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無意識のプロセス 「私」と「私ではない誰か」+ヒトは「脳」の奴隷なの03/01/'25

 今はネットでいろいろと学べる。母語に加え外国語がわかると学べる内容がさらに広がる、ということをこの休み中に納得した。外国語を母語なみに習得するのは自分にはどうやら無理らしい、のだが、英語スペイン語に関しては書いてあることはだいたいわかる、言ってることもまぁ、わからんでもない、自由に話せるかというと自由には話せないが、まぁ、だいたいを伝えることは出来るかもしれない。

 言葉を学ぶ。

 文法と語彙からはじまってさまざまな表現、それをもとに知りたい分野にじりじりと近寄っていく、まぁ、残りの人生さほどないので、近寄るなどということが可能かどうかは別にしろ、ともかく言葉を元手に世界のごく小さな部位に接近し、それについてあれこれ考える。
 あるいは、動く。具体的に社会と交わる。人と接する。
 さらにあれこれ考える。

 ま。そのような願いはあるにしろ、

 とりあえず、
 「暖かい気持ち」「あこがれ」「涙」「切実さ」「怒り」「抱擁」「ときめき」「せつなさ」「憤慨」「焦り」「同情」「尊敬」「祈り」つまりは「感謝」

 を、ほんとうに多くの方々からいだたき、なんとかかんとか生きてきた。それはもう、圧倒的な事実で、
 ひととひとが出会う
 5分も話せば
 ひとはなんらかの印象、感情、つまりは少なからぬ「影響」を相手に与える、与えてしまう。それはほぼ無意識のプロセスだ。
 
 負けず嫌い、というのではなく、
 だれだれと比べて、ではなく、

 「私」が「私ではない誰か」に対し、知らず知らずに及ぼす「影響」が不遜なものでないように、有害なものではないように、可能であればたがいの「共存」あるいは「棲み分け」になんらかのかたちで寄与できるものであるように、

 そんなことを願って地道に無理せずに日々の暮らしを繋いでいこうと、1月3日の朝に考えている。

  昨日のテレビ。木梨憲武氏「でかラケット」最高だったな。卓球台であれ使えないかな、などと考える。いつになったらまともな下回転サーブが出せる?自分。てか、ひさびさだな卓球。足、動かんだろうな。
 1週間に一度は汗をびたびたにかくとカラダにいいらしいぞ。と、脳が思い込んでいる、よってそのようにしよう。
 
 ヒトは「脳」の奴隷なの。

 

 
 
 

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