インドネシアの島めぐり19日目 アロール島でジュゴンに遭遇 + トゥティ温泉で日本兵に思いを馳せる
ツアーのような1日は、ツアー客からクレームが入ること間違いなしの行き当たりばったりだったが、予定していた工程はすべてこなして無事宿に戻ってきた。
今日は4つの場所に行った。
-ジュゴンのいる海
-トゥティ温泉
-タクパラ村
-イルカのいる海
昼ご飯は時間がなくて食べていない。その代わり夜は豪華にカニを食べた。
ジュゴンのいる海へ
朝まだ気温が上昇していないとき、乾燥した空気はとても気持ちが良い。
早めの朝食を食べると、わたしは早速ジュゴンのいる海辺へとレンタルバイクで向かった。宿から大体15キロ弱の空港の手前にある「マリの浜」の桟橋が目的地だ。
ジュゴンに会うには朝が良いと宿主から聞いていたので、最初の工程に持ってきた。コモドドラゴンもマンタも朝が一番活発というし、動物の行動パターンは似ているのだろう。
朝の心地よい風を全身に受けながらのんびり向かったところ、気づかずに空港まで行ってしまった。ゲートでパンタイマリ(マリの浜)への行き方を聞き、元来た道を戻る。
左手にマリの集落があり、そこだという。
集落なんてあったかなと思いながら進み、それなりに家が集まっていそうな場所でバイクを止めると、道端の小屋に座っていたおばちゃんたちに尋ねてみた。
「パンタイマリ?なにジュゴンが見たいのか?それならパウニ(Pak Uni)の家に行け、青い家だ、今ならいるぞ」と教えてくれた。
パウニことMr. Uniとは何者なのか不明だが、多分ジュゴンのことを知っていそうなのは間違いなさそうだと思い、行ってみることにする。
青い屋根の家を見つけ、おばちゃんたちの指さしていた方向からしてここだろうと思い、「ハロー」と家の中に向かって2度ほど叫んだ。
すると中からおばちゃんが出てきて、わたしの顔を見て外国人だと分かったのだろう、「ジュゴンか?」と聞いてきた。
「そうだ。パウニを探している。」と言おうとしたら、そうだのところで早くも奥に向かって呼び始めた。
ずいぶんとせっかちな人だ。
すると真っ黒な海坊主のようなおじさんが現れて「コンニチワ」と言ってきた。
日本人の友達の話も出た。
失礼ながら、これはちょっと怪しいパターンだなと思ったが、ここに座れと案内された小屋にジュゴンの絵が描いてあり、ジュゴン好きな人なら大丈夫だろうと判断し座って話を聞いてみる。
おじさんは一緒に海に行ってくれるという。ガイドを雇う予定はなかったものの、ガイドなしでジュゴンに会うのは難しい可能性もあると思い、お願いすることにした。
おじさんの後ろにくっついて浜に出てみると、干潮のため船が動けない。
14時にまたここに戻ってこいと言われ先に温泉に行くことにした。
おじさんの名前はオネ・ジュゴン・アロールと言う。電話帳登録のために聞いたら教えてくれた。
多分本名ではなく芸名だろう。
トゥティ温泉で日本軍の将校の気持ちになってみる
温泉は町から50キロ離れており、海沿いに東へ進む。
海の美しさは言葉ではなかなか形容するのが難しいほど美しい。色が綺麗なだけでなく、近代文明の痕跡がない自然のままの美しさがある。
わたしは何度も景色の良いところで止まっては写真を撮ったり、じっくりと眺めてみたりした。
道は海から内陸に入っていく。
これまで訪ねた島と同じように、山の中に入っていくと空気は湿り気を帯び始める。そして開けた盆地のようなところには美しい田んぼが広がっていた。
雨はなくても山の森が溜め込んだ水が川となり村々の田んぼを満たしているのだろう。
トゥティ温泉の看板を見つけじゃり道を右折する。道は悪い上に登り下り急カーブもあり、慣れないバイクの運転はとても緊張する。じゃり道を進むこと4キロほどで、道は川に突き当たり行き止まりになった。
なんの目印も看板もないが、多分ここに違いない。木陰にバイクを止めて付近を散策してみる。
壊れた橋があり、その橋の下へ降りてみると、明らかに石で堰き止め浴槽にしたと思われるスペースがあった。早速入ってみようと手をつけると激アツだ。
絶対に入れない。
日本の気温だと白い湯気が水面から上がるレベルだが、外気温の高いアロールでは見た目は常温に見え、ギャップに驚いてしまう。
