私がnoteを始める理由。

私は普段、アメブロでブログを書いている。
ハンドメイドが好きで、
元々は、自分が作った作品の記録として
始めてみようと思った。

だけど、ちょうどその時期に推しと出会い、
長年封印していた「推し活」が幕を開けた。

推しの事が好きすぎて、
その熱い想いを日常でアウトプット出来るのは、
アメブロしか無かった。

それと同時に、
私は自分を変えたかった。
子供や自分の為に
ママ友の輪の中からはみ出ないように周りに合わせ、上っ面ばかりの自分でいるのが
もう嫌だった。

私には、本音を吐き出す場所が必要だった。
小さな頃から感じていた事や、
人生の生きづらさやネガティブな想い。
両親に対しての気持ち。
10代の頃の病み期の自分がアウトプットした絵や
文章。

ずっと誰にも言えなかった自分の心の内を
吐き出したかった。

ずっと隠してきた「本音の自分」を
曝け出したかった。

心の奥にずっといた
「私をみて!私の想いを知って!」
と叫び続けていた小さな自分を
いい加減、認めてあげようと思った。

つい先日、私は43歳になったけど、
未だにリアル生活では
うまく自分をアピール出来ない。

「自分は劣っている」という劣等感から
抜け出せない。

実際、他人よりも劣っている部分はたくさんある。

だけど、そんな劣っている自分でも
少しは何か出来てるんじゃないか、
誰かよりも、秀でてる部分が私の中にもあるんじゃないか、

そう思わせてくれたのが、
「アメブロでブログを書く」事だった。

自分は文章を書くのが好きだという自覚はなかった。
ただ、気がつけば、毎日のように書くアメブロが
私の日常の楽しみの一つになっていた。

リアル生活では誰にも言えなかった本音や心の内を吐き出すことは、
確実に「自分」を楽にしてあげる行為で、
かつ、頭の中に散らばっている思考や
苦しいモヤモヤした心の内を言語化する事で
私は自分で自分の心を整える事が出来た。

どうもそーゆー行為は、
「ジャーナリング」という手法らしい。
私はつい最近、その言葉を知った。

そんなジャーナリングと共に
推しを愛でる文章を書き続けていたら、
いつの間にか読んで下さる方が増えていった。

増えたと言っても、数百人レベル。
何千人も何万人もフォロワーさんがいるブロガーさん達の足元にも及ばないけど、
何故かここ数ヶ月で、アクセス数が上がって、
毎日読みに来てくださる読者の方の人数が
100人ほど増えてしまった。

多分、元々アメブロで私のブログを読んで下さっていた方プラス、インターネット検索からたどり着く方々が、増えたんだと思う。
(多分それは、私の推しの「世間からの認知度」が高くなったからかな?って思う。)

そうなるとさ、ちょっと本来の私の目的が
果たしづらい状況になってしまった🤦‍♀️

私が書きたい「推し活」の部分は
いくらでも曝け出してアウトプット出来るんだけど、
もう一つの私が書きたい「本音」の部分が
アメブロでは書きづらくなってしまった。

私が書きたい「本音」や「心の内」は
リアル生活に準ずる事。
私はアメブロでは名前も顔出しもしてるので、
あまりリアルな事を書くと、家族に迷惑がかかる。

だけど、言葉を隠しながら心の内を語るのも
そろそろ限界だなって思った。

だからこそ、誰でも読めるオープンなアメブロではなく、
限られた人しか読めないクローズドなnoteで
私の心の内を吐き出したいと思った。

課金してまでそんな文章を読みたい人は
きっとそんなにいない。
だからこそ、私には都合が良いんです。

自分の本音を吐き出して
自分の心を整えること。
もちろんそれは、自分でノートを買って、好きなペンを使って、好きなように書くのも全然良いと思う。

ただ私は、もうそれを10代の頃にやっていた。
誰にも見られない場所で
1人でこっそり親に隠しながら
それをやっていた。

だけど、私の中にいる小さな私は、
もうそれじゃ満足出来なかったんだろうね。
30代の私が選んだのは、
そのジャーナリングを、誰でも読めるインターネットを利用して行うことだった。
それが私にとっての「怖いはGO!」だった。

40代になった今の私の「怖いはGO!」は、
そのジャーナリングを、売る事。
自分の書いた文章をお金に換えるなんて
今までの私では1ミリも辿り着かなかった事。

だけど、今はそんな事も言ってられない。
今の私の心と人生を大事にする為には
そんな「怖いはGO!」を
やる必要があると思った。


それが、私がnoteを始める理由。




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