文学フリマ東京39:新刊冒頭公開:『限界オタクのための自炊オンライン入門マニュアル』(前島賢)
■Prologue 限界オタク、自炊猿人になる
限界オタクと原始自炊鍋
30代中盤の自分は、典型的な「限界オタク」……一般的な社会生活を営むのに必要な基礎的な能力を身に付け損なった人間……あるいはセルフネグレクターと呼ばれるような何かでした。
床は一片たりとも見えず、何かを踏まずに部屋を歩くことは不可能。コンビニ飯や宅配ピザの空き容器があちこちに塔を作る。そんな荒みきったワンルームの惨状から目を逸らすように、モニタとスマホの虹色の輝きの中に没入する。机の隅では、返ってきた健康診断の結果がこのままだと死ぬぞ、と叫んでいましたし、そんなことは、その上に置かれたストロングゼロの空き缶の数を見れば自明でした。
せめて食生活だけでもなんとかしなければ……と、巷で話題のサブウェイダイエットなども始めましたが、20代の頃から15キロは増加した中度肥満の体がいきなりそんなヘルシー食で満足するはずもなく、倍のフットロングサイズを2本3本と頼んでもまだ腹が減る。こんなことでは健康になる前に貯金が耐えられないのは、明らかでした。
やはり自炊しかない。自分が原始的な自炊を始めたのは、主にそのような理由からです。
「原始的」というのは比喩でも何でもなく、自分がやったことは、「水を入れた鍋に塩を入れて食材を茹で、茹でたものをぽん酢で食う……ぽん酢がなければそのまま食う」という本当にプリミティヴなものでした。脳内BGMで「ツァラトゥストラかく語り」を流しながら『2001年宇宙の旅』の冒頭で、初めて「道具」を手にした猿人のごとく、はじめて「火」と「塩」と出会った猿になった気分で毎日それを食っていました。
実は、三十余年の人生の中で、自分は何度か自炊に挑戦してきました。そしてそれに悉く失敗してきたのです。普通にやったら必ず同じことを繰り返す。それは火を見るより明らかでした。自分には普通の「初心者向け」は高度過ぎる。普通の人間にできるコトが、自分には一切できないのは、それまでの経験、というか今までの人生から身に染みてわかっていました。だったら、自分を人間だと思うのはやめよう。自分を人間に進化する前の「何か」と規定し、モノリスに触れた猿が骨を拾うレベルから人間を目指すしかない。そう思ったのです。
だから、猿ができなそうなことは全部排除しました。
猿は炊飯器で米を炊いたりはしない。
猿は野菜の皮とか剥かない。
味噌も醤油も猿は知らない。
箸……箸くらいはよいだろう、枝二本あれば作れるし。
そんな感じです。
結果からみれば、それは正解でした。
それから一年ほど経っても、自分は自炊を続けていました(数ヶ月後にコロナ禍が襲いかかり、近隣の飲食店が休業する中で、自炊を続けざるを得なくなった、という事情も、私にとってはむしろ幸運だったように思います)。
それまでの生活が不健康すぎたというのもあると思いますが、体重は一月に3キロというペースで減っていきましたし、目に見えて体調も良くなってきました。
キッチン周辺から少しずつ「床」が姿を現し始め、部屋の様子も「汚部屋専門業者が必要なレベル」「行政の介入が必要なレベル」から「絶対に女性は呼べない」程度にはなっていました。ガチャとアルコールに消えていた金の一部が、キッチン用品へと注ぎ込まれるようになり、次々と道具を揃えていきました。
この本の表紙の写真は、そういう生活を始めてから約一年後のものです。
キッチンと呼ぶのも憚られるような極小のコンロ周りで自炊をし続けるためにした不毛な労力はいかがでしょうか? どう考えても、さっさとまともなキッチンのある部屋に引っ越すべきでしたが、我々オタクはこういう「性能で劣る旧型量産機にゴテゴテとした強化パーツを付けて最新鋭機と渡り合う(渡り合えるとは言っていない)」みたいな浪漫が大好きなので仕方がありません。
やがてコロナ禍が明け、それから二度ほど引っ越しをしましたが、自炊は続いています。コンロは三口、魚焼きグリルもついています。一週間に一度生協が食材を届けてくれます。ルンバが毎日走れる程度の床があります。3日いっぺんぐらいは食べてはいけないものを食べて止まりますが、それでも床は床です。
