遺産争族〜母と姉家族との訣別
争族なんて言葉はもう珍しくもなんともないのだろうが。
5年前、父が骨折で入院して1か月が経った頃、姉からなんの前触れもなく責め立てられた。
「塔子の前の旦那のせいでお父さんの財産が少な過ぎる。どうしてくれるん?」と。
「少な過ぎる」とは、いったい姉は父が幾らくらいの財産があると考えていたのか?と、私は父の財産のことなど考えたこともなかったので呆気にとられた。
確かに、私の元夫は起業してうまくいかず、自営していた私の父に無心に行った。そのお金は返金されることなく私達は離婚したのだが。借りたのは300万円だった。
父に迷惑をかけたことは事実であったので、そのときはどれだけの財産があるのかも聞かず一応謝った。
そして父は退院することなく1か月後にこの世を去ってしまった。
父の通夜も葬儀にも、姉は私に命令や身勝手なことばかり言ってきた。今でも思い出すと泣けるほど悔しくて悲しいので書く気にはなれない。
初七日の日、「現預金と株は全て私が貰う」と言ってきた。少な過ぎると言っていたので、数百万なのかと思い、「どうぞ」と言った。
その数日後「これに実印を突いて」と言い、姉は自分の夫が作成したという「遺産分割協議書」なるものを私に見せた。
実印を突くからには、それにしっかりと目を通さなくてはならない。生前父から言われていた。「実印は命だと思え」と。
が、目を通す以前に、その書類は綴じてもおらず割印も出来ないようなシロモノであった。
中身は更に酷く、肝心の行方が書かれていない遺産があった。もっと言えば、「です、ます」と「だ、である」が混じった文章であった。もっと細かいことを言えば、数字の「,(コンマ)」に「.(ピリオド)」が使われていた。
こんな書類どこも受理出来ないだろうと思い、「実印をどこにしまったか忘れたので2〜3日待ってほしい」と咄嗟に姉に言った。
姉の夫は銀行員だった。銀行員の仕事とはこんなに杜撰でいいものなのか、人のお金を預かる仕事だというのに。そう考えると腹が立ってきた。
それにだ、重要な現預金と株の額に驚いた。数千万あったのだ。
考えたら、父の年収からすると数億あってもおかしくはなかった。姉はそれを見越していたのかもしれない。数千万しかなかったのは株で失敗したのだろう。父と母は株のことでよく喧嘩していた。
けれども借りたのは300万円だ。300万のために数千万を放棄する気にはなれないし、それを強要してくる姉もどうかしていると思った。
だから弁護士に依頼することにしたのだ。強欲になって正気の沙汰ではない人物と、まともに話が出来るとは到底思えなかったからだ。
義兄は姉と結婚するとき、自分が長男であるにも関わらず、私達の父に「養子になりたい」と言ってきたと後からきいた。
それって金目当ての結婚だったってことですよね?
話があちこち行ってしまっているが、弁護士に依頼したところに戻る。
弁護士の先生も義兄が作成した「遺産分割協議書」に首を傾げた。「これは未完成のものですよね?」と。
「いいえ、これに実印を突けと言ってきたのです」
「突きようがないですよね。失礼ですが、本当にお義兄さんは銀行員ですか」
だが義兄は銀行員であることに間違いなかった。出世はしていない。銀行員でも著しく能力の低い人間もいるのだと認めるしかない。
そして弁護士の先生はこうきいてきたのである。
「決着がついた後、お姉さんとはまたこれまで通りにお付き合いされますか?それによってこちらも出方を考えなければいけませんので」
なるほどと思った。私は父の通夜と葬式のときの姉からの仕打ちを思い出し、(たぶんこれを読んでくださってる方の想像の10倍くらいかそれ以上の)怒りと後悔の気持ちを抑えられずにいたので、
「金輪際姉でもなければ妹でもないです。思いっ切りやってください。お願いします」
と即答したのだった。
余談かもしれないが、弁護士の世界では、「血の繋がりほど煩わしいものはない」のだそうだ。
ところで、母は私達が幼少の頃から姉のことばかり気にかけていた。この父の遺産相続についても全面的に姉の味方だった。私にとっては毒親だったのである。それがここにきてハッキリと露呈されたのだ。
だからついでに姉と一緒に訣別したのである。私は母の葬式にも出ないつもりだ。私の子ども達にも言ってある。「お祖母ちゃんが死んでも私に言う必要はないからね」と。
先日父の墓前で姉夫婦に会った。が、言葉を交わすことがなかったのは勿論のこと、目も顔も見てはいない。
お塔婆がなかったので母はまだ生きているのかと薄っすら思った。