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心にカサブタができました


遡ること数か月前。

最愛の彼であるT君からの連絡が途絶えたのは、
目がくらむような日差しと、澄んだ空気が気持ちの良い平日だった。

燦燦と輝く太陽に、私は思わず舌打ちをした。
それが妙にいい音を鳴らすものだから、太陽に八つ当たりする自分が恥ずかしくなった。いつか皮と肉をお腹いっぱい食べさせてやりたい。


これはアレだ。
自然消滅を狙った俗に言う 音信不通 というやつだ。

ショックのあまり考えることを放棄した頭の中に、
その事実だけがくっきりと浮かびあがった。


<オンシンフツウ>


無機質で不気味なその言葉が、何度脳内に響いたかわからない。
日中はもちろん深夜夢の中にまで、粘着質に私をついてまわる悪魔のような囁きは夜中のラーメン欲よりも質が悪い。

オンシン フツウ

オン 
シン 
フツウ…

ふ-つう【普通】
[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。
それがあたりまえであること。また、そのさま。


「ちがう、(普通)じゃない。」


悪魔の囁きと格闘すること1ヶ月。
<フツウ>に現実を飲み込みつつある私に、奥底で眠っていた己が悲痛な叫び声を上げた。

突然連絡が取れなくなるというのは、双方の気持ちを確認することもなく、無言で別れを押し付けられるということ。
あんまりだ。
現実を受け入れ意識が日常に引き戻される頃には、年月だけが過ぎていたという「浦島太郎現象」を引き起こしかねない。
この「浦島太郎現象」という事実無根な社会問題は、広く認知されてしかるべきだと思う。
すぐにでも指名手配を要請したいほどに、私は世に潜む竜宮城が憎らしい。



それならT君は私にとっての竜宮城だったのか。
正直よくわからない。

ただ、私の恋愛主義を覆す革命児であったことは間違いない。


幼少期から少女漫画と乙女ゲームをたしなみ、暇さえあれば妄想を膨らませていた私は、いつの間にかロマン溢れる恋愛観をつくり上げていた。

恋にはマニュアルがあり、知り合ってからデートを重ね、手をつなぐあたりで告白を経て恋人に昇格する。
慎重かつ時間をかけすぎないことが大切。順序はきちんと守ること。
付き合うからには常に結婚を意識するし、事実過去のお別れは双方の将来を考えたうえでの結論だった。
ワンナイト・ラブなんて刺激物は口にしない。
欲や打算をそぎ落とし、純粋に想いだけで繋がる美しい絆こそが恋愛だった。

対するT君は少年漫画の主人公のような男で、自己表現の場を持ち努力と根性で人生の夢を叶えていた。
口癖は「できないじゃなくて、やる」。
そんな劇的な人間に出会うのは初めてだった。
華やかで泥臭い夢の世界を堂々と生きるT君の姿は眩しくて、私は尊敬と羨望の眼差しで彼を見上げた。

強くたくましいイメージとは裏腹に、たまに物悲しそうな目をする。
会話の節々に垣間見せる自信の無さそうな姿がギャップとなり、さぞかしモテるだろうと思った。


そんな彼に想いを募らせた末、恋愛過程を飛び越えてしまったことは私の史実に残る大事件となった。
もう会えないだろうと肩を落としたものの、T君から続報の知らせが届いたときは歓喜して、長い過程で頑丈に建てられたはずの恋愛主義の壁はいとも容易く崩壊してしまった。
正式なお付き合いに発展したときは舞い上がり、少し大人になったような気すらした。

「この人と、ずっと一緒にいたい!」

そうか、これが恋だったのか。
めぐり合ってしまったのか。

私の日常はT君で埋め尽くされるようになった。
毎日好きな人と連絡が取れる現実が嬉しくて、いつも夢見心地でいた。

甘酸っぱい充実感で満たされていくほどに、
どうしたら喜んでくれるのか、
面白い話題は何か、
頭が良く見えるように、失敗しないように…
自然とそんなことを考えるようになった。
ずっと一緒にいるために、自分といることに意義を感じて欲しかった。

待ち合わせに向かう山手線で、手足が震えていることに気付いたのは、
付き合いはじめて3回目くらいのデートだったような気がする。

漢字を読み間違えた、駅に向かう道を間違えた…
笑い話で済むような些細な失敗ですら萎縮するようになって、
意識が朦朧とし、記憶がはっきりしない日もあった。
それは不安を通り越して、紛れもなく「恐怖」の類だった。


そんな私の弱さを見抜いたのか、T君の表情から失望の色が浮かぶようになった。
いつ別れを切り出されるのかと怖くてたまらない。
焦れば焦るほど、心はT君に向かっていく。

「ずっと一緒にいられますように」

希望は悲痛な叫びに変わり、気付いたらこっぱずかしい願いを胸にしまって眠るようになった。
身体と心が一致しない現実が、ただ、ひたすらに悲しかった。



忘れもしない、最後のデートは悲惨だった。

映画を見てからご飯を食べた。
何を話してもうまくかみ合わなくて、気まずい雰囲気が流れる。
同じものを見て、感じて、その感想すら満足に共有できないとは。
あまりにも遠く離れてしまった心の距離を目の当たりにしたようで、余計に話せなくなった。

帰り際、わざと「またね」と声をかけてみた。
T君に一瞬困惑の表情が浮かぶ。

「じゃあ、また」

少しだけ迷った挙句、気まずそうに手を振るT君の顔を見たとき、
パリン、と何かが音を立てて割れた気がした。


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恋愛は残酷だ。
甘い夢の世界に見せかけて、その先に最も見たくない現実が待っている。

私は既に竜宮城から現世へと戻ってしまった浦島太郎だ。
竜宮城に足を踏み入れたのは、妄想で日々を食い潰している私自身だった。

今となっては、T君は現世へと送り届けてくれたカメなのだと思っている。
残念ながら玉手箱までは用意してもらえなかった。
突きつけられた等身大の自分と向き合いながら、失った時間を埋めるように歩いていくしかない。

ありふれた原因と結果を結び付けて通りすぎることもできるかもしれない。
それでも私は、T君との恋に意味を持たせてみたいのだ。

今日も私の心は痺れているし、傷は生乾きのようで沁みやすい。
いつかカサブタが固くなって剥がれ落ちる頃には、少しだけ強い皮膚になりたいと思う。

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