それがどうした、人間ならできて当然のことではないかと言われるかもしれません。
しかし、自炊猿人からして見れば、これはモノリスに触れた猿が、数年で宇宙船を建造して木星を目指し始めたレベルのとんでもない「進化」なのです。
何より自分が驚きました。一体自分に何が起きているのか……。そういう「学術的興味」もあって、自分の「進化」の過程をSNSで言語化してみたところ、これが意外に好評で、しかも、「自分もそれを読んで自炊を始めた」という方さえ現れました。
もしかしたら、自分の経験はある程度再現可能な、一般性を持ったノウハウなのかもしれない。ならばいっそ、かつての自分に向けたマニュアル本という形で、自分の知見をまとめて見よう……そう思って書き始めたのが本書です。
限界オタクの限界
というわけで本書はタイトルにもあるように「限界オタク」向けの「自炊本」です。
以上。
……で終わらせてもよいのですが、こういうライフハック本というのは、対象読者に向けて、なぜこの本の内容を必要があるのかを、社会情勢とか歴史的必然とか、なるべくデカいことと絡めて語り、それをもって筆者の筆力……というか説得力というかトンチ力というかを読者に示す、というジャンルのお作法があります。私は様式美というのは特別な理由がない限り尊重すべきであり、魔法少女の変身バンクも、サンライズパースで主役メカが必殺ソードを構えるのも大好きなオタクですから、これに習うこととします。
現在、私たちを取り巻く生活環境は、悪化の一途を辿っています。
年々深刻化する異常気象と不安定化する国際情勢、そして人手不足という形でいよいよ顕在化し始めた少子高齢化社会の弊害。それらはまずインフレ……あらゆる商品・サービスの値上がりという形を持って、私たちの生活を脅かし始めました。
私たちのせめてもの生きる支えであったオタク活動……コンテンツ消費もまた、推し活の美名のうちに、巧妙に、じわじわと、そして、確実に課金圧力を高め、もう一方の側から私たちの生活を圧迫するものとなろうとしています。
かかる事態にあって、多くの方々が節約……生活コストの圧縮を意識し始めているのではないかと思います。
そうした時に真っ先に対象となるのが食費だと思います。
しかし、ここには大きな罠が潜んでいます。
考えもなしに食費を切詰めた場合、それはまず確実に栄養バランスの崩壊を招きます。
現在の経済状況が続くのなら……労働者の可処分所得が上がらず、しかし原材料のみが高騰していく中で、企業が売上の維持=価格の維持を試みようとすれば後は、コストカットしかありません。
安価でありながら人間という種が強く求めるよう、生物的特性として刻まれた食材……米や小麦や砂糖といった炭水化物や油を大量に用いて、逆に高価な精肉や生鮮食品の使用を抑えればそれは可能ですが、そのしわ寄せは消費者に来ます。
そのような栄養の偏った……いささか強い言葉を使えばジャンクな食事を続ければ、それは長期的には間違いなく、あなたの健康を損ないます。
節約のために、食費を減らした結果、やがてそれは生活習慣病として顕現し、結果として医療費が増大する。そんな結果になっては本末転倒も甚だしい。ましてや、国民皆保険制度の疲弊が指摘され、社会保障制度の削減が叫ばれる中、一度健康を崩した場合の我々の負担は、おそらく今よりずっと重い物になっていくでしょう。
つまるところ、我々は異常気象と情勢不安と少子高齢化を原因とする給料の上がらないインフレの中で、IdecoとNISAで老後資産を貯めつつ生活するためには、生活費を削らねばならず、しかし不健康になることも許されない、というという極めて高難易度のムリゲーを迫られようとしてます。
我々限界オタクの「不健康で不摂生な、明日をも知れぬ……明日のことなど考えなくても済むようなオタクライフ」が、それを支えてきた消費社会と社会保障ごと、静かに限界を迎えようとしているのではないか……と私は感じています。
