見出し画像

川を渡らない勇気(奥様はクレイジーフルーツ/柚木麻子)

心がコップのようなものだとして、満たされている状態=水がいっぱいに溜まっている状態を想像するだろうか。
それは半分正しく、半分間違っていて、本当に満たされている状態とは「絶えず水が注がれている状態」を指すのではないかと私は思っている。

この小説では果実をテーマにした各章ごとに、平穏な結婚生活に慣れきった主人公・初子の愛欲にまつわる物語が展開される。

初子には学生来の友人・芽衣子がいる。ふたりともバリバリ仕事をこなすキャリアウーマンだが、その性格はいかにも対照的だ。
初子は子供を望んでいるが夫にその気がなく、浮気のチャンスが訪れる度に心が揺れ動くが、あと一歩を踏み出すことが出来ない。後悔の念に苛まれながらも良からぬ妄想を繰り広げ、自分を誤魔化しながら日々を生きている。
一方で芽衣子は2児の母でありながら、複数の男性と器用に浮気をしてみせる。

やがて初子の芽衣子に対する気持ちには、変化が訪れる。

いつからか、芽衣子にすべてを話せなくなっていた。彼女を好きな気持ちに変わりはないし、自分の人生を卑下するつもりもない。頭ではわかっているが時折、芽衣子が豊かな性生活を匂わせる発言をすると、どうしようもなく胸が波立ってしまうのだ。

何かをしたいと願うことと、それを行動に移すことの間には、深い深い川が流れている。川の向こう側へ行ってしまった人と、心の距離までもが広がってしまった経験。
誰もが身に覚えのあることではないだろうか。

そして表面上は上手く生きているように見える芽衣子だが、二子玉川にある自宅に招き入れた初子にこんな台詞を吐く。

「なんか嫌じゃない、この町。見たでしょ、ホームの広告。いっかにも家族はすばらしい、ママ最高って感じでさあ。時々息が詰まりそうになる。なんでそんな狭い価値観に閉じ込めるんだよって感じ。つい便利な場所だからマンション買ったけど、本当に一生ここでいい子のふりして暮らすのかって思うと、うんざりするよ」

初子はこの言葉を聞いて少しだけ安堵する。
それは「芽衣子にも不満はあるんだ!」という安易な共感ではなく、学生時代のように、他人に言えない感情を共有できたことが嬉しかったから。

これは、ひとりの女性が平穏な生活を守るために、どう自分の欲求と折り合いをつけていったかをコメディータッチで描いた作品であり、言葉を選ばずに言うと、物語の中で大した事件は起きない。
さして守るべきものがない私には具体的な共感ポイントは少なかったものの、親友ともいえる初子と芽衣子の関係性の変化は身に覚えがあり、胸をキュッと掴まれたような気持ちになった。女性同士がライフステージのささやかな変化で関係性に線を引くことは今や当たり前のように語られることだが、そんな単純な話ではないのだ。

いつだって青い隣の芝と、対岸の美しい景色と、どうにか戦いながら工夫して生きる初子。どんな立場にある人も、彼女の行動から少しの勇気がもらえるのではないだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集