう関係じゃなくなってくるんだよ。」
「それって寂しい?」
すると今度は困ったような微笑みを浮かべた後に、首を傾げて見せた。ときに母が見せる仕草に似ていた。

すべての学校にヒエラルキーは存在する。入学したその日から互いに探り合い、自分と近しい者を見つけて徐々にグループを形成していく。途中でメンバーが脱退したり新しく加入したり分裂したり、微妙に形を変えながら1年が終わると、クラス替えによって強制リセットされる。少なくとも高校を卒業するまでの私の学校生活は、そんな感じだった。

学校と職場の大きな違いの一つが、グループを選ぶ自由の有無であると思う。職場にどんなに反りの合わない人間がいようとも、そこを抜け出して別のグループに勝手に入るという選択肢はなく、希望を伝えることはできても、必ず叶うわけではない。本当に抜け出したければ、自ら会社を去るしかない。学生と違い「これも給料のうち」と割り切る手もあるが、心はそれほど従順ではない。
男子が6人しかいないこの学校は、そんな大人の世界によく似ている。冒頭の父と歩の会話が、それを象徴しているように思った。

あらすじだけ追えば、ある田舎町で陰湿ないじめがあった、というだけの短く普遍的な物語だ。しかしこの作者の描写は現実よりも生々しく、描かれていないはずの匂いや湿度までもが伝わってくるようだった。文庫版には表題作『送り火』のほか2編の短編が収録されているが、過剰なまでのリアリティは全編に通じていた。
グロテスクなシーンが度々出てくるので苦手な人もいるかも知れないが、静かな部屋で没頭して読んでみてほしい。

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