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この名と共に、生きること

今朝ふと思いついて、noteをのぞく。
すると、verdeさんのnoteに出会う。

自分の中にありながら、表にあまり出す機会がなかった感情、想いが迸る。
verdeさんにコメしようとした。
とてつもなく長くなりそう。おそらく制限字数も越えてしまうだろう。
そこで急遽、こちらを借り、verdeさんに会って話しているかのような
noteをひとつ綴ることにした。

verdeさん、実は私も、自分の名前が”好き”ではないです。
名前は、「親から子への初めてのプレゼント」とか、
祖先からの結びつきの一つとされ、感謝をもって愛おしむものと
されていますから、わざわざ自分の感じる違和感を公にしませんが。
そう、私も理由がよくわからないんですよ、ただ好きじゃない。
何ていうか。この自分に「しっくりこない」という感じなのかな。

あ、verdeさん、一緒ですね。
私も「男子」であることを期待されて生まれたんですよ。
ただの一度も、両親から直接そう言われたことはないけど。
幼稚園に通っていた頃のある日、
自分が生まれたばかりの写真を見て気づいたんです。おませでしょ。
調度がいわゆる”男の子”の赤ちゃん向けだったんですよ。
おくるみの色とか、ぬいぐるみのデザインとかが、全部ね。

母は慌てて、「次は男の子を生んでも使えるようにってね」と。
全然、フォローになっていない(笑)
それに突っ込めるほど、外向的なコドモでなかったので、
「あ、やっぱりそうなんだ。」と確信を強めちゃいました。
その後、母子手帳の隙間にポロリ、命名時のメモを発見。
10以上はある男の子の名前候補の最後に、ポツンと一つ女の子向けのもの。
え、それがhikariさんの本名ですかって?いや、それが違うし。

私の名前、後に姓名判断してもらったそうですが、
フルネームの「運気」は良くありません。
理由は、「嫁に行くだろうから、名前だけ運気が良ければいいと思って」
だそうです。
名前が良すぎて、嫁にも行かず居座ると困るからと。なんだか微妙でした。

そういえば、父は長男、母はその長男の嫁でした。
そう考えたら、両親はプレッシャーだったのかな。
その父の上の世代の祖父は、視野が広く、
そんなことにこだわる人間ではなかったけど。

大きくなっていくにつれ買ってもらうシャツや上着は、青が多かったです。
下にいる、弟も着れるように。
そういえば自転車もこれにしなさいと、青のホイールや緑色のもの。
「お姉ちゃんだから、弟の〇〇のことも優しくできるよね?」
と言われて、うん、とうなずくばかりのコドモでした。
年少の子供にも使えるようにという気持ちはわかるけど、
年長の子供の選択や気持ちも、大切なのではないかな。
あれ、もしかしたら、弟は「長男」だったから大切だったのかも。

実家に里帰りして、母は私を生んだのです。
お産直後にトラブルが発生して、そこで半死状態に。
偶然が重なり、当時関西にいた父は、同日大怪我をしました。
互いに離れていたのに。私の誕生の日は、父母揃って大変な日でした。
あれ、そう考えたら。
自分が男か女かを期待されていたことなんて、どうでもよいことなのかも。
そんなことがあったのに、その後、私を育ててくれたのですから。

verdeさん、仮死状態であったのにもかかわらず、
この世に生まれてきてくださってありがとう。
そして現在も生きていてくださることに、感謝します。

結局のところ、私の名づけって、誰がしたのかよくわからないんです。
その経過を父母から聞くけど、その度に違う話(笑)
やはりツッコめず、コドモだった私は、確信を深めるばかりでした。
たぶん、なんとなあくで、私を命名したのだろう、と。

同じく私も、高校生のころまで毎年の夏、母の実家で過ごしました。
そうそう、今年の夏は、久しぶりにその街に出かけたんですよ。
海と山と、美味しい水と米野菜に恵まれた、素敵な街なんですよ。
心向いたときに、その旅についても綴ろうと思っています。

私の名前も、かなりクラッシックです。
渡米後に父から「俺は先見の明があった。海外でも馴染む名前だろう。
お前に国際的な人間になってもらおうと思って名付けた」とコメントされ、コケッとなりましたよ。
いやいや~、少なくとも英語圏の人間にとって、
正確に発音しづらい名前のようです。

verdeさん、ほんと名前って不思議ですね。
自分の一生、その後の自分にまでついてまわる存在なんですもの。
渡米後はFirst nameで呼ばれることもあるけど、
仕事などでは、まず呼ばれることないんですものね。
家族内でも、長女の私は「お姉ちゃん」と呼ばれ、
家族の「ママ」と呼ばれるし。

名前って、自分の顔のようですね。
与えられていながら、自分自身では見えないし、
一生私から離れてないってところが。

そういえば、戒名が無いなら無いでの対応もあるようです。
ちなみに、この戒名にもランクがあるのだとか。
いやはや、なんとも名前って、人によっては大変なものですね。

いつかこの体、この存在も、この世から消える。
そう思うと、私の誕生と共に生じたこの名前も、消えるのですね。
スキかキライだとか、こだわらなくてもいいか。
お互い、諸行無常な存在であれば、大切にし合ったほうが幸せかも。
私もなんだか自分の名前に、愛着が湧いてきました。
大切にしようっと。
自分自身と、共に。


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magenta-hikari
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