私はオタクライフが好きです。できればその人生の最後の瞬間までオタクコンテンツに囲まれて生きていきたい。しかし、豊かなコンテンツが生まれるには、豊かな才能が必要であり、豊かな才能を集めるには市場が……つまり十分な可処分所得を持った健康な消費者が大量に必要です。しかし一体、どれだけのオタクが、前述の無理ゲーを突破して、私の寿命が尽きる二十年三十年四十年先まで残って、あるいは新しく生まれてくれるのか……私は、結構本気でそれを疑問視しています。
「自炊のノウハウ」は私が、私が私の愛するオタクコンテンツを維持するために――オタクコンテンツの消費者である皆さんに、高インフレ下でもオタクコンテンツに課金し続けるだけの可処分所得と健康を確保してもらうために、現在、私が提供できる、ほとんど唯一のものです。
自炊は、節約と健康を同時に無理なく達成できる、そして多くの人が実践できる、極めて強力で普遍的な手段です。
今まで不健康な生活を続けてきた……生活が破綻していた限界オタクであればあるほど、その効果は高く、劇的とも言えるほどの変化をあなたにもたらすはずです(少なくとも私にとってはそうでした)。
どうか私がその人生の最後までオタクライフを生きられるように、限界オタクの皆さんもまた健康で文化的な生活を維持し、オタクコンテンツに課金し続けてほしい。
本書は、そんな意図から、私の同類であるあなたに向けた自炊本です。
私という限界オタク
改めてライフハック本としての本書の出発点となった……そして本書のターゲットのモデルケースである、自分という人間について自己紹介させていただきます。
自分の名前は前島賢、1982年生まれ、現在42歳の中年限界オタクです。本名の他に、大樹連司というペンネームで活動しています。
普段は専ら物書きとか文筆業を名乗っています。
今までやった仕事は、雑誌ライター、編集アルバイト、書評家、評論家、DTPオペレーター、ライトノベル作家、ゲームシナリオライター、アニメ脚本家などがあります。半年ほど前までゲーム会社の社員をしておりましたが、今年の春に自営業に戻りました。口先とそれを文字に起こす能力だけは達者だったもので、それだけを頼りに上手いこと業界の末席に転がり込みましたが、今日までイマイチ大成できず、あらゆるすべてが中途半端なまま、職を転々としつつ40代の今も自分探しをしているような男だと考えてください。
自分はとにかく目新しいこと、目新しい仕事には秒で飛びつく一方で、ひとつの分野をコツコツと極めたり、何年もかけて大作をものにするといったことが本当にできません。いわゆる、社会人になっても夏休みの8月31日がずっと続いているタイプの人間です。
長編小説ですら、締切を過ぎた後に慌てて手をつけて、編集部に缶詰になって書き上げる……というような、編集者や印刷所の方々に多大な迷惑をおかけすることばかりを繰り返してきました。
毎日、淡々と、規則的に、効率的に、同じことを繰り返す、という能力がすっかり欠如している。これは自炊をはじめ掃除洗濯といったあらゆる家事、生活環境の維持に必要なすべてが悉くできないということを意味します。
できないし、やりたくない。だからやらないで、これまで住んだ全ての場所を一瞬で汚部屋にし、それを免れたテレビとスマホとPCモニタの中に没入して生きてきました。限界オタクになるべくして為ったというか、ナチュラルボーン限界オタクというか、人類の中で、自炊に最も向いていない部類の人間だと思います。
なお、一年半ほど前に、発達障害(ADHD)の診断を受けました。古くからの知人には、「まだ診断が出ていなかったのか」「なんでもっと早く病院に行かなかったんだ」と呆れられるぐらい「典型的」な症状を発していたようです。
ともかくも、本書は、そういう属性の人間にむけたノウハウ本でして、初歩の初歩のさらに一歩手前、普通の自炊本が「常識」「誰でも知っていること」として意識さえせずにすっ飛ばしてしまっている部分にこそフォーカスすることを目指しています。そのため、程度家事や自炊ができている人にはまったくもって無用の代物だと思います(そこからか!? そこから説明しないとダメか!? という、人間の「多様性」を知る面白さはあるかもしれませんが)。
