『ウイダーの副王』 ブルース・チャトウィン
数年前、西アフリカの海沿いの町ウィダーを歩いた。まだベナンがダホメー王国だった頃、王は近隣の部族を捕虜にし、この町から黒人奴隷として北アメリカ、カリブ海、南米へ売って巨万の富を得ていた。船に乗るために延々と歩かされた「奴隷街道」は、乾燥して埃っぽい道だった。海岸へいく途中、男は九回、女は七回まわると記憶が失われる「忘却の樹」や、新大陸で死んでも魂だけは故国にもどってくるという「帰還の樹」があった。伝承の真偽はともあれ、砂浜にでるとギニア湾の荒々しい海がひらけ、船出した奴隷たちの心細い気持ちを想像することができた。
ブルース・チャトウィンが書いた『ウイダーの副王』は、この町を舞台にし、実在した奴隷商人デ・ソウザをモデルにした年代記的な小説である。十九世紀前半、ブラジル東北部出身の白人は、ダホメー王と血の契りを結び、奴隷交易で大もうけして一時はアフリカで五指に入るほどの富者になった。この小説では、ダホメー王の命令で故国に帰れなくなり、地元の風習や女性に引きずりこまれて混血の子孫を多く残し、最後はすべてを失っていく人物として描かれている。
主人公は地元のヴォドゥン信仰を受け入れるが、蛇の神にたたられて発狂する神父の挿話もでてくる。小説に登場する蛇の寺院は今もウィダーにあり、巨大な蛇が十数匹とぐろを巻く姿を拝ませてもらった。寺院の外で祈祷師の爺さんに「ヨヴォ(白人)!」と呼び止められ、何をしにきたと問われた。「奴隷の歴史と憑依儀礼に興味がある」と答えると、「わしらの祖先は南北アメリカへ奴隷にいったが、代わりにヴードゥーを広めた。今ではお前みたいな訪問客がくるほどの世界的な宗教になれた」といってゲラゲラ笑った。負の歴史を冗談にして笑いとばすこと。それこそが西アフリカの民衆が持つバイタリティであり、チャトウィンが書きたかったことなのかもしれない。
初出:共同通信「読書日和」
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