見出し画像

「なにもしないをしよう」

友人から受け取ったLINEのスタンプに付いていたひとこと
『なにもしないをしよう』

藪から棒になんだろう、と感じたのは一瞬のことで、周りから見て自分は余裕がなかったのだなと思い至った。

慌ただしさの中にも、心を無にする時間が必要なのかもしれない。
というのも、自分なりに休む時間を生活の中に入れてきたつもりだからだ。

例えば私は、朝食後、毎朝珈琲を淹れる。
珈琲好きを公言する私は、豆から手回しのミルで挽いて、湯の温度も考えながら淹れる。一杯を飲み終えてから一日が動き始める。

朝、一定のゆったりした時間を満喫していると思いきや、よくよく振り返ってみればどうだろう。豆を挽きながらテレビのニュースに耳を傾ける、粉に湯を注ぎながらも気を取られていることもある。流石に飲む時はじっくり味わいたいという理由でテレビのスイッチは切る。今度は飲みながらスマホでメールチェックやその日の予定のチェックを行う。…一体どこにゆったりとした自分時間があるのだろうか。振り返るとともに呆れてしまった。

改めて、なにもしないをすることについて考えてみる。自分には心を無にする時間があるかどうか、またそれは必要なのかについて。
答えは是だ。
なぜなら実行してみた結果が物語っている。

まずは珈琲豆を出すところから。
いつ頃どんな気持ちで購入したかが自然と思い出された。ワクワクしながら豆を挽く。ガリガリとなる音も心地よい。湯の温度は九十度くらいと決めているが、時にはもう少しだけ低い温度で淹れることもある。味わいが変化する楽しみがあるのだ。また普段は三投(三回に分けて湯を注ぐ)で淹れるのだが、時には思い切って一投で淹れてみる。当然味わいも後味も変化する。ワクワクする気持ちが止まらない。
そしてじっくり味わって飲む時間。カップに顔を近づけて息を吸い込む。この時に香りがふわっと入ってくる。それを感じつつ飲む。至福の時間。自然と瞼を閉じていた。心が無になっていたと思う。

本当の意味での朝のコーヒータイムとでもいおうか、リフレッシュした。

慌ただしい毎日の中で、自分自身を確認するためにも、私にはこの時間が必要だ。

なにもしないをしよう。
各々の見解はあるだろうが、私には心を無にする時間を持つことが必要だと教えてくれた。

ルーティーンと言えるほどのものかはわからないが、自分の中に据えておきたい事柄になった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?