「料理」にまつわる諸要所……例えば美味しさとか見た目の美しさとか……についても、ほぼすべて切り捨て、生存に必要な栄養を安価に摂取すること、に特化しています。私も私の同類も、自炊についてはそれ以外基本的に求めていない人種だからです。
くわえて、基本的に一人用……自分一人に向けてご飯を作り、自分一人で食うための方法以外は書かれていません。筆者は、家族などというものを持ったことがなく、「誰かの為に飯を作る」という経験が一切ないためです。その点も、どうかご了承ください。
とにかくキムチ鍋をつくれ
さて、長々と書いてきましたが、さっさと本題に入れ、という方も多いと思います。
そこに本書の内容を端的にまとめます。
これから毎日キムチ鍋を作って下さい。
とりあえずページをめくって……そこから一段組になっていると思うのでわかりやすいはずです……に、黄金頭さんという方が書かれたキムチ鍋のレシピが載っていますから、これの通りにやってください。本をめくるのさえ面倒臭いなら、お手元のスマホで「黄金頭 キムチ鍋」と検索していただいても結構です。
こちらの記事は元々、黄金頭さんがご自身のブログである「関内関外日記」に投稿されたものです。私の知る限り、我々のような「限界オタク」が何を作るべきかが、最も端的にまとまった文章であり、これより優れた「最初のレシピ」が書ける気がまったくしなかったので、今回、掲載をお願いしました。
黄金頭さん、ありがとうございます。
なので、この通りにキムチ鍋を作って下さい。
え? 今はもう夏だ? キムチは食べれない? ご安心ください。そのために、同じぐらい優れたレシピである「お好み焼き」と「蒸し野菜」のレシピを、こちらは後半の方に掲載させて頂いて下ります。
とにかくあなたはキムチ鍋を、それに飽きるか季節的に無理だったら、お好み焼きか蒸し野菜を作って下さい。そしてさらにそれにも飽きるか季節が巡るかしたらもう一度キムチ鍋を作って下さい。その頃には、あなたは、自炊に必要な全てが身についているはずです。
以上がこの本の内容です。
え? それで済むなら残りのページは何の為にあるのかと疑問に思った方もいらっしゃると思います――君のような勘の良いガキは嫌いだよ。
ではなくて。
世の中には二種類のタイプがいます。「いいからとにかく言うとおりにやれ」と言われてやれてしまうタイプと、自分が命じられたタスクが、どのような意味を持つのか、なぜ私はそれを実践する必要があるのかを一から十まで説明し、完全に納得がいってからではないと、なにひとつ、手をつける気にならない、というタイプです。実はオタクにはわりと後者が多い。かくいう自分も、そういうタイプなところがあります。
本書の残りは、そういう方に向けた「なぜあなたはキムチ鍋を作るべきなのか」についての説明です。そういうの、別に要らない、というか面倒臭い、という方は是非、スーパーに走ってキムチの素と液体味噌と白菜とを買い求めて、自炊を始めて下さい。発酵食品はわりと待ってくれますが、善を急ぐに越したことはありません。
そうでない方のみ、以降の長話にお付き合いください。
ただし、どうか御覚悟を。
ご存じかと思いますが、オタクの話は長いですし、かてて加えて、私は自炊について語りたいことが一杯あるのです。
今北産業
検索
黄金頭
キムチ鍋
■Stage 01 あなた(私)の自炊が終わるまで
限界自炊初心者の顛末
さて、まず最初に、本書がターゲットとする限界オタク……私やあなたが自炊を始めた時に起こる、ひとつの典型を描写してみることにします。
健康のため自炊をしよう、そう考えたあなたは何をするか。
ありがちなのは、初心者向けと題したレシピ本を買ってくる、あるいは初心者向けと称する「バズレシピ」を検索することでしょうか。
本をめくるか検索結果を眺めるかして、そうですね、野菜炒めあたりを作ることにしたとしましょう。
スーパーに行ったあなたは(あるいはなんでも売っているはずのコンビニには、しかし基本生肉生野菜は売っていないと気付くことから始まるかもしれませんが)、そこで初めて「一人分の分量を買う」ことの困難さに気付きます。ピーマンやニンジンの「半分」は基本的に売っていません。あるいはレシピの単位はグラム表記かも知れませんが、キャベツの量り売りなんてしてる店はありません。あるいは豚バラ肉なんて時間によっては普通に売り切れています。さて豚ロースと、牛バラと、豚レバ。残った商品の中で一番豚バラに近いのはどれでしょう。豚だし字が似てるし、豚レバが一番近い気がしますがあなたはどう思いますか。
