民衆は愚かだから強力なリーダーが必要?哲学から学ぶ民主主義のリスクと投票の大切さ
こんにちは、まどかです。
今回は、「民主主義の課題」について考えてみたいと思います。
先日から、
「選挙に行かないことがいかに愚かな行動か」
を怒り心頭でお伝えしてきましたが、笑
今日は少しトーンを落とし、
古代ギリシャの哲学者プラトンの考え方を元に、
民主主義のリスクという視点についても考えていきます。
「民衆は愚かだから強力なリーダーに任せるべき」という考え方
古代ギリシャには
「民衆は愚かだから、強力なリーダーに引っ張ってもらった方がいい」
という考え方がありました。
一見、他人事(すごく昔のこと)のようにも思えますが、
今の日本の投票率が50%前後で推移している現状を見ると、
この考えが決して昔のものではないと感じさせられます。
なぜなら、選挙に参加しない人が多ければ多いほど、
自分で考えることをやめた人々が
「誰か強力なリーダーに任せてしまおう」
と望んでしまう可能性があるからです。
私たちは過去の歴史から、
全体主義や独裁のリスクをある程度理解しているはずです。
北朝鮮や中国のような体制が「危険で非合理的だ」というのは、
直感的に感じる人も多いでしょう。
だから、日本が今すぐ同じようになるとは思えませんが、
投票率が50%程度に停滞している現実を見ると、
安易に安心もできません。
このまま民主主義への参加意識が低いままだと、
全体主義や独裁を許容してしまうような土壌ができかねないのです。
哲人政治とは何か?
プラトンの理想と民主主義への懸念
この文脈でプラトンの「哲人政治」という考え方をご紹介します。
プラトンは、知識と徳を備えた「哲人」がリーダーとなり、
民衆の代わりに政治を行うべきだと考えました。
その根底には「民衆は愚かで、政治を任せるのは危険だ」
という考え方があります。
では、なぜプラトンはそのように考えたのでしょうか。
それは、彼の師匠であるソクラテスが処刑されたという経験からです。
ソクラテスは、皆さんも名前を聞いたことがあるかと思いますが、
非常に優れた哲学者であり、真実を追求し続けた人物でした。
彼は常に人々に対し「本当のことを知ることの重要性」を訴えましたが、
その教えは既成概念に満足していた民衆にとって
不都合な真実を突きつけるものでした。
真実とは時に残酷ですからね。
今の暮らしに十分満足している人にとっては
真実が厄介だったりするわけです。
そして、当時のアテネの民主政治で、
民衆が「若者を堕落させた」「神を否定した」として
ソクラテスを罪に問いました。
そして、その民衆の感情や偏見によって、
彼は処刑されてしまったのです。
やばくない?!
ソクラテスの命を奪ったのは、
民衆の感情や偏見なのです・・・。
この出来事がプラトンに
「民衆の判断に頼る民主政治のリスク」
を強く認識させた要因でした。
こうして、彼は
「知識と徳を兼ね備えた哲人による政治」
を理想とする哲人政治の概念を打ち立てたのです。
民主主義の課題と投票の重要性
一見すると、哲人政治は理想的な形にも思えますが、
現実的には「知識と徳を兼ね備えたリーダー」を見つけるのは
容易ではありません。
歴史を振り返ると、
強力なリーダーシップが一時的な安定をもたらすこともありますが、
その後に独裁や腐敗が進む例も少なくありません。
ナチスドイツによる独裁体制やユダヤ人虐殺は、その典型的な例と言えるでしょう。
私たちが学ぶべき教訓は、
「強力なリーダーに全てを任せる」ことのリスクを認識し、
民主主義の中で一人ひとりが権利を行使する重要性を再確認することです。
現在の政治がもし腐敗しているとしたら、
その原因の一端は「投票に行かない人々」にあるのかもしれません。
権利というものは、行使し続けることで守られるものです。
民主主義の権利を守り続ける唯一の方法は、
私たちがその権利を「使い続ける」ことに他なりません。
考えることをやめないで、ちゃんと投票に行こう
考えることを放棄せず、私たち一人ひとりが
「愚かではない選択」をし続けることが、
民主主義を支えるために不可欠なのです。
「民衆は愚かだから」という言葉が真実になってしまわないよう、
私たちにはできることがあるはずです。
それは、自ら考え、選挙に参加し、社会を支える行動を取ることです。
投票は、ただの義務ではありません。
先人たちが苦労して勝ち取った権利です。
選挙、行こうね。
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