ホログラフィートークという心理療法を受けてきた。
セッションを受けるまで
私は恐らく小さい頃の家庭環境の影響で、今もすごく苦手な場面というのがある。色々あるが、「夫が飲みに行って帰ってこない状況」というのが代表的だ。一度不安が強くなると、いつも通りに過ごせることはまずない。呼吸が浅くなり、みぞおちのあたりがソワソワしてくる。何に集中することもできず、ただ泣きながら家の中をグルグル歩き回ったりする。
時間の感覚が消失したようになり、過去や未来が想像できない。強烈な不安と腹部の不快感しかこの世を構成する要素はないかのようで、ただただ夫の帰りを待つしかない。我ながら結構ヤバイと思う。
このような内容を通っているカウンセリング施設の担当カウンセラーに伝えると、トラウマに由来するものではなかろうか、ということになった。また趣味でトラウマ治療に関する本を読んでみたら、まさに上記のような状態が例として挙げられており(特に時間感覚の消失)、あぁやっぱりそうなのかな、と思ったりもした。
そこでカウンセラーから提案されたのがホログラフィートークという心理療法だ。私も詳しいことはよくわからないが、以下のような特徴を持つものであると伝えられた。
・自分の中で時計をイメージし、それを巻き戻し、自然に止まったところにいる過去の自分と対話する心理療法であること
・時計を止めることができなければ(向き合う勇気がない場合など)今度にしましょう、といって戻ってきてもいいこと
・つらい過去が出てきてしまっても、そのままにせず前向きな形で終わらせる」というものであること
以前、私はエンプティチェアテクニックという心理療法を受けたことがあるのだが(たくさん用意した誰も座っていない椅子に過去の自分として座り、対話するというもの)その時はカウンセラーとの相性などもあると思うが、とにかく感情を出すだけ出して終わり、という形でとてもキツかった。
揺り戻しが大きく、しばらく具合が悪いような感じだった。
なので新たな心理療法となると身構えるところがあったのだが、上記のように「途中でやめてもいい」「必ずポジティブに終わらせる」というところに興味を持って、受けてみることにしたのだった。
実際のセッションの記録
ホログラフィートークでは、まずその日の問題設定を行うらしい。悩みごとでもいいし、肩こりや体の痛みでもいいそうだ。(まるで心理療法で健康に近づくかのようで、なんかちょっと怪しく聞こえるが)
私は、トラウマ的状況が再現された時に起きる「腹部の不快感」をテーマにすることにした。どのような場合でも、この身体感覚は共通しているからだ。
そこから、目を閉じてカウンセラーが言う通りに対話を始めた。(別に目は閉じなくてもいいかもしれない。私の場合は閉じた方がしっくりきた)まず深呼吸をして、今回の問題である「腹部」に手を当てながら、対話を行う。
カウンセラー(以下カ):腹部の感覚を色に例えるなら、何色ですか?
私:青です。
カ:形はありますか?また、触ることができますか?
私:モヤモヤして、ぶよぶよしています。触ることはできません。
カ:それは、外側からやってきたような感じですか?それともあなたと共にあるような感覚ですか?
私:ずっとここにあったような感じがします。
カ:そのモヤモヤは、何か言おうとしてはしませんか?
私:こわいと言っています。
カ:モヤモヤに、あなたが初めてこわいと思った瞬間に連れて行ってほしいとお願いできますか?
私:こわいから無理だと言っています。
カ:では、その瞬間を思い出すことはできるか聞いてみてもらえますか?
私:思い出せるけどこわいと言っています。
〜この辺りうろ覚え〜
(だが時計を巻き戻すことになる。この間、カウンセラーは無理に過去を想起させたりするような言動はしていない)
カ:時計をイメージしてください。時計の針が過去に向かってグルグルと逆回転していきます。もし、自然に止まる場所があれば教えてください。
私:…
カ:針はなかなか止まりませんか?時間がかかるかもしれません。
私:動きがゆっくりになりましたが、止まりません。
カ:時計は何か言っていますか?
私:泣いている子供の頃のあなたが見えるけど、止まることができないと言っています。
カ:止まることがこわいような感じですか?と聞いてみてください。
私:こわいけど、止まりたいと言っています。
カ:もう少し、時計を待ってみましょうか?
私:……止まりました。
カ:…どんな状況ですか?