足元も地熱で熱せられており、とても裸足で歩くことはできない。真夏の太陽に照らされ高温になったプールサイドをさらに熱くしたくらいの熱さだ。下流なのに上流より温度が高いということは、川底から高温の温泉が湧き出ていると思われる。
耳を澄ますとシャーーーという蒸気が噴き出している音が聞こえるので行ってみると噴泉塔があった。これが見たかったのだ。
日本には噴泉塔が3ヶ所確認されていて、いずれも国の天然記念物に指定されている。噴泉塔は川沿いに形成されることが多く、日本の噴泉塔は増水時に破壊されて残っていない。それがここには1メートル以上に育った噴泉塔が3つもできている。
この温泉が日本にあれば、間違いなく天然記念物に指定されるし、ナショナルジオパークにも指定されるであろう。
それくらい貴重な温泉なのだ。
わたしは白い噴泉塔をマーライオンと名付け、茶色い噴泉塔をコピルアックと名付けた。コピルアックとは、インドネシアの高級コーヒーで、コーヒー豆の好きなジャコウネコが食べて消化されずに出てきた豆のフンを飲む。独特の酸味があるというが、わたしはよくわからなかった。
それ以外にわたしがこの温泉に惹かれたのは、戦時中に日本の将校が川を堰き止めて温泉を作ったという伝承だ。
どんな気持ちで作ったのか、どのような景色を眺めていたのか、その場に行って自分で確かめたかった。
アロール島はハッキリ言ってしまえば戦略的に価値の高い島ではなかったろう。スラウェシ島のマナドや、ティモール島のクーパンは花形の拠点で、将校レベルの階級の軍人がアロール島に赴任したのであれば、おそらく左遷人事に近かったんじゃないかと想像している。
わたしもサラリーマンだったから想像できるが、収益インパクトの小さなエリアの営業所に出世の道を絶たれた本店や有力支店の部長クラスが飛ばされたようなものだ。
そういう気持ちになって見ると、最後何か形に残るもの、人の役に立つものを作りたかったんじゃないか、そう思える。
わたしはなんとか入れるレベルの温度の場所を見つけると、浅いのに無理やり入り、寝っ転がってかつて将校も眺めたであろう空を眺めた。
焼けるように暑い赤道直下の太陽が照り付け、薄目を開くのが精一杯だった。
川をさらに遡っていくと、木で茂った陰に小さい湯だまりがあり、そこはぬるめの温度で入れる。地元客に教えてもらった。
タクパラ村で自然体の人々を見る
この村はいくつか残る伝統村の中でもカラバヒの町に近く行きやすい。5キロくらいだ。
看板を目印に、山の上に向かい急坂を登っていく。またしても未舗装の道で緊張する。
駐車場に着くと、海の景色が素晴らしい。
タクパラ村では、村人の歓迎のダンスや威嚇があると聞いていたのに、子供達以外は無警戒に昼寝中だった。
2人の武装した村人がいたが、どうやらコスプレ中の一般人のようで、残念ながら偽物だった。でも顔つきは村人と同じなので、雰囲気はあり、伝統村の景観に花を添えていた。
入場料を払うと聞いていたのに何も取られず、何も売りつけられず、ほぼ無視されたような訪問になってしまった。
だが、それはそれで興味深い。村人達がよそ行きではない普段着の自分をさらけ出してくれているようなものだ。
彼らが暮らしているところに透明人間のように入っていって観察して回ったような感覚だった。
子供達用に飴を買っておいたが、渡さずじまいで村を静かに離れた。
再びジュゴンを訪ねる
14時前に朝約束した場所に行くと、海水浴客達で浜辺は混み合っていた。
オネ・ジュゴン・アロール氏はちゃんとそこにいて、警備員達と談笑している。
わたしはとにかくお腹が空いて喉も乾いていたので、ちょっと待って飲み物だけ飲ませて欲しいとお願いし、マンゴジュースをがぶ飲みした。
そして椅子に座って一息つくと、船に乗って出発となった。
船は思っていたより遠くに向かう。さすがに人間が泳いでいるような場所には来ないようだ。
オネ氏によれば、ジュゴンと彼は友達で、99年に初めてまだ小さかったジュゴンと出会ったそうだ。2017年から人を連れて行き見せることを始めたと言っていた。
突然オネ氏がエンジンを止めるよう船頭に声をかける。