そんな感じの難題の前に、あなたはヘトヘトになりつつもなんとか買い物を負え、初めての料理に挑もうとします。レシピには書かれていませんが、料理をするには、フライパンとまな板と包丁が必要だと気付くのはこのタイミングです。もう一度買いに行きましょう。あるいはそのトラップを回避しても「どこの家庭にも普通は常備してあるから」などという理由で省かれていた食用油と塩と胡椒なる代物が突然ポップしてきますから、買い物からは逃れられません。さあIH対応フライパンの前で、自分のキッチンがガスでないのは確かだが、さりとてIHなのかどうなのか悩んだり、あるいはサラダ油とごま油とエゴマ油とオリーブオイルのどれが食用油なのかで悩みましょう。もしかしたら絶対に火にかけてはいけない種類のフライパンや油があり、選択を間違うと大爆発してしまうかも知れません。
そうした七転八倒を乗り越え、奇跡的にバズ野菜炒めを作れた、あるいはバズ野菜炒め塩・胡椒・ごま油のどれかもしくは全てが抜けた何かを作れたとしましょう。
おめでとうございます。自炊一日目はこれで終わりです。
自炊には二日目がある
一日目。そう。これは終わりではありません。終わりの始まりでもない。残念ながら、始まりの終わりでもありません。何も終わっちゃいない、何も。
あなたの人生はまだまだ続きますし、続く限りあなたは飯を食う必要があります。控えめに30年と見積もっても、あなたはあと1万日、3万食分自炊する必要があるのです。
さて、次はどうしましょう?
あなたの冷蔵庫には使い切れなかった食材が残っています。それもちょうど全部が1/2などということはなく……であればもう一食作るだけですみますが……、キャベツは丸々3/4、ニンジンは半分、肉は使い切ってゼロ、そういういかにも不揃いな残り方をしているはずです。
自炊の難易度は2回目から突然の急上昇を始めます。最初の一日は、ネットレシピなり料理本なりから「作りたいものを作る」でよかったメニューの決定に、いきなり「冷蔵庫の中身と相談して」という縛りが入るのです。そして、縛りは、しばらくは厳しくなる一方です。2食目のメニューを1食目の残りと勘案して決断したように、3食目は1食目と2食目の食材の残りを勘案しなければならず、4食目は、さらに1食目と2食目と3食目を……と、基本的には、冷蔵庫が一度空になるまで難易度はうなぎ登りに上昇を続けます。はい、1食目の野菜炒めと、2食目のチャーハン、3食目のゴーヤチャンプルーの残りであなたは何を作ったらいいと思いますか? 頑張ってネットを検索したり料理本をめくったりしましょう。
有機物は腐敗を免れない
あるいはあなたは、4食目のメニューに卵焼きを作ろうとして見事に失敗してスクランブルエッグにし、「俺は卵焼きさえ作れないのか」と深く心に傷を負っているかも知れません。さらに次の日は、帰り際に想定外の飲み会が入ったりして、自炊を休んだりするかもしれません。次の日、二日酔いでウッカリ寝坊してしまったあなたは、燃えるゴミを出し逃してしまい、数日分の自炊で溜まった生ゴミと数日暮らすことを余儀なくされます。昨日、卵焼きの失敗にこりたあなたは、あろうことか朝にアジの干物を焼いてしまっていたのです……。キッチンとリビングが区切られていないワンルームで、焼き魚の残りやその他の残飯と暮らすとどうなるか、あなたは身を以て思い知ることになります。夏場ならそろそろ小バエも湧いているでしょう。
さあ、一日の仕事が、あるいは学業が終わりました。自炊の時間です。冷蔵庫の中の食材を思い出しながら、スーパーでメニューと食材を選ぶ高難易度パズルゲーを楽しみ、しかる後、家に帰って小バエの沸いたシンクに溜まった食器を洗い、それから自炊をしましょう。仕方ありません。人間は飯を食わねば死んでしまいます。今日も、明日も、明後日も、とにかく自炊を続けなければなりません。
……本当に?
