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詰めといて

ぼんやりと好きな音楽を聴きながら散歩に出た
夜の街は肌寒くて
連日の茹だる日差しが嘘の様だ
耳元ではライブハウスでふらりと出会えた
ピアノ弾き語り葉山久瑠実さんの「遺言」が流れている

私が死んだら貴方にいくつかお願いよ
棺には私の愛した音楽をつめといて

愛した音楽
私が死んだら一緒に燃えて欲しい音楽
棺に入れてくれる誰か
たらればたらればで歩みが進む
軽快なピアノにちょっとスキップでもしたい気分

家族は居ない
恋人も子供も居ない
社会的に私と繋がる人は誰一人居ない
身軽で軽やかな人生
何にだって成れるし何処へだって行ける
この感じを楽しめるぐらいには
私も少し大人になったみたいだ

今日は片付けの途中に懐かしい写真を見つけた
二年間私を育ててくれた施設の玄関で
高校生の時にとったものだ
一つ歳下の双子の女の子に挟まれて
ピースサインで写っている私
恥ずかしそうに笑顔が歪んでいる所が
今もあんまり変わっていない様に思う
家族の様に育った二人だったけれど
今では連絡先も知らない
最後に会ったのは二十五歳位の時だったか
何処かで元気にやっているのだろう

人間は自分の知っている事しか教えてあげられない
今でも私に深く刺さっている言葉
だからお前だけは子供を産むなよと
皮肉めいた事を職員に言われた

虐待ネグレクト育児放棄欠食児童
名前も形も様々な無関心が
日々何処かで誰かを傷つけている
愛しているから躾がエスカレートするなんて
そんな戯言は信じていない
殴る奴は何時だって
極めて不愉快そうな顔の奥で微かに笑っていたのを
私はちゃんと知っている

そうやって育った奴は
自分の子供にも同じ事をしてしまう
それが親で教育で躾だと体の底に刻まれている
それしか知らないから
実際に写真で微笑んでいる双子の片割れは
自分の産んだ子供を自分が育った施設に送った
育てられないからという一言だけで
先生、貴方は正しかったのかもしれません

私は生涯自分の子供を抱く事は無いのだろう
ぼんやりしてるけど
何処か確信めいているように思う
死ぬ時はひっそりと
もしかしたら一人で逝くのかもしれない
結婚していたら旦那さんよりは先に逝きたいね
寂しいのにはめっぽう弱いから

私の最期に流れているのは
どんな音楽なんだろう
十代の頃から今でも好きな曲はあるけど
生涯私の側に居てくれるのは
どんな曲かな

もしかしたらあんまり好きじゃないななんて
こちらが手放したあの曲が
ふらりと帰って来てくれるかもしれない
私の知らないキラキラした青春みたいなもので
勝手に青くなるなよと傲慢に距離を取ったあの曲も
流行っているからと言う理由で何となく聞かなかったあの曲も
無関心に取り残された子供みたいに
誰かの棺に入るのを待っているのかもしれない

出来るだけ沢山の物に出会いたい
人生は夢だらけなんて
言い得て妙だと最近は思える
折角出会えたのなら
ほんの少しでも触れ合えたら嬉しい

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