みなさんこんにちは、こんばんは。 つれづれなるままに書きなぐっているまちゅりかと申します。 このアカウントは、自身が適応障害になり休職せざるを得なくなった事から備忘録として継続しています。 拙い文章ですが少し私の事を書かせていただきます。 元々は至って普通の兼業主婦でした。 フルタイムで働きながら育児し、思い返せば仕事と育児と家事に忙殺された日々を過ごしていました。その甲斐あってか、裕福ではないものの子供を大学に通わせる事ができるまでになっていました。 子供達もあと数年
退職してから数週間経ち体調とは別の心配が過ぎる。 そう お金だ。 主人の扶養に入ろうかと思って調べてみたがどうやら今年度は難しいらしい。 という事で先日国民健康保険の手続きをした。 先週末に離職票が届いたので今日はハローワークに失業保険の手続きをしに行こうと朝から出かけたのである。 …緊張している。というか怖い。 失業保険の手続きは初めての事だし、ハローワークに行った事すらないのだ。 幸い自宅から然程遠くないので通うのは苦ではない。 必要書類、印鑑、証明写真よし。
今日は何も予定がない。 旦那も子供も出かけているし、気兼ねなく家に篭ろうかとコーヒーを多めに淹れる。 部屋中にコーヒーの香りが広がり心も落ち着く。 普段はブラックなのだが、甘いのが飲みたくて蜂蜜をたっぷり入れてみた。 それがとても美味しい。 ゆっくり味わいながら昨日の事を思い出す。 ああそうだ。 退職届とユニフォームを返却しに職場へと出かけたのだった。 短期離職のため職場に合わせる顔がなく、正直郵送で済ませたかったが私もいい大人。 立つ鳥跡を濁さず、だ。 体調不良とはい
仕事に行かなくちゃ。 重だるい体を布団から引きずり出す。 実は2日欠勤した後の出勤なのだ。 あぁ…今日は仕事に行けるだろうか。 身体が動くだろうか。 仕事をこなせるだろうか。 そんな事を考えながら身支度を済ませる。 前職で適応障害を患い空白期間を開けずに転職をしたものの、体調不良で欠勤をする情けない人間、それが私である。 最初は至って普通に出勤して仕事をしていたのだが、1ヶ月経つ前位から倦怠感、めまい、眠れない、眠いといった症状に苛まれ、 職場への申し訳なさから退職を決
私が利用した転職エージェントではアフターサービスがあり、近況を報告することになっている。 そこで、入職したもののすぐに体調不良でんでしまい退職を考えているとの旨を伝えてあった。 するとエージェントの担当さんは私の状況等を上手く伝えてくれ、その中のやり取りで会社の意思を次のように伝えてくれた。 迷惑や辞めてほしいなんてことは思わないのでまずは体調優先で体調すぐれないなら管理者にも相談し休んで検査等いってほしいとのこと。 検査の上病気の診断が出たら1ヶ月は遠慮なく休職していただ
適応障害と診断され、2ヶ月程休職しその後復職を果たし半年程勤務を続けたものの、どうしても違和感が拭えず退職。 その後空白期間があってはいけないという思い込みから焦って転職活動をし、同業種に転職をするものの、すぐに仕事に支障をきたす程体調不良になり退職を決意。 とまあこれが現在の私である。 なんせ身体が動かない。 眠れない、だるい、目眩と不調が重なりついに欠勤を数回重ねてしまっている。 転職したばかりで体調不良なんて自分はどうしようもないダメ人間なんだと自分をかなり責めた。
勢いで退職を決めたはいいものの次の職場が決まっておらず、冷静になると同時に焦り始めた 十分な金銭的余力を持たずしてこれからどうやって生活していくのか 一刻も早く転職先を見つけなければ… とにかく複数の転職サイトに登録をし退職までに暇を見つけて転職しようと試みる 次の日に折り返しの連絡が来て、担当者さんに状況と希望条件を伝えると「ご希望の条件になるべく沿うように探してみます!頑張りましょう!」とテンション高めに鼓舞された その後何度かやり取りをし、数社の面接が決まるまでは本
復職して数ヶ月腫れ物に触るようなことも無く過ごしていたのだが結局のところ私を取り巻く環境は変わることなく、かといってどうにかなる訳でも無く… やはり戻って来ない方がよかったのではないかと思うように 一番の決め手は直属の上司が異動になった事だ フォローしてくれる上司がいなくなることで私のモチベーションがグッと下がってしまった やりたい放題の同僚と何でも下に丸投げの上長と事なかれ主義の管理者の元でどうしろというのか 私はこの職場で働く理由を見いだせなくなっていった ある日を境