何やら灰色の物体が船の後ろを通り過ぎたように見えた。「ジュゴンがいるのか?」と小声で聞くと、「いる。ほらそこだ。」と指差したところにジュゴンが見え、ゆっくりと船に近づいてくる。
白というよりは灰色がかった肌色といった感じだ。イルカと同じ色をしている。
まるで船のところにやってきて遊んでいる様子で、わたしが海に手を入れると近づいてきて撫でさせてくれた。
肌は固く滑らかで、水ぼうそうの跡のようなボツボツした突起物がところどころにある。
オネ氏に「遊んでいるように見えるが、遊んでいるのか?」と聞くと、「遊んでいる。」と言っていた。お腹を見せて背泳ぎしてみたり、腕で船の棒を抱えたりしてひと通り船の周りで戯れると、ゆっくり船を離れて行った。
おびれをドルフィンキックでゆっくりと上下動させながら遠ざかっていくのをずっと見ていた。
オネ氏から「もう充分か?」聞かれ、お礼を言い非常に楽しい時間だったと伝えた。
今日一日だけでなく、アロールへの旅自体をこれだけで価値あるものにするくらいのかけがえのない体験になった。
そういえば、ジュゴンの名前を聞いていなかったなと思い聞いてみると、マワール(インドネシア語でバラの花の意味)だという。
オスでバラはないんじゃないかと思ったが、オネ氏が友人としてつけた名前にケチをつけるべきではないだろう。
料金として200,000ルピア(2000円)支払った。とても安く感じた。
マワールがいつまでも元気で人間を楽しませてくれることを願っている。
イルカのいる海を目指す
浜に戻ってもまだ15:30だったので、ここまで来たらイルカにも会っておこうと思い立ち、20キロ先のアロールクチルの岬を目指す。
カラバヒの町並みを抜け、左手に海峡を見ながら西南方向に進むと30分かからずに港についた。
港にたむろする男どもに「どこに行くのか?」と聞かれる。どうやらここは、近隣の島々に渡し船が出る場所のようで、座席が並んだ細長い船が桟橋に並んでいる。
わたしは逆に「この船はどこに行くのか?」と聞いてみた。うまく通じなかったようだ。あるいは相手が地名を言ってきたのを聞き取れなかったのかもしれない。
Coffeeと壁に書いてある屋台で、砂糖たっぷりのインスタントコーヒーを飲みながら、「イルカはいるか?」と店のおばちゃんに聞いてみた。
すでに男どもに同じ質問をし「イルカの季節じゃない。」と言われていたが、セカンドオピニオンを取りに行ったのだ。
おばちゃんは「イルカはいない。イルカが来るのは海の温度が低くなる時で、それは年に3回だけだ。」と明快な説明をしてくれた。
頼りになるのはいつだって女性だ。
それが分かっただけでも来た甲斐があった。
わたしは5,000ルピア(50円)払うと、ホテルへ向けスクーターを走らせる。
途中に面白い木が生えていた。
夕食はカニ
ツアー客を喜ばせるには食事も大事な要素だ。
とはいえ、カニを食べさせておけば、わたしのような単純な旅行者はたいてい満足するので、あまり深く考える必要はない。
わたしは観光客がよく行く海辺のレストラン、ママレストランに自転車で向かった。ビールを飲む気満々だったので、飲酒運転にならないようバイクは返しておいた。
自転車も日本だと飲酒運転になるんだよというツッコミがありそうだが、インドネシアはその前に飲酒自体のハードルが高い。
海辺の特等席に座ると、「カニとイカを辛くない調理法で頼む」とお願いしてみた。「それとビールがメニューにないようだが?」と聞くと、ビールはやっていなかった。次善の策として白米で美味しい海鮮を楽しむ。
イカ料理はご飯が進む濃いめの味付けでうまい。
夜の海は真っ暗だ。それでも波の音は聞こえるし、潮の香りも漂ってくる。
テーブル、手、ズボンをカニの汁でベタベタにしながら、シンガポールのチリクラブ風のカニにむしゃぶりつき楽しんだ。
カニを食べるのはいつ以来だろうか。少なくともインドネシアに来てからは一度も食べていない。
お会計は142,000ルピア(1400円)だった。200,000ルピアは超えたと思っていたので安さに驚いた。
わたしの中で今日のツアーの満足度は高かった。
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