人間のフリをした悪魔(フォン・ノイマンの哲学/高橋昌一郎)
20世紀を代表する天才のひとり、ジョン・フォン・ノイマン。
出身はハンガリーのブダペスト。数学における「集合論」と物理学における「量子論」の進展に貢献、「コンピューター」と「ゲーム理論」、「天気予報」の生みの親であり、原子爆弾を開発する「マンハッタン計画」の科学者集団の中心人物のひとりでもあった。
ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」だ。
つまり、表面的には柔和で人当たりの良い天才科学者でありながら、内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学である。
(マッドサイエンティストの代表と見做されているノイマンは、映画『博士の異常な愛情』のモデルにもなっている。)
そんなノイマンがひどく狼狽えた夜があった。
彼が41歳で「爆縮」設計を完了した頃の出来事だ。最終的に原爆が完成すると何が起こるかを予見したのであろう彼は、妻クララにこう言った。
また、ノイマンは、非人道的兵器を開発する罪悪感に苛まれていた若い物理学者リチャード・ファインマンに対して、「我々が今生きている世界に責任をもつ必要はない」と断言したという。
このエピソードが、ノイマンが唯一「人間らしさ」を見せた瞬間とされているのだけど、私はこの本に書かれたノイマンの生涯を読んで、正直さほど「やべぇ奴」という印象をもたなかった。
裕福な家庭で生まれ育ち、23歳で大学教授になった根っからの天才。だけど社交性はあり、結婚も2度して子供を儲けている。ただ自分が大好きな科学、そして「考えること」に純粋に取り組んだだけ、その延長にたまたま原爆があっただけ、というような印象を受けた。
だからだろうか。読み終わって強く記憶に残ったのは、2人の妻と娘の話と、「秘書のスカートの中を覗くクセがあった」という、天才の脳に垣間見れた些細なバグの話だった。
最初の結婚は7年で終わったが、離婚の際に妻マリエットが提示した条件は、養育費の支払いに加え「娘は12歳になるまで母親と暮らし、そのあと18歳になるまでは父親と暮らす」というもの。
娘に理由を聞かれたマリエットは、「あなたはフォン・ノイマンの娘だから、彼と一緒に暮らして、彼のことを知らなければならないからよ」と答えたらしい。
(ちなみに現在、この娘もその孫たちも、当たり前にハーバードクラスの大学を出て研究者や医者として活躍している。天才の遺伝子、つよい。)
そして2人目の妻クララは、ノイマンの死後(放射線を浴びたことによる癌が死因)に彼の著作をまとめ、それに携わった別の男性とすぐに再婚したが、数年後に自殺を遂げている。天真爛漫な感じに書かれていた彼女に何があったのかは、分かっていない。
ひとつのハードで複数のソフトを使い分けるという、現在のスマートフォンに通じる発明は、ノイマンによるものだ。彼によって歴史、特に原爆や第二次世界大戦の結末は大きく変えられたわけだが、もしノイマンが終戦後に生まれていたなら、どんな発明をしただろう。
悪魔を悪魔たらしめたものは「時代」だったのでは?と、私は思わずにはいられない。