暗澹となった貴方の視界の端に、見慣れた看板がよぎります……。
ゲームオーバー
気がつけばあなたは、あなたの魂の故郷である牛丼屋の殺伐としたカウンターに座り、慣れた様子で牛丼大盛りを頼んでいました。
生卵に、サラダ。豚汁。十分に健康的な飯が1000円も出せば手に入り、しかも片付けも必要ない。納豆を頼もうが牛シャケ家定食を頼もうが、残った残飯が不快な臭いを発することもない。
なんて素晴らしいのでしょうか。
これが文明社会。これが消費社会。
もとより分業と協業こそが人類の力。それを忘れてひとりでなんとかしようとしていたのが間違いなのです。
Yes, my sweet. yes, my sweetest.
人はひとりでは生きられないし、あなたには帰れる牛丼屋家がある。こんなに嬉しいことはありません。
ようやく待ちに待った次の燃えるゴミの日、あなたはゴミ箱や三角コーナーの残飯はもちろんのこと、冷蔵庫の中に残った食材、そしてそれどころか9割以上残った固形調味料の数々もすべて諸共にゴミ袋に突っ込んで集積場に放逐すると、晴れ晴れとした心でこう叫ぶのです。
「自炊はコスパが悪い!」
≪GAME OVER≫
(その後自室に引きあげたあなたは、その勢いをかって食用油を排水口に勢いよくぶちまけて処分し、それが数ヶ月後に大変な悲劇を起こしたりもするのですが、けれどもこれは別の物語、いつかまた、別の時に話すことにしましょう)
■Stage 02 「自炊を攻略する」とは何か?
これは創作では(完全には)ない
今読んでもらったこれは創作ではありません。
自分が30余年の中で数度、自炊に挑戦し挫折するまでの流れを最大公約数的にまとめたものです。あるいは「自炊チョットワカル」という人から見れば、なんでそんな失敗をするのかわからない、と思うかもしれません。
しかし、私はこのレベルで何もわかっていない男であり、だからこそ、自炊猿人から始める必要があったのです。そして、そのような「限界」の人間は、しかし、思いのほか多い。今や私はそう確信を持って言えます。この本は、そんな失敗をする……あるいはしそう、と思える人たちのために書かれています。
さて、とにもかくにも、今見てもらったのは、限界オタクが自炊というゲームに挑戦し、ゲームオーバーを迎えるまでの一つの典型です。
では、逆に、自炊というゲームをクリアするというのはどういうことでしょうか。
自炊というゲームのラスボスとは何でしょうか?
卵焼きでしょうか? それとも満漢全席やフレンチのフルコースをやっつけられる=創れるようになれば、あなたは自炊を攻略したと言えるのでしょうか?
結論からいえば、少なくともこの本の定義では、自炊の「攻略」と、個々のメニューを作れる/作れないとは一切何の関係もありません。
そもそも自炊はクリアのないゲームです。あなたは自分の人生が続く限り、飯を食う必要があります。つまりそれは、死ぬまで自炊をする必要があるということです。
自炊とはクリアを目指すゲームではなく、ゲームオーバーにならないことを目指すゲームです。つまり、自炊を攻略するというのは、「絶対にゲームオーバーにならない状況を構築すること」に他なりません。
そして、それを達成する手段は……本書の目標は、「自炊をすることの精神的コストが、外食の意思コストを下回ること」です。
「自炊ができる」=「外食のがダルい」
もっと噛み砕いて言えば、「外食をするより自炊をする方が面倒臭くなくなること」です。
たとえば冬の休日、昼過ぎにやっと起きたとしましょう。
さすがに腹が減っています。
しかし外食をするにしてもコンビニ飯を買うにしても、寒い中、外に出なければならない。
そもそも炊飯器の中には昨日の夜の残りのご飯があり、冷蔵庫にはみそ汁の残りがある。だいたい、これらを今始末してしまわないと、明日捨てるゴミが増えてそっちの方がダルい。
こういう状態であれば、誰だって「面倒臭いから家ですます」を選ぶはずです。
