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なぜお母さんは赤ちゃんの「アー」が分かるのか?

ベビーカーを覗き込んで、おかあさんが赤ちゃんと話をしている。
「そうなの? うれしいの?」
隣のおばあちゃんも
「あらあ、よかったねえ」
と同じように赤ちゃんと会話している。
赤ちゃんは「アー」「アー」としか言っていない。でも、会話できる人がいる。
なぜなのだろう? 
 
お母さんたちは、「アー」を言葉通りの「アー」としては受け取っていない。
むしろ、「アー」って何だろう? といつも考えている。
すると、表情や声のトーンや身振りによって「アー」にもいろんな種類があるんだなと分かってくる。
「アー」イコール「早くおむつを取り替えてちょうだいよ。ジメジメしてて気持ち悪いんだよ」と分かると、「はいはい、いま取り替えるからね」と声をかける。
「アー」が「なんか楽しいね。風が気持ちいいね」だと察すると、「よかったねえ。気持ちいいねえ」と返事をしている。
 
お母さんは自分から「アー」に近づいていく。だから、「アー」の違いが分かる。
「アー」を文字としての「アー」で受け取ろうとする人は言葉がやって来るのを待っている。待ちの姿勢には、「アー」はいつまでも「アー」でしかない。
言葉に頼らなくても分かる。相手に近づいていくから分かる。気もちを寄せていくから察する。
別の見方をすると、誰かのために自分から近づけるポジションにいる、ということ。
それは、ありがたいことなのかもしれない、自分にとって。

近づく。相手が自分に促している行動なのかもしれない。
察する。相手が自分に与えてくれる感覚なのかもしれない。
分かる。相手が自分にもたらしてくれる能力なのかもしれない。
 「アー」としか発しない赤ちゃんが、お母さんをお母さんに育てている。
そのことに気がついたとき、分からないものは無視するのがいいのか積極的に関わっていくべきか、どちらが自分にとって必要な選択なのかを知らされた。

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