マガジンのカバー画像

掌編集

50
運営しているクリエイター

#恋愛

掌編 「お互い様のカーディガン」

掌編 「お互い様のカーディガン」

「へっちょ」
 空っぽの体育館に音を響かせたあと、茜は咄嗟に口元を抑えた。
 文化祭実行委員の面々が、不思議そうな顔をして、茜の方に振り返る。口々に、え、今の……? 何、なんかあった? と疑問を呟いた。
 茜は身を小さく縮こめて、すみません、と肩を落とした。
 実行委員たちは、音の主が茜だったことを知ると安心したようで、元の通り、委員長を中心に集まって、再び会議を始めた。
 茜が顔を真っ赤に染めて

もっとみる
掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

掌編 「あなたの不幸せ、幸福論」

 私はあなたが望むように、あなたの不幸せという幸福を祈る。不幸せである限り、絶対の幸福に包まれると信じるあなたの、少し不真面目な幸福論を。
 きっと、そんなあなたの幸せ、いえ、不幸せを叶えてあげられるのは、私だけでしょう? そう考えることは、私にとって、どんなに慰めになるか分からない。
 ニーチェを引用し、人生はどれほど空虚なものかと嘆く時の、あなたのうれしそうな顔や、神は死んだ、と高らかに歌い上

もっとみる
掌編 「好奇心は乙女を殺す」

掌編 「好奇心は乙女を殺す」

「矢吹くんって、逢坂さんのこと好きなの?」
 埃だらけの資料室の中、大塚は無邪気にそう言った。尋ねられた矢吹はへぇ! と頓狂な声を出し、収めようとしていた本を取りこぼした。
「あ、好きなんだ」
 窓から入ってくる西日も、部屋を遮るように置かれた書架のせいで遮断され、物陰はひどく暗く、かび臭い。しゃがんだ大塚は咳き込みながら、矢吹の落とした本を拾おうと手を伸ばした。
「それ、誰に聞いた!」
「ひぁ!

もっとみる
掌編 「glass」

掌編 「glass」

 きっかけは席替えだった。最近とみに視界がぼやけるなぁ、と思っていたら、視力が落ちていた。
 窓際、最後尾という絶好の位置を占めたと思ったのに、私は非常に屈辱的な気持ちで配置換えを申し出ることになってしまった。
 私のたった一つの自慢は、視力2、0ということだったのだ。それなのに、調子のいいチャラ男におめおめと席を明け渡し、教師のお膝元、真ん中、真ん前の席に収まらなくてはいけなくなった。私はこんな

もっとみる
掌編 「もっと好きになっていい」

掌編 「もっと好きになっていい」

「直江くん、お金もーけに興味ない?」
 と水瀬さんに聞かれたぼくは、絶対に怪しい話だと心の中で確信しながらも、水瀬さんに興味がありますなんて下心を打ち明けられないまま、ほいほいと後ろを付いていくことになった。。
「頑張れば頑張っただけ、沢山お金がもらえるの!」
 水瀬さんはそういう人特有の輝ききった瞳でぼくに訴える訳で、一生懸命に見つめられると照れてしまう。見つめないでくださいよ、と口にしつつ、本

もっとみる

掌編 「私の呼んでほしい名前」

 ごまかし続けたら、嘘がバレるより先に我慢の限界が来た。
 陽菜ちゃんが交際していると聞いた。ぐるぐると空回りする思考を後回しにして、陽菜ちゃんと彼の関係に入り込み、その男を横取りしたけれど、彼があまりにつまらないので、この世から消し去ることにした。陽菜ちゃんはまつりの太陽で、まつりの天使だ。それにたやすく触れるなんて許さない。
 それと、どうして陽菜ちゃんが、あんな平凡な男にOKしたのか、理解で

もっとみる
掌編 「月蝕ブルース」

掌編 「月蝕ブルース」

 冬休みの初日、店番をしていると、鼻を真っ赤にして、熊野がギターを買いに来た。熊野はクラスメイトではあったけど、話をするのはそれが初めてだった。
 ギターを買いに来たとは言ったものの、熊野は特にほしい型や憧れのギタリストがいる訳でもないらしく、ずらりと並んだギターを前に固まった。聞けば、ギターはまったくの初心者で、この分野に関しては何も分からないという。
 そんな彼女におあつらえ向きの一本を選ぶの

もっとみる
魔女の贄 左

魔女の贄 左

 泉の水はこんこんと湧き出し、陽を浴びて、七色に光る。
 静かな午後、水路を辿り、家へと帰る私は、街のブルーベリータルトを二つ、贅沢して、軽い足取りで森の道を歩いていた。読みかけの本と一杯の紅茶が、この昼下がりを満たしてくれる。
 水路では、持ち主を失くした笹船が堰を越えて、街へと下る。大航海の大冒険、波瀾を横目に、勇者の旅立ちを私は見送る。マストのない小舟でも、森の奥から、おだやかな風が背中を押

もっとみる

魔女の贄 右

 泉の噂を聞き、やってきた森で魔女に出会った。甘やかな、緑の香る木漏れ日の中で、彼女は泉に笹舟を浮かべ、微笑んでいた。
「何か、ご用ですか……?」
 笹舟が流れ過ぎていき、ぼくに気付いた彼女は、顔を上げ、そう言った。
 午後の光に照らされて、彼女の黒髪は、魔力のこもった黄昏色に染まる。
 彼女は立ち上がり、スカートを払って、もう一度微笑んだ。
「実は、人探しをお願いに来たのです」
「それは泉に? 

もっとみる