であれば、残りのご飯やみそ汁がなかったとしても、それでも家にある食材で何かをでっち上げて腹を満たしてしまう方が、その後の片付けやら何やらも含めても、「外食するより楽」になればどうでしょう。理論上あなたは、永遠に自炊を続けられます。何しろ、それが一番、ダルくなくて、一番、面倒が少なくて、一番、楽なのですから(それより楽なのは飯を食わない=死だけです)。
詭弁を言っているように聞こえるかもしれませんが、マジです。
これが我々限界オタクが自炊を攻略する唯一の手段です。
人間は誘惑に弱く、怠惰な生き物です。
ましてや限界オタクである我々の怠惰さは、常人の2倍や3倍ではきかないでしょう。そうでなければ限界オタクになどなりはしない。そういう我々は絶対に、「面倒臭いけど頑張って自炊をする」とか「外食の誘惑に耐えて自炊する」なんてことは不可能です。1日2日は耐えられても3日目で必ず折れます。自分の人生を思い出して見てください。
その行為が、他の選択肢よりも、安易で怠惰で、他のことをするよりもマシになること。
それ以外に、我々が何かを続けられるようになる方法はないはずです(少なくとも私はそうです)。
限界オタクでもソシャゲは回せる
例えば限界オタクのあなたなら、ソーシャルゲームのひとつやふたつは嗜んでいるはずです。スマホのアラームで朝起こされると、アラームを切ると同時にソシャゲを立ち上げ、ログインボーナスを受け取り、寝ている間に溜まったスタミナを消費するためにデイリーのクエストを回る、という日課を日常的にこなしているはずです。
たとえば宿題や課題、仕事でやらなければならないタスクが山済みでも……いえむしろ、山済みだからこそ、現実逃避のためにアプリを立ち上げ、気がつくと周回クエをループしている。
しかし、試しに何かアプリを立ち上げて、ひとつひとつの工程を指差し確認するなどしてみてほしいのですが、実はあなたは結構、複雑で「面倒臭い」ことをやっているはずです。アプリを立ち上げ、ログボをもらい、「スタミナ消費1/2」とか「報酬2倍」といったキャンペーン内容や曜日毎の限定クエストを確認し、あなたが保有しているリソースを補うのに最も最適なクエストを選んで……仮にあなたのオカンやオトンにいきなりスマホを渡して「俺の代わりにデイリーとイベント回っておいて」とお願いしても、とても無理でしょう。「オカンの代わりに筑前煮作っといて」とあなたが言われる程度には無茶です。
でも、我々にとってそれは、たいして面倒なことではない。面倒臭いけど勉強や仕事と行った他のもっと面倒臭いことよりは面倒臭くないのことになっているはずですし、その状態に至るために、何かを頑張って暗記したり練習したり修行したり努力したりしたわけでもない(そんなことを求められていたら、我々はとうにそのアプリを削除しているはずです)のに。ただ、一年間、あるいは下手するともっと長い間、それを繰り返してきたというだけで。
このことからわかるのは、面倒臭さ=精神的コストは、何十回何百回と繰り返すことにより劇的に軽減できる、ということです。
我々限界オタクには(にも)、ホモ・サピエンスがこの惑星の覇者となるに到った、大脳という大変優秀な有機計算機が装備されており、こいつの凄さの一端が、高性能な学習能力です。面倒臭いのが嫌いな我々でも、続けてさえいれば、脳はそれを学習し、意識せずとも実行できるように=勉強や仕事よりかは面倒臭くなくしてくれる。それがソシャゲであろうとも、そして自炊であろうとも。
自炊はソシャゲである
ですから、自炊の攻略は、基本的にはソシャゲと同じです。
ぶっちゃけ、難しいことは何も考えなくていい。むしろ考えてはいけない。とにかく、毎日続けること。毎日、デイリーだけはこなすこと。それができない日でも、とりあえずログボだけはもらうこと。それさえ続けていれば、そのうち、キャラも育っていますし石も溜まりますし、そして何より、貴方自身が、ソシャゲに慣れていきます。
つまり自炊とはソシャゲと同様、ひたすら継続し継続し継続することのみを目的とする営みです。
こう考えると、冒頭の「自炊への挑戦」の何が間違っていたが理解されてくれると思います。
