夫に、3年後離婚します宣言をしたのが昨年末。 経済的に自立して、 実家に戻らなくてもやっていけるように、この地に居続けたいがために、『3年後』という期限を決めた。 そして、自分の気持がまぁいっか。 とならないように 周りにも宣言していた。 『今度こそ離婚するんだ。』 『離婚して私は自由になるんだ。』 という“私は夫といる限り不自由”な前提だったなと今なら思う。 夫に過去に言われたこと、された事、してくれなかった事の、憎しみの種をずっと大事に抱えて育てていた。
人は、言語以外から多くの情報を読み取っている。 関われば関わるほど、目の前にいる人が本気で生きているのか、本心からの言葉なのか、保身に走っているのか、 そんなものは簡単に伝わってしまう。 どんなに繕っていようと、 人間のずるい部分なんてものは 簡単に相手に伝わってしまうのだ。 集団に属していればいるほど、そこで自分のずるさに気付き、本心が別の所にあるのを自分でも分かってしまう。 集団に属すのが怖いというのは、人との関わり以前に、見たくない自分の一部や、平凡で何者で
記事を書こうとすると、題名とは関係のない所にあっちこっちに行ってしまって、結局ゴールが分からなくなる。 そうして未完成の記事が下書き保存に増え続けていく。
小さな頃から自分の感情との向き合い方が分からなかった。 小さな頃と言っても一番古い記憶だと小学生3年生くらい(くらいというのはここら辺の記憶が曖昧だから) 確か、どうしようもなくなると叫び声を口の中に閉じ込めて、唸りながら髪の毛を引っ張ったり自分で自分を叩いたり、血が滲むくらい身体中を掻きむしっていた。 中学生の頃はカミソリやハサミで身体を切ってみたり。(でも死ぬのは怖いので致命傷にならないところ) それは大人になってからも続いて、感情がどうしようもなくなると色んな形
ヘナタトゥーワークショップに参加して、 身体に描くというのは、人の原始的な歓びと深く繋がっているな。と思った。 自分を装飾する事は、生命の豊かさの現れ。 明日食べるものに困っていたら、きっとそんな事はできていない。 命を繋ぐのに必死だったら、どこか、自分の肉体を置いてきぼりにしていってしまう。 たぶん、誰だって、自分の中にあるものを表現したがっている。 それを、下手かどうか。 周りにどう思われるか。 で閉まっておくのは勿体ない。 唯一無二の、自分の表現を見たがってい
私は時々、ある空想をする。 それは目が覚めたら中学校の入学式の日にタイムスリップしているというものだ。 そこから、人生をやり直していく。 苦手だった英語から逃げずに向き合うこと。 恐怖政治を敷いていた部活の顧問に一度は反抗すること。 あの男の子とは付き合わないこと。 すぐ泣かないこと。 高校は同じ高校に入学し、その後は専門学校ではなく秋田の大学に行く。 そこで留学もしたい。 大学卒業後は、今の旦那とは出会っても付き合わないこと。 そんな事を布団の中で考える。 大抵、
息子よ、掃除機をかけるために片付けた積み木をバラまくのをやめてくれ。 息子よ、私のズボンを下げるのをやめてくれ。 息子よ、ご飯を炊飯器から直食べするのをやめてくれ。 息子よ、私にちん◯をつけるのをやめてくれ。 息子よ、鼻をほじるのをやめてくれ。 息子よ、お茶の入ったコップにぬいぐるみを沈めるのをやめてくれ。 息子よ、お箸を隠すのをやめてくれ。 息子よ、寝てる母の鼻の穴に指を突っ込むのをやめてくれ。 息子よ、母は毎日やめてくれと思うことがたくさんある。息子に怒っ
初めてのnoteで、初めての投稿だけど、 胃が痛い。 なんてふざけてるのかもしれない。 きっと誰も見ることは無いだろうと思いつつ、日々の出来事を自由に、Twitter感覚で書いていきたい。 本題に戻るが、ここのところ胃の調子が悪く、今朝も起きてからずっと痛い。それにプラス空腹だと胃がもたれているような不快感もある。 私の胃はどうしてしまったのかと、胃カメラを飲んだのが先月末。 結果は慢性胃炎と逆流性食道炎の一歩手前とのこと。せっかくなのでピロリ菌検査もしてもらったが、陽