芸術でビジネスをするという新しい芸術家論(芸術派生宣言から)
以前にも書いた問題ですが、
芸術とビジネスというのは、
非常に相性の悪いものなわけです。
なぜなら芸術とは人間そのものである、
私の美学から言いますと、
「美とは愛であり 愛とは人である」
愛とは人間にしかないものであると、
私は考えていますので、
その上で芸術とは人間そのものである。
その様な事を述べているわけです。
つまり美術という造形芸術を、
ビジネスとして考えた時に、
まず作品そのものを販売する。
その様な事を考えるわけですが、
それはある種、
我自身を売り飛ばすのと同様の事なのです。
特に感傷的である日本人は、
その様なドラスティックで、
定量的な評価を嫌う節があります。
つまり日本人にとって、
芸術を売買するという事自体に、
強い嫌悪感を持っており、
それは魂を売る様な事であり、
特に、
資本主義をベースにした現代アート、
現代美術などは未だに普及しないのも、
その様な独特な感傷的性質が強いからです。
そんな中で私も長い間色々と考えてきたわけです。
純粋芸術としてのアート。(造形芸術)
資本主義をベースとしたアート。(現代アート、現代美術)
現在生きて活動している芸術家は、
この現状をなんとか乗り越えていかなければならない。
その様な根拠の無い強い使命感を抱いていたわけです。
そんな中で私が発明したのが、
「芸術派生」(デリバティブアート)。
という概念です。
そもそも、
人間の他の営みを考えてみると理解できるのですが、
それぞれの人間の根源的営みは、
それぞれビジネスとして派生しているのです。
それは具体的に、
第一次産業、
第二次産業、
第三次産業 、
しかし芸術、
特に純粋芸術は、
まだ第一次産業で止まっているままである。
私はその事に気づき、
強い違和感を抱いたのです。
そしてそれと同時に哲学的な考察も加え、
現在において造形芸術を、
純粋芸術たらしめるには、
造形芸術を第一次産業から解放する。
それが絶対的に必要であると認識しました。
それはビジネスとして、
第一次産業を抜け出す事で、
芸術そのものの価値を無効化し、
派生的価値へシフトする事で、
価値というドグマから抜け出した、
純粋芸術は、
やっと本来あるべき純粋芸術を、
再度獲得できる。
これは私の考えた、
純粋芸術再興の提案なのです。
しかしこの私の提案は、
非常にレベルの高い新しい芸術家を求めます。
それはビジネスには定量的な尺度が必要だからです。
定量的な尺度がなければ、
多くの人々を納得させることはできません。
その定量的な尺度ができれば、
ビジネスとしての大きな間口が広がります。
ビジネスとしての大きな間口ができれば、
やっとそこで芸術派生として価値を創造し、
純粋芸術は再興されるのです。
今私が具体的なアクションとして、
狭山美学校というものを運営しています。
現在のメインの事業は民宿です。
民宿という大きな間口を創り、
純粋芸術を体験してもらうレトリックです。
現在私が日本を見渡し、
この様な活動を行なっている芸術家は、
チームラボ位だと考えています。
基本的なスタンスとして、
私はチームラボに否定的です。
それは芸術構造を理解していないからです。
しかし芸術派生という文脈では、
非常に評価できると考えています。
もう純粋芸術の第一次産業は終わりの時代です。
私たちは芸術派生として、
新しい価値を創造し、
純粋芸術の再興を実現しなければならない、
そう強く考えています。
美学者母
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