フランツ・カフカと「オドラデク」
となりのカフカ
池内紀の『となりのカフカ』によれば、カフカは半官半民の「労働者傷害保険協会」に勤めるサラリーマンだった。書記見習いとして就職したが、すぐ正規の書記官となり、係長・課長・部長ととんとん拍子に出世した。書類作成に長けた有能な官吏だった。現場で事故があり保険金申請の書類がくる。疑問があると現地に出張し調査する保険調査員。
カフカの担当は、ボヘミア地方でも最も工業化が進んでいた北ボヘミア地区で、保険金授受と密接に絡む事故を惹き起こしやすい工業機械についての論文を書いたりもした。そもそもカフカは自転車・オートバイが好きな機械好きでもあったらしい。
カフカが親戚のなかでもとりわけ親しみを寄せていた母方の叔父がバイク好きで、彼が持っていたバイクの製品名が「オドラデク号」と呼ばれていたという。カフカの「家父の気がかり」(『断食芸人』池内紀訳や『カフカ短編集』に収録)には、オドラデク(Odradek)という不思議な生物が登場する。
オドラデク
ボルヘスは『幻獣辞典』でオドラテクを項目に取り入れて紹介しているが、説明のしようがなかったのか、このカフカによる小品をそのまま掲載している。
澁澤龍彦の『思考の紋章学』の「オドラデク」というエッセイによれば、ボルヘスはオドラデクを幻の「動物」のカテゴリーに入れており、反対にフランスの批評家のジャン・ポール・ヴェルベールは、これをはっきりと独楽の一種と断定しているという。
この間をとって、澁澤は「生きた物体(矛盾のようだが)と見ておきたい気持ちが強い」と言い、「物体なればこそ、この話は異様なリアリティを帯びてくる」とその物体性を強調している。なぜか? 澁澤の文章を引用してみる。
《この完全な無意味性は、私たちのあらゆる先入見や固定観念から免れており、いわば私たちを途方に暮れさせるに十分なものであるだろう。オドラデクの意味について考えをめぐした途端、私たちは漠々たる虚無の中にほっぽり出されるのだ。オドラデクは、もとよりアレゴリーでもなければ、たぶんシンボルでもないだろう。もしかしたら、これこそ物自体の顕現ではなかろうか、とも私は思う。すなわち、現象の背後にある物自体が、カフカの思惟を通過することによって、突然、目に見える具体物となって顕現したかのような感じなのである。だから、この物体は現象によっては何としても説明がつかず、また説明がつかないから一層刺激的なのだ。》
物自体説
澁澤龍彦が言う、オドラデク=物自体という説を真に受けるとどうなるか。カント哲学の以前には、二つの代表的な考え方があった。一つは「経験主義」。事物をありのままにとらえるためには、自分の経験を通して得られるものが最も信頼できるという考え(山がある→人間には山が見える)。もう一つは「観念論」。数学の定理や論理操作など、人間の悟性の方がより信頼できるという考え(人間が山を見る→山はある)。
しかし、カントの「認識論」(『純粋理性批判』)では、実際には感覚を使おうが、悟性を使おうが、私たちは主観で物をみたいようにしか見ないのだから、認識として得られるのは現象というイメージだけにすぎない。ありのままの物は人間の外部にあり、感覚や推論を通じてしか認識することができない。人間にとって直接に扱うことができて、客観的に手に入れることができるのは現象というイメージだけなのだ。
生きた物体
カントの考えでは、我々が認識できるのはうわべの現象だけで、物そのもの、物自体は分らない。物自体は経験の背後にありつつも、経験を成立させている。物自体は認識できず、存在するにあたって我々の主観に依存しない。因果律に従うこともない。だが、物自体の世界が存在するといういかなる証拠もない。
しかし、カントは、そうした分らない不可知の物自体から、人間は感覚を受け取っているのだとも言う。物自体からの刺激がなければ、私たちは認識の材料を得ることはできない。だから、物自体は何だか分らないが、認識の原因であることになる。
澁澤龍彦がオドラデクのことを、矛盾しているが動物でもなく物体でもなく「生きた物体」と言いたがったのは、そういうわけである。オドラデクの持つ気味の悪さ、それでいて人なつっこい感じは、私たちの傍にありつつ、私たちの経験できる現象の外側にある「物自体」の不可解さと似ていると、澁澤は言うのである。