ある保育園の職員と親が、必死で大森の海を守った話
まごめ共同保育所がある東京都大田区。23区内でありながら、数多くの公園のほか、多摩川や海、アスレチックや宿泊可能なキャンプ場があったりと、実は遊びの宝庫なのです。
まごめっこ達はもちろん、そんな恵まれた環境をフルに活用して毎日探検を満喫しているわけですが、かつて職員や親達が、この豊かな環境を守ろうと立ち上がったエピソードがあります。
そのエピソードや想いを語り継ぎ、感謝を忘れないようにと毎年5月に開催している行事について、現役母からご紹介します!
「大森の海」に歴史あり
毎年5月に実施されるその名も「大森の海」という行事。休日に職員、親子が城南大橋のたもとに集まり、カニとり競争をし、近くの公園でゲームをし、芝生の広場でお弁当を食べるイベントだ。
「城南大橋のたもと?そんなところでカニとり?」と疑問に思う方もいるだろう。実はこの行事、バックグラウンドには長い年月語り継がれてきた、“まごめの歴史”が隠れている。
みなさんは、かつて大田市場の近く、城南大橋のたもとに自然の干潟があったことをご存知だろうか。
約40年前、今はコンクリートで囲まれて海に降りていく道なんて見当たらない、そんな場所にその干潟はあって、そこはまごめっこの絶好の遊び場だったのだという。当時保育園があった山王から約1時間かけて歩いてやってきて、カニをとり、波と戯れ、東京に残された数少ない自然をパンツ一枚になって満喫していたそうだ。
それが1985年、以前より計画されていた大田市場の建設が本格的になり、それに伴い、子ども達が遊んでいた干潟も消滅することに。
「ぼく達の海がなくなってしまう」
そんな子ども達を見て、いてもたってもいられなくなった当時の親は、干潟の存続を訴える活動に力を合わせた。
そうして開催されたのが「遊ぼう大森の海」と題した写真展。
子どもが干潟で遊ぶ様子を写したたくさんの写真をパネルに展示したその模様は、当時の朝日新聞にも取り上げられ、注目されたそうだ。
12年前に作られたまごめの歴史本には、その当時の親の想いが「おそらく子ども達のためだけではなかっただろう」と綴られていた。仕事終わり、保育園に集まり、毛布で光を遮りながらたくさんの写真を現像していた親達は、内から湧いてくる使命感に熱くなっていたのではないだろうか。
それから37年、まごめっこの親になって12年目になる私だが、その当時の親の気持ちに共感できることがある。現代のまごめでも、問題の対象は変わり大小様々だが、常にチャレンジが生じている。
特に今年はコロナ禍で日常の保育も休日の行事も、はたまた新入園児の募集活動までも例年通りにはできない、という状況だった。でも、それは何かできないだろうか、と親が考えるチャンスでもあった。
報酬をもらう仕事でもなければ完全なプライベートでもなく、誰に強いられるわけでもないけれど、まごめっこの親達が集まってアイデアを出し合い、得意分野を活かして職員と協力してチャレンジに立ち向かう光景は、37年前から変わらず残っていると思う。
今年度の「大森の海」は有志のみ参加という形での開催だったが、干潮になる少し前に集合し、大小のカニを見つけて盛り上がり、波に寄せられてキャッキャして過ごした。しまいには水着になって泳ぐ子どもも。
干潟の姿は37年前とは同じとは言えないが、自然の中で目を輝かせて遊ぶ子どもの姿は今も健在。
今も昔も親が何かをしたいという気持ちになるのは、きっとこの子ども達のキラキラした表情を目の当たりにしているからだろう。
まごめだからできる体験、それによって育つ感性を守っていくため、親ができることはしていこう、そんな想いと行動力をこれからも受け継いでいけたらと思う。歴史がこれからも語り継がれますように。みんなでまた、大森の海に出かけよう。
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