「貧しさループ」を生む『介護職の賃上げ』から抜け出そう
今回はこの記事を見ていきます。
【記事の概要】
・全国の介護職らで組織する労働組合「日本介護クラフトユニオン(NCCU)」は18日の会見で、政府が新たな経済対策で介護職らの賃金を月6000円引き上げる案を検討していると朝日新聞が報じたことを踏まえ、実際にその水準となれば上げ幅が不十分だと問題を提起。
・村上久美子副会長は会見で、
「もともと介護職の賃金は全産業の平均と比べてかなり低い。現在、他産業で賃上げが大きく進むなか介護職は十分に進んでおらず、処遇改善加算などでせっかく縮まりかけていた賃金格差が再び開くことは目に見えている」
と指摘。
・「国が意識を持ってくれるのはありがたいが、6000円ではとてもじゃないが追いつかない。他産業へ人材が流出していく。このままでは介護難民が増え、結果として介護離職も増えていく」と述べた。
・NCCUはこの日、来年度の介護報酬改定での大幅な賃上げ、報酬増などを訴える62万筆超の署名を厚生労働省へ提出した。
【貧しさは加速する】
「介護職の賃上げ」は2022年にも取り組まれ、『介護職員等ベースアップ等支援加算』となって介護報酬から支払われることになりました。
介護報酬である以上その財源は「介護保険料+公費」になりますから、今回の月6000円アップ分も介護保険利用者と国民が受け持つことになります。
言うまでもなく介護職員も「国民」ですから、
①自分たちの賃上げのために、やがて自分たちも税金をより多く納めなくてはならなくなる
②その上、利用者や他の国民にも金銭的負担を掛ける形になる
このような形となり、介護職の賃上げが国頼りである内は貧しさを加速させる結果にしかなりません。
【賃上げを望む理由】
事業収益を介護保険制度に頼る以上、割り当てられた予算を業界内で取り合うことしかできません。
いわゆる「パイの奪い合い」状態で、介護報酬単価の高いサービスを率先して行うよう誘導される形となりますから、介護保険制度に則った運営をする以上は事業の柔軟性を保てず、利用者が本当に必要とするサービスを提供できない事態が起きます。
そうした背景の中で『介護職の賃上げ』を行ったとしても微々たるものにしかならず、「お金を使った割には成果が出ない」という結果になるのは予想が付きます。
そもそも、介護職の給料の問題は
・介護事業者
・介護職員(従業員)
この二つを分けて考えなくてはなりません。
介護事業者が介護職の賃上げを望むのは、人材流出による経営悪化を防ぐためです。
現実問題として「2022年雇用動向調査」では「医療・福祉」産業の入職超過率が0・9%のマイナスとなっていますから、『業界の処遇改善』は死活問題と言えます。
介護職員が賃上げを望むのは
・他業種と比較して年収が低い(相対的評価)
・実務に対しての満足度が低い(主観的評価)
この二つの評価が重なっているからで、
『自分が頑張った証』としてわかりやすい評価を求める心理から「給料」という具体的・実利的な数値を求めるようになった
と見られます。
【給料が低いのは「誰かのせい」?】
こうして見てみれば、介護事業者にしても介護職にしても資金・賃金に対してどこか当事者意識が薄れており、「誰かのせい」と考えている節があります。
本当に資金・賃金が不足しているなら国に賃上げ要求する暇もなく自分たちで賄うように行動するでしょうし、その営みが組織あるいは個人としての自立を促します。
そうではなく介護報酬に頼り切る姿勢は依存体質であり、その体質の為に利用者や国民の負担が増している現状は
「介護職の賃上げは貧しさを生む」
と言っても差し支えないと考えます。
介護職の給料が低いのは、介護保険制度による依存体質に甘んじて改善思案を怠り、生計を立てる手段を独自で持とうとしなかった結果です。
つまり「誰かのせい」である以上に「自分(たち)のせい」であり、この自覚がないまま賃上げを行ったとしても
「まだ足りない」
「桁が違うだろ」
「もっとよこせ」
と、要求が止まることなく『貧しさループ』に嵌るだけです。
自分を満たせるのは自分だけ。
自らの手で現状を打開していく人だけが幸せや豊かさを手にするのであり、その自立した姿勢こそが本来の『福祉』なのです。
【まとめ】自立が福祉を実現する
今回は月6000円の「介護職の賃上げ」についてお話ししてきました。
この記事を読んだ時の第一印象は「性懲りも無く良くやるなぁ」でした。
政府が主導する以上流れは止められないので、渡されるお金は遠慮なく受け取れば良いと思いますが、これを繰り返せば国全体が貧しくなる一方です。
問題の根本は、人々の心の中にはびこる
「誰かのせい(=私は悪くない)」
であり、それを助長させるのが『正しさ』であることに注目した方が良いでしょう。
福祉とは、「人のしあわせ、ゆたかさ」を意味する言葉です。
「介護職の賃上げのために利用者や国民に金銭的負担を掛けさせることが本当に幸せで、豊かなのか」
介護が福祉実践の一手段である以上、この問いを全ての介護職が『職の存在意義』をかけて考える必要があります。
何故なら、この問いを考えることなく国にお金を要求する姿勢は福祉とは真逆の「貧しさ」を生む姿勢であり、職として存在が矛盾してしまうからです。
その矛盾を抱えてしまったら、どれだけ給料が高くとも自分の仕事に誇りを持てず、サービスの質は低下せざるを得なくなります。
質が下がればクレームが生まれ、職場はギクシャクし、辻褄を合わせようと無理を重ねなければなりません。
そうなれば必然的に介護の仕事を続けるのが辛くなり、人は離れていきます。
介護報酬によって介護職の賃上げを狙うのも一時的な措置としては有効かもしれませんが、その代償として自分たちの存在意義を手放すのであれば、得るものよりも失うものの方が遥かに大きいのです。
だからこそ、介護事業者にせよ介護職個人にせよ『独自の収入源』を確保することが急務であり、国の財政に頼り切らない在り方・生き方を築くことが求められます。
介護事業者は従業員がそれらをやりやすくなるよう環境を整えたり、サポートすることで「流出するお金」を抑えることが第一です。
「給料が高いからその施設で働く」
よりも
「働きやすい環境で、自分のやりたいこともサポートしてもらえるから働く」
の方が今は替えが効きにくく、その施設で働く『意味』が強まり、長く働いてもらえるようになります。
そうして人材流出を抑え、またそのような試みをSNS等で宣伝すれば、無駄な出費を抑え、その分を新規事業に回すことができるのです。
また介護職にしても「足りない分は自分で稼ぐ」と意識を切り替えてWワークや複業を率先して行うことで
・お金
・介護分野以外の知識や技術
・見識
を得ることができます。
この中でも特に『見識』が重要で、「介護の常識は社会の非常識」、またその逆を体験することで人間性が多様になり、サービスの質を向上させることになります。
つまり組織であれ個人であれ、「見直し」と「『価値』の創造」はセットで行うこと。
それが巡りめぐって自分たちを豊かにすると実感できれば、介護報酬に左右されない在り方・生き方の中で幸せに、豊かに過ごすことができるでしょう。
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