映画『パスト ライブス/再会』は新しい恋愛映画の形を創った・・・かもしれない話
先日、早稲田松竹で『異人たち』と『パスト ライブス/再会』の2本立てを観てきた。
どちらも今年前半に公開して映画好きの間で話題になっていたが、見逃していた作品だった。
どちらも良い作品だったが、特に『パスト ライブス』は脚本・演出共に非常に冴えていて、地味ながら素晴らしい作品だったので、レビューしていこうと思う。
解説するにはどうしても結末に踏み込まなければいけない為、ネタバレありです。その点をご理解の上、お読み下さい。
あらすじ
幼馴染のヘソンとノラはお互いに好意を持っていたが、12歳の時にノラは家族と共に韓国からカナダに移住していった。それから12年、ヘソンは兵役を勤め上げて大学生になり、ノラはニューヨークに移り住み、脚本家を目指していた。ヘソンはインターネットでノラを見つけ、ビデオ通話を通して旧交を温める。ヘソンはいつか会いにいくとノラに伝えるが、お互いにやるべき目標があった為実現はしなかった。さらに12年後、ノラはアーサーというアメリカ人男性と結婚していた。ヘソンはその事を知った上でノラに会いにニューヨークへ行く。24年越しの再会で2人は何を話すのか…。
24年越しの初恋の行方
再会したノラはヘソンを「韓国人らしい男性になった」と評する。
大人になったヘソンの言動から感じる僅かな違和感から、ノラは逆に「自分が韓国人らしい女性ではなくなった」と実感したのである。
ノラは長年の北米での暮らしの中で、すっかり北米人のメンタリティを獲得してしまったのだろう。
良い悪いは別として、人の価値観は育つ環境によってある程度画一化し、固定化する。
だからアメリカ人のアーサーと惹かれ合い結婚したのかもしれないと、ノラは気付いたのだ。
ノラの思いとは裏腹に、アメリカ人のアーサーは気が気でない。
彼女と同じ韓国人で幼馴染であるヘソンは、自分よりも夫に相応しい相手かもしれない。3人はバーへ行き語らい合うが、英語が苦手なヘソンはノラと韓国語で親しげに話している。
態度には出さないが、アーサーはノラがまだ故郷と初恋の人に未練があるのではないかと考えてしまう。ノラは今でも寝言を韓国語でしか言わないからだ。
だが結論を言ってしまうと、ヘソンとノラの初恋は実らぬままに終わる。
『卒業』のダスティン・ホフマンみたいにアーサーからノラを略奪して駆け落ちするわけでもなく、二人はお互いに「好きだったけど人生を共にするような縁は無かった」という事を、数日間のニューヨーク滞在の中でじっくりと確認し合うのだ。
それでいて物語の描き方は悲劇的でなく、とてもハートウォーミングに描いている。
主人公2人が付き合う事も別れる事も、ましてや体の関係を持つ事もなく「運命の人じゃなかった」で終わる。
こんな恋愛映画の描き方があったのか! と本当に驚いた。
袖振り合うも多生の縁
物語の重要なキーワードとなるのが「イニョン」という韓国の言葉だ。
これは日本語でいう「縁」や「運命」であり、今を生きている我々は前世やもっと昔にも何らかの形で出会っていて、そのレイヤーは8000層にも及ぶという。
日本にも「袖振り合うも多生の縁」という慣用句がある。
行き交う時に袖が触れ合った程度の関わりしか無い人でも、前世では大事な相手だったのかもしれないから、他人に取る態度には気を付けて出会いを大事にしなさい、という意味である。
ノラとヘソンは今生では結ばれる運命ではなかった。でもそれで良かったのだ。そう納得するための考え方が「イニョン」であり、輪廻転生を信じる仏教的な考えだ。
これはアジア人のメンタリティに根差した、面白い脚本だと思った。
恋愛映画的なストーリーの盛り上がりやお約束を一切無視しているこの斬新な脚本は、セリーヌ・ソン監督が自身の実体験を基に書かれている。
それでもドラマとして、映画として面白いストーリーになっているのだから凄いとしか言いようがない。
僕らは映画を観る時に無意識に「映画のストーリーなんだから人間関係に劇的な変化が起こるはず」や「主人公は困難に打ち勝ち、最終的には勝利するはず」と考えてしまう。
劇中でアーサーは「2人は障壁を乗り越えて愛し合う運命の主人公で、僕はそれを邪魔するアメリカ人の悪役かもしれない」と自嘲する。
まさにハリウッド的発想だ。(ちなみにアーサーも脚本家という設定である)
そんな僕らの固定観念を大きく裏切った上で、「人生には色々な形の出会いと別れがあり、実らなかった恋愛にも物語になる価値がある」と本作は教えてくれる。『ラ・ラ・ランド』もそれに近いテーマを描いていたが、本作はさらにストイックかつエクストリームだ。
恋愛映画ではないが、パスト ライブスと同年にアカデミー賞を競った『ホールドオーバーズ』もまた「ハリウッド的」とは言えないタイプの中年男性が主人公の、地味な男が自分の人生を見つめ直す、ニューシネマのような物語だった。(舞台も70年代アメリカである)
映画界にそういう「新たな主人公像・新たな物語像」を求める流れが来ているのかもしれない。
メインビジュアルの意味
本作の大きな魅力は、ニューヨークの街並みを存分に生かした映像美にある。そして美しいだけでなく、キャラクターの心情を表現する意味でも背景が適切に選ばれている。
最後にその解説をして本稿を締めようと思う。
パスト ライブスのポスタービジュアルにも写っている回転木馬は、本作のテーマを象徴している重要なポイントだ。
ヘソンとノラは自由の女神やブルックリン橋など、NYの名所を観光する。
2人はブルックリン橋のたもとにある公園の階段に腰を下ろし、お互いの事を語り合うのだが、その時の背景に美しい回転木馬が映っている。
回転木馬は幼い日の美しい思い出の象徴であると同時に、その場を廻り続けるだけの「どこへも行けない乗り物」である。
これは2人の関係が、これ以上先には進むことが出来ない事を暗示しているのだと思う。
ちなみに本作のブルーレイ・DVDは明日10/2発売だそうです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。