私:5歳くらいの自分と母が実家のリビングにいます。母は新聞広告を熱心に読んでいて、私は母に聞いてほしい話があって後ろから話しかけています。でも、母は全然私の話を聞いてくれません。私は母の肩から背中あたりをバンバン叩き、赤い手形ができるほどになりました。
それでも母は私を振り向きません。私は母の背中を見つめてうなだれています。
カ:では、今のあなたが5歳のあなたの側に行って、声をかけてあげてください。心の中でで、いいですよ。
〜ここからまたうろ覚え〜
うろ覚えなので断片的なメモを。
ここから、過去の自分と対話をし、「大丈夫だよ」と伝えてあげる流れになる。「どんな気持ちか?」「母にどうしてほしいのか?」といった対話をするうち、大人である今の自分ならこの子を守ってあげられる、という感覚が生まれる。自分でありながら、他人である子供に相対しているような。
そしてイメージの中の母の背中が遠ざかり、「今の自分がこの子と一緒にいてあげるから別にあの人いなくてもいっか」という感覚になる。一定の安心感が過去の自分と今の自分との間に生まれる。
カ:では、お母さんにもちょっと来てもらいましょう。
こんなに小さな子が話しかけているのに、どうして聞いてあげないの?と言ってやってください。お母さんはどんな反応ですか?
私:疲れてるの。と言ってます。
カ:何に疲れているんでしょうか?
私:おばあちゃんとのことで疲れていると言っています。
カ:いくらそれで疲れていたって、こんなに無視することはないでしょう。聞いてあげてください、ともう一度言ってみてください。
私:とにかく今は無理だと言っています。
カ:お母さんにはおしおきが必要ですね。
今のあなたのそばに、空から大きな光の柱を下ろしてきましょう。そしてその中に、お母さんに入ってもらってください。
私:入ってもらいました。
カ:その光の柱の中に、小さなあなたが感じていた悲しみや辛さといった感情を一つ一つ箱にしまって入れて、空の遠いところへ送りましょう。
そして、お母さんも同じように遠くに行ってもらいましょう。
私:行ってしまいました。
カ:代わりに、お空の向こうから「いいお母さん」に来てもらいましょう。いいお母さんは、小さなあなたがしてほしかったことを何でもしてくれるお母さんです。話を聞いてもらったり、絵本を読んでもらったり、お出かけしたりしてもらいましょう。
〜いいお母さん登場〜
カ:いいお母さんに、さっき聞いてほしかった話を聞いてもらいましょう。小さなあなたはどんな気持ちでしょう?
私:喜んでいます。
カ:じゃあ、思いっきりお母さんと遊びましょう。小さなあなたはどこか行きたいところはあると言っていますか?
私:○○公園に行きたいと言っています。
カ:お母さんに連れて行ってもらいましょう。ピクニックもいいですね、お弁当を持っていきましょうか。お母さんにひとしきり遊んでもらってください。じゅうぶん遊んだと思ったら、教えてください。
〜イメージの中で、公園で遊び、本を読んでもらい、たくさん話を聞いてもらい、母と同じ布団で眠った(この辺りでかなり満たされた気持ちになる)〜
私:じゅうぶんです。
カ:小さなあなたはなんと言っていますか?
私:すごく嬉しい。明日も明後日もお母さんと遊びたいと言っています。
カ:笑顔が見れて、よかったですね。では、さっきのリビングに戻りましょう。小さなあなたの胸に今のあなたが手を当てて、優しい気持ちを送り込みながら、大丈夫だよと声をかけてあげてください。
私:伝えました。
カ:同じように今のあなたにも優しい気持ちを伝えるようにして、声をかけてあげましょう。
私:伝えました。
カ:腹部の不快感は、今はどうですか?
私:消えてなくなりました。今は胸のあたりがあたたかいです。
カ:不快感の消えたお腹に、これから先今の私ができることはありますか?と聞いてみてください。
私:今のあたたかさを意識すること、と言っています。
カ:そうですか。今のあたたかさを意識して、不快ではない状態を保てるといいですね。
3人のいるリビングが、あたたかい光の球に包まれていきます。
あたたかさで満たされたら、今のこの場所に戻ってきましょうか。
〜ここで目を開け、終了〜
セッションの後
この後、カウンセラーと今回のセッションについての感想を軽く話し合い、終了した。普段は50分のところ75分取ってもらっていたけど、トータルで60分程度になった。(カウンセリングの施設によるが、私の場合は少し短めに終わったということで価格も融通してもらえた)
この時カウンセラーに感想として伝えたことは以下のようなこと。
・腹部の不快感とは対極の感覚がある。胸のあたりがあたたかく、とても前向きな気持ちになった。
・過去の自分の味方になってあげる感覚、過去の自分と今の自分の間に信頼関係があるような感覚は、自分が大人になったからこそ生まれたのかもしれない。もっと若い時だったら自分のことで精一杯すぎてこうは思えなかった。「あなた(母)がちゃんと育てないならいっそ私が育てます」という気になった。