自炊に必要なのは、とにかく、続けることです。続けてさえいればぶっちゃけなんでもよい。にもかかわらず、冒頭の例では――過去の私は、わざわざ料理本を買ってきて、そこに書いてあるレシピに挑戦する、なんて、やらなくていいことをやって自分から難易度を上げにいっています。
言ってみれば、始めたばかりで右も左もわからない初心者が、いきなり重課金者や長期継続プレイヤー向けの高難易度クエスト、エンドコンテンツに挑んだようなものです。
そんなの苦戦して当然です。よしんば手持ちのリソースを全て投入し、或いは課金して無理矢理突破したとしても得られる報酬などたかがしれている。だいたいこの手のエンドコンテンツというのは、経験者向きの腕試しのためのものであって、報酬も実用性に乏しい、名誉的なものに限られています。
初心者がやるべきは、経験値や資金といった、もっと重要なリソースが得られる周回クエストを最小の労力でひたすら回り続けることですし、そして何よりソシャゲそのものに慣れることです。とにかく毎日ログボをもらってデイリーを消化していれば、そのうち嫌でもバトルシステムも把握できてくるしキャラも育ってくる。それでそろそろ毎日同じことの繰り返しも飽きてきたなと思ったら、初めて高難易度コンテンツに挑めばいい。面倒臭かったら永遠に放置してよい。
ソシャゲを攻略するというのは毎日ログボもらってデイリーを消化して、イベントを周回することです。そのためなら高難度コンテンツなんて全無視していい。高難度コンテンツの攻略にかまけて、イベント報酬を取り逃したなんて論外オブ論外です。
自炊も同じです。卵かけご飯とサラダしか作れなくても毎日苦もなく継続できているなら、それが「自炊ができている」ということですし、たとえ満漢全席やフレンチのフルコースが作れようとダルいから普段は外食してるのなら、「自炊ができている」とは言いません。「自炊ができる」と「特定の料理が作れる」は何の関係もありません。
卵焼きなんて攻略勢に焼かせとけ
にもかかわらず、世の自炊初心者本は、ここを何か勘違いしているとしか思えない。
なんで卵焼きなんて料理がどうどうと載っているのか。
断言しますが、あんなもん焼けなくても何も困りません。加熱によって急速に個体化する液体を、半固形のうちに折りたたんでください、ただしスクランブルエッグにした場合と栄養価は一切変わりません、なんて曲芸、自己満のエンドコンテンツ以外の何なんですか。そんなのは古参と廃課金にやらせておけばいいんですよ。あれで何人の初心者が心おられて引退したと思ってんだ。ちゃんとKPI分析とかしてんのか。
そうです。卵焼きには申し訳ないですが、私は怒っています。ぶっちゃければここの「自炊を継続する」ことと「個別のレシピを憶える」の混同こそ、私が35になるまで自炊の修得に失敗し続けた最も根本的な理由だからです。
本当ならコンロに火が付けられたとかお湯を沸かせたとかのたびに十連ガチャチケくれてもいいだろ。それをいきなり「野菜炒め」だの「卵焼き」だののボス戦に挑ませるとかどう考えても導線がおかしい。「腐敗する生鮮食材」なんて毒沼ステージを最初においてどうする。レベルデザイン失敗してますよ、マジで。
どうか、皆さんはくれぐれもこの誤った導線に導かれて、自炊オンラインというゲームに挫折することだけは避けていただきたい。
我々がこれから挑もうとしている自炊オンラインは、シャゲであり周回ゲーです。
ソシャゲであり周回ゲーであるからには、ただただ毎日続けてさえいればそれでなんとかなるし、ただただ毎日続けることだけが目的なのです。
難しいことは一切する必要はありません。というか、絶対、すべきではない。
とにかく周回だけしてください。
そのためのキムチ鍋です
そうは言っても、じゃあ、何を作ればいいのと言われる方も多いと思います。
お待たせしました。
ようやく、ここで、では、あなたは何を作るべきか、という話になります。
キムチ鍋です。
NEXT →
「貧乏だから野菜が食えないとかいうのは毎晩キムチ鍋を食べないやつの戯言にすぎない・冬」