卯月 めい

日々思うこと、感じたことを綴ってみたくて始めました

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最近の記事

「遠い未来も蝉の鳴き声を」

今年の夏も蝉の鳴き声を聞いた。 早朝四時半頃には既に蝉が鳴き始めている。蝉には鳴く時間帯があると聞く。鳴いて鳴き止んで休んでまた鳴いてという具合に。 よく語られる、地上に出てから七日くらいしか生きられないという悲劇的な側面を持つ生き物故に、可哀想にという気持ちを持つ人が多いかもしれない。幼少期から現在に至るまで、私自身も似たような気持ちを持ち続けてきたひとりである。 蝉の幼虫は何年間も土の中にいる。その数年は長い。一生分の殆どが土の中で、地上に出てきて子孫を残し生命を終

    • 「例外〜小説よりも映画だった」

      原作の小説よりも映画になった時の方が感動した作品がある。 私は、元々小説を読むのが好きなので、映像化される時に落胆することがある。漫画にも言えることだが、原作越えは基本的に難しいと考えている。 何故なら、どうしても無理が生じるからだ。原作に愛着があるひとにとって、少しの変更でもあれば、それは違うものになってしまう。原作を逸脱することが許せないのかもしれない。 好きな作品は幾つもあるが、やはり読むことができる量には限界がある。直感で読みたい、と感じたものから読んでいくので

      • 「燕〜ツバメ」

        ツバメの巣を目にした。 親鳥が出入りしている様子から、目で追うと巣にたどり着いた。 その建物はおそらく昔ながらの塗装で、ツバメに優しいのだろう。 私が見たのは、光沢のある紺色の体でくちばしの周りが赤く見える、皆が比較的よく知るツバメである。 低空飛行なので、見つけやすい。 ツバメというのは、巣を作った場所に翌年も訪れると聞いたことがある。 ところがどうだろう。最近の建物の塗装では、滑ってしまいツバメは巣を作れないそうだ。 人間にとって都合よくできているものこそ、自然界

        • 「好きな作家」

          読書が好きであると伝えると、好きな作家を尋ねられることが多い。 好きな作家は確かにいる。 ただその作家の書いた作品が全て好きなわけではない。 当然あり得ることでおかしなことではない。 むしろ、この作家のこの作品が好きだ、と私は答えたい。 気に入った作品に出会った時に、この作者は他にどんなものを書いているのか気になるのは自然なことだろう。御多分に洩れず私も必ず考える。そして調べる。便利な時代で、インターネットですぐに情報が手に入るのだから。調べた情報に基づき、興味のわいた

        「遠い未来も蝉の鳴き声を」

          「なにもしないをしよう」

          友人から受け取ったLINEのスタンプに付いていたひとこと 『なにもしないをしよう』 藪から棒になんだろう、と感じたのは一瞬のことで、周りから見て自分は余裕がなかったのだなと思い至った。 慌ただしさの中にも、心を無にする時間が必要なのかもしれない。 というのも、自分なりに休む時間を生活の中に入れてきたつもりだからだ。 例えば私は、朝食後、毎朝珈琲を淹れる。 珈琲好きを公言する私は、豆から手回しのミルで挽いて、湯の温度も考えながら淹れる。一杯を飲み終えてから一日が動き始める

          「なにもしないをしよう」