復職して半月経ったが休職期間はあっという間だと改めて気づく。毎日自分の都合で生活出来る気軽さはとても心地よく、同時に自分が家にいる事で家族の予定を把握しなくともよいストレスフリーな期間であった。 我が家には猫さまがおり、寂しい思いをさせたくないと個々に愛猫の留守番の時間を極力減らすようにしている。 私は業務上夜勤もするので家族の予定のすり合わせは必須なのだ。 愛猫のお世話は我が家の最重要事項という親バカ一家でもある。 そういった理由で家族の予定を把握して自分の勤務調整をする
2月に無事に復職し数ヶ月が経った 1週間も経たずに前のように業務をこなせるようになり、それから何事もなかったかのように毎日が過ぎて行った 休職前に昇進の話があり、有耶無耶になっていたソレをごく自然に受け入れこうして数ヶ月、、私の中の何がが弾けた 仕事は好きだし職場の人間関係も我慢できない程でもないが、日に日に会社の方針に不信感が募る もうこうなると自分の気持ちに嘘はつけない 【退職】この2文字が頭をよぎる 無事に復職し昇進目前で順風満帆なはずなのに会社を知れば知る程募
色々悩み復職を決めてから本日より職場復帰となった。 土日祝の関係ない職種とは言え土曜からというのは如何なものか。 少し憂鬱な気分で職場に向かう。 心なしか足取りが重い。 退職も致し方ないと考えて休職したおかげで私物を全部持って帰った私の今日の荷物が多いのなんの。 菓子折りと仕事で使う私物は通勤ラッシュの厳しさを更に助長する。 はぁ 思わずため息が漏れる。 この調子で働いていけるのかとも不安になる。 重い足を気合いで前へ進め職場へと向かう。 いざ来てみるとなんて事はない。 と
今月分の傷病手当金申請のためクリニックへと足を運ぶ。 数日前に復職すると決めてから、何となくではあるが日々の生活に気持ちいい緊張感を感じる。 受付のお姉さんに書類を渡し座れる椅子を探す。どうやら今日は混んでいるようだ。 電車や飲食店が混んでいるのは気分が滅入るが、ここは不思議とそう言った気分にはならない。寧ろ同じ釜の飯を食べた同士のような感覚になる。 まぁこちらが勝手にそういった感情を抱いているのだが。 クリニックへ受診しに来ている方たちにしたら一緒にされたくないだろうがそこ
復職すべきか休職を続けるべきか。 どちからを選択しなければならない時が来た。 決めるのは無論私だ。 だが、当たり前の事なのに自分の事を自分だけの判断で物事を決めていいものかと悩んだりする。 子供たちは「ママの好きにすればいいんだよ。」と言ってくれる。 ダンナ様としてはもちもん働いて欲しいだろう。 周りの気持ちや希望を汲むのが当たり前になってしまって自分の意思がわからなくなっている。 私は私であり、妻であり、母である。 結婚して子供を育ててきたこの十数年間は自分の感情や意思を
今日も愛猫に起こされる。 休職してからはご飯の後にたっぷりと撫でて遊んでスーハー吸ってと贅の限りを尽くし過ごして来たが、今日はそういう訳にはいかない。 愛猫のお腹をたっぷり堪能しもう1回…いやいや後ろ髪を引かれるが今は出かける準備をしなければ! … ちょっとした葛藤に勝ち、玄関のドアを開ける。今日はいい天気だ。 クリニック受診の日なのだが、お日様のおかげか足取りも軽い。 受付のお姉さんに保険証と傷病手当金の申請用紙を渡す。 自分の順番が来るまで深く深呼吸をして待つ。以前はドキ
私には二人の娘がいる。 年に何度か大きな喧嘩をするが、小さい頃から全く同じ事が原因なのだ。 全く本当に二人共学習能力がない。 今日も気がつくといつの間にか始まっていた。汚い言葉が家中に飛び交う。 はぁ。またか。とため息が出る。 喧嘩なんか放っておけばいいと傍観しているのだが、上の娘はそれがどうしても許せないらしい。私を憎々しげに睨みつける。毎回こうしてとばっちりをうける。 喧嘩の発端は決まって下の娘が上の娘の物を勝手に使うからだ。 上の娘は自分の物を使われるのが心底嫌なの
自分が適応障害と診断される直前の体の不調と精神的な不調がどんなものだったか思い出してみる。 身体症状 不眠 動悸 心因性胸痛(胸の圧迫感も) 吐き気 下痢 息苦しさ 精神症状 急に不安になる 抑うつ 喜怒哀楽の感情が薄くなる 顔の表情が乏しくなる 今まで出来ていた事ができなくなる(時間がかかる) 集中出来ない 焦燥感 記憶の保持が出来ない(モヤがかかったように曖昧になった こんなにも症状があったのにも関わらず、自分ではまだ大丈夫だと思っていた