羊はなぜ群れで行動するのか?
チベット・インド旅行記
#23,シガツェ
チベット自治区、ラサの旧市街。
朝靄のかかるバルコル通り、ジョカン寺前広場では、今朝も大勢のチベッタン(チベット人)達が一心不乱に五体投地の祈りを捧げている。
そのすぐ脇の通りから、市外に向けて1台のマイクロバスがゆっくりと動き出す。
行き先はチベット自治区第2の街、シガツェ。
ラサからバスでおよそ10時間ほどの距離だ。
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ゴロゴロと岩が転がる、賽の河原のような景色の中をバスは進んでいく。
何時間経ってもも代わり映えのない風景。
遠くには雪を被ったヒマラヤの山々が、この世界の行き止まりのように立ちはだかっている。
車窓から外を眺め、ぼんやり思う。
ラサでは少し、人と関わりすぎた。
日本を出てから4ヶ月、ずっと一人で旅を続けていた私は、ずっと抱えていた心の渇きを潤すかのように、人と交わり、語り合った。
安宿の6人部屋ドミトリーで、異国のツーリストたちと旅の話で盛り上がり、夜になれば、旧市街の食堂で青島(チンタオ)ビールで乾杯。
ホテルの屋上でギターを鳴らした。
ほろ酔いの修学旅行のような毎日。
そんな肩組み合い、握手を交わす日々は、確かにある種の高揚感や満足感をもたらしてくれたが。
同時にどうしようもない心の隙間をも明らかにした。
「誰もがポケットの中に孤独を隠し持っている」
結局の所、私たちは旅人で、出会いと別れを目まぐるしく繰り返す渡り鳥だ。
ナイストゥーミートゥユーで始まり、またいつか、良い旅を、で終わる。
それが数日なのか、1週間なのか、はたまたもっと長い期間なのかは分からない。
でも、私たちがこの地上に生まれ、旅を続ける限り、別れは必ずやってくる。
小林さんは去った、のり子さんも去った、ユキちゃんも、レニーも、タールも去っていった。
そして今は1人、こうやって世界の行き止まりで、見ず知らずの人たちと乗合バスに乗って、揺られている。
出会いと別れには少し疲れた。
今は、1人でいることの、少しばかりの物足りなさと、安堵感が丁度いい。
いつまで経っても変わらない風景を見ながら、少しまどろんだ。
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シガツェの町に着いたのは夜20時過ぎ。
タラップを降りると10月の凍てつく風が、上着の隙間から吹き込んできた。
日本での真冬に近い感覚だ。
薄暗い街灯の下、足早に宿を探す。
バスターミナルそばのゲストハウス、テンジンホテルは1泊35元、(525円)
がらんとした部屋に荷物を下ろし、町に向かった。
チベット第2の街とはよく言ったもので、町の中央には寂れた商店街が申し訳程度に並んでいるだけ。
しかも夜21時にはどの食堂もシャッターが降りていて、食事をするどころではない。
ラサでは、夜中でもどこかしらの店は空いていたのだが…。
仕方がないので、ゲストハウスに戻り、非常食のカップ麺に湯を注いで食べた。
寝袋にくるまり、寒さに凍えながらベッドに横になる。
すると、薄い壁越しに聞き覚えのある曲が流れてきた。
70年代に流行ったサイケデリックバンド、ピンクフロイドの「ウォール」
どこの旅人が流しているのだろうか。
ロジャー・ウォーターズの退廃的なボーカルが語りかけてくる。
この薄い壁を隔てた向こう。
私も、きっとその旅人も、最後の穴ボコを埋めるピースを探す為に、旅を続けている。
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翌朝、シガツェの町外れのタルシンポ寺まで、歩いて観に行くことにした。
街外れの丘まではちょっとしたハイキングだ。
売店でスニッカーズ風のチョコバーと、ペットボトル入りのお茶を買って歩き出す。
中国では、ボトル入りのお茶には全部砂糖がたっぷり入っていて、お〜いお茶ならぬ、あま〜いお茶を飲む羽目になるが、いい加減それにも慣れた。
ふぅふぅと息を切らせながら、急勾配の丘を登っていく。
すると崖の上に1匹の「はぐれ羊」がトコトコ歩いているのを見かけた。
チベットでは、はぐれ羊はよく見かける光景だ。
羊。いつも群れで行動している羊たち。
実は羊の群れにはリーダー羊が1匹いて、その他の羊たちは、何も考えずにリーダーの後をトコトコついて歩いているだけなのだそうだ。
夜が明けて、朝日がさんさんと登る頃。
1匹の羊がパチリと目が覚まし、ムクリと起き上がる。
すると、他の羊たちも後に続いて、ムクリ、ムクリと起き上がる。
その日1番の早起き羊。それがその日1日のリーダー羊になる資格を得るのだ。
そうして日がな一日、草をはみながら、羊たちの群れはトコトコと荒野を歩き続ける。
嘘か本当か、旅人に聞いた話。
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険しい丘の道を登り切って、タルシンポ寺に着くと、あいにく僧侶たちのランチタイムらしく、門は硬く閉ざされていた。
昼食が終わるまで門の前で待っていようかとも考えたが、思い直してさらに丘の上へと歩く。
別に観光がしたくて旅をしているわけではないのだ。
寺を巡ったり、観光をするだけならば、それは「旅行」だ。
私がしたいのはあくまでも「旅」なのだ。
大きな岩に腰掛け、眼下に広がる街と、荒野をのんびり眺めた。
でも思う、
それなら一体、旅って何だ?
別に観光がしたいわけじゃない。
かといって、人と関わりたいわけでもない。
だとしたら、私は何の為に旅を続けているのだろうか。
問いかけたところで、別に答えがある訳ではない。
崖の向こう側、群れからはぐれた羊が、トコトコと歩いている。
サキャ編へ続く⇨
【チベット・インド旅行記】#22,ラサ編③はこちら!
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