また、セッション中の流れに書いてはいないが、自分の身体や心理面に起きたことは以下。
・リビングの場面を想起した辺りから涙がずっと出ていた。特に、自分に寄り添って対話をするところ、「いいお母さん」と一緒に遊んでもらうあたりで激しくなった。(最終的に鼻水が口に入ってくるぐらいズルズルになり逆に集中を欠いた。かといって目は開けたくないので、セッション中にはハンカチを握っておくべきだと学習した)
・小さな自分にかけた言葉→「あなたは今すごく悲しいと思うけど、立派な大人になれるから。今の体験が大きなバネになって、他の人にはないような行動力や人の気持ちを考える心をくれて、素敵な人に囲まれる将来があるよ」
・「いいお母さん」と一緒に遊ぶ段階で、まるで本当にそんな過去があったかのように&今まさに体験しているかのように、胸があたたかい気持ちでいっぱいになった。恨みやないものねだり、虚しさ、「どうせ想像だし」といったネガティブな感情は一切ないのが不思議だった。
・やはり普通にカウンセラーと話すだけでは掘り下げられない部分があって、それはこのように専門的な心理療法でしか対処できないのではないか。という思いが強まった。
このような感想を話すと、カウンセラーは、「良い体験になったようで良かった。あなたが体験したように、ホログラフィートークはカウンセラーではなくクライエント本人が自分の力で過去の自分の傷を癒やすところがポイントなのだ」と言ってくれた。
確かに、カウンセラーは母親に少しの不満を代弁してくれたくらいで、それも過激ではなく、ただそばで見守って導いたというだけだ。
過去の自分に話しかけるのも、カウンセラーに分かるように口に出す必要はないし、始終「あなたが良ければそれでいいんです」というユルい空気が漂っていたのが良かった。
ホログラフィートークの可能性
心理療法というのは得てしてSFチックだったり、スピリチュアルだったり、いつもの日常では到底起きないことを想像の力で起こしながら進める。
だから真面目にやっているはずなのに超シュールで面白い感じになってしまったり、スピリチュアルの度が過ぎて入り込めなかったり、ということがある気がするけど、今回のホログラフィートークはとにかく極端さがなくて良かった。
冒頭で書いたエンプティチェアテクニックでは、その延長で丸めた新聞紙で暴言を吐きながら枕をめちゃくちゃに叩くというのも体験することになり、それが極端で過激で、しかもカウンセラーが勝手に代弁するので、「そこまで思っていないのに…」という自分の心理とのギャップが生まれて本当にキツかった。こうしたデリケートな問題に極端さとか過激さは合わないと感じる。(私の場合は)
セッションが終わって数時間経つが、今も私の心の中は比較的穏やか、というか「自分ってよく生きてきたよな。よく立派な大人になったよな。本当自分ってスゴいわぁ…大好き…」という感覚で満たされている。
そして、セッションの中で想起されたリビングの現場も、辛かった思い出ではあるのだが、「でもその後未来の自分が助けに行って、いいお母さんと遊んでもらえたしなぁ」という、不思議な感覚で上書きされているのだ。
受けたことはないが、EMDRなんかの心理療法では、「右を見た時にトラウマ記憶を想起」し、「左を見た時に安全な現在を自覚」する、という動きを繰り替えして記憶を整理していくらしい。(正確ではないかも)
それで一定の効果が上がるということは、後からでも脳に覚え込ませることで辛かった記憶が無害な記憶に変わっていくこともあるのではないかと思う。今回でいうなら「いいお母さん」で記憶を塗り替え、辛かった記憶たちは箱に入れてどこかへやってしまうというのがポイントなんだろう。
私の経験からすると、魔法のようなできごとは決して起こらない。うまい儲け話がないのと同じように、一瞬にしてトラウマが消えるということはない。きっと今だってトラウマ状況が再現したら、また自分はパニックになってしまう。
でも、もし明日も明後日もリビングで無視された時の記憶が無害なままキープされるとしたら、膨大なエピソードを一つ一つしつこく無害化していくことによって、過去の多くの部分を思い出しても平気なものにできるのではないか?と思い始めている。
同時に、自分のトラウマというのは「何か一つの重大なできごと」ではなく、日常的に起きた些細な出来事がいくつも積み重なってできているのだと感じる。トラウマ本によるところの「複雑性PTSD」に近いのかなぁと思う。
小さなエピソードが積もりに積もって、私の脳は子供時代を「辛かった」と捉えている。もし、一つ一つを無害化することができたとしても、しらみつぶしに手放し、塗り替えていくというのはものすごい作業なのではないか。
それでも、これまで何も手立てがなかった中で唯一ホログラフィートークがその手段になるのなら、やらない手はないと思う。
まだ本当に、わからないけど。
今日はすごい体験をした。とても疲れた。
Lady Gagaの「Born This Way」を聴いて、寝よう。