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ハニ族の通訳さん

 次の本を書くため、東ヒマラヤ、ミャンマー、ラオス、フィリピン、パラオといった地域に暮らす少数民族を訪ねる旅を続けている。九月に念願だった中国の雲南省にいくことができた。ヴェトナムと国境を接する河口[ハーコウ]の町から、乗合バスで紅河の上流へむかう。町をはなれると漢族がいなくなり、ヤオ族やミャオ族の人たちの土地らしくなる。二千メートル級の山岳地帯にかかる霧をかきわけるようにして進んだ。辟易としたのは、公安辺防という警察の検問所の多さだ。金平[ジンピン]まで八時間の旅程で、三度の検問があった。地元民はすぐに通れるが、外国人は名前、パスポート番号、旅行の目的などを詳しく聞かれる。かつては阿片の密輸業者が多かったせいか、バッグを徹底的にさぐられ、歯磨き粉のチューブや風邪薬のカプセルの中身まで調べられた。

 そこまでして紅河ハニ族イ族自治州の奥地にいきたかったのは、タイとミャンマーの国境地帯で調査したアカ族が雲南ではハニ族と呼ばれており、両者の文化習慣を比較するためだ。しかし、雲南の深南部まで外国人旅行者がくることは珍しく、ツアーガイドや通訳を見つけるのも容易ではない。早朝、ホテルに四〇歳のバス運転手と一九歳の姪が迎えにきた。姪は猫のような大きな目をした、少女っぽさが抜けないかわいらしい娘だった。有名なお茶と似た普洱迎[プー・アルヤオ]という名で、自分のことをプーと呼んでほしいと片言の英語でいった。部族語名を別にもつので、中国語名は安易につけているのかもしれない。

 古俗の残る永平[ヨンピン]村に連れていってもらった。盘美英[パン・ミェイイ]という紅頭ヤオ族の六三歳の農家のおばさんに会った。信仰している祖霊や風神雨神のこと、それにまつわる祭祀について質問した。昔は虎が多かったので、毎年虎が住む穴のなかに女性のいけにえを捧げ、それで村人の安全は守られたという口承を採集した。おばさんはヤオ族だから共通語の雲南方言で話し、それをプーが英語と、スマホの翻訳アプリを使って日本語に訳す。彼女なしでは村での調査はできなかっただろう。稲刈をするハニ族の農婦の話を聞くため、棚田のあぜ道をのぼっていくと、プーもワンピースの裾をたくし上げ、ヒールサンダルを履いたままで付いてきた。

 翌日、近くの村で曹四妹[ツァオ・スーメイ]というハニ族の七九歳のおばあさんに話をきいた。親が結婚に同意せず、一六歳で家出をして嫁いできて、五人の子ども、九人の孫に恵まれた。仏教や儒教の影響はあまり見られず、彼女は健康を司る竜神を信仰し、牛のいけにえを捧げてきたという。仕事で体を動かし、野菜ばかり食べるので大病を患ったことがないといって笑った。おばあさんはハニ語しかできず、若いプーはハニ語がわからない。ハニ語→雲南方言→英語の通訳に、ふたりの人間を介したので聞きとりは困難をきわめた。その日の夕方、車は急勾配の坂を下っていった。東京にきてみたいかとプーにきくと、彼女はこくりと頷いて「この国の外を見てみたい、だから英語を勉強してるの」といった。金平の街なかで車をおりた。振り返るとプーが後部座席から手を振っており、その白くほそい指がはなかく見えた。

初出:「文學界」

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