才能とは何か

ある人は僕に才能があるという、

ある人は僕に才能がないという。

この事に対する僕の答えは後者である。

僕はある時自分に才能がない事に気づいたんだ。

だからあらゆる事を理解する事に情熱を傾けた、

理解しないと自分の中で消化し表現できないから。

例えばそれは表現において、

自己排除し、自分の力の及ばない力で表現しようとするときも、

たとえばアートでいえばオートマチズム的な事だったりでも。

それは僕の理解の上にその現象は起こっている。

なので僕はある種西洋的精神において救われた人間で、

日本的精神においては存在すら無い。

才能がない人間は、ある種修行しなければならない。

西洋的にはそれは学問であるし真理を追究する事。

日本的にはそれは技巧であるし超表面性を手にいれる事。

実はこの二つには大差はないのである。

西洋は演繹的に積み重ねてその重厚さの表面性を手にいれる。

日本はひたすら技巧を積み重ね、

その演繹的なプロセスを超えその超表面性を手にいれる。

これは才能がない人間が行う振る舞いであるが、

本当に才能がある人間というのは、

その文脈や鍛錬をも凌駕し、

その刹那にその表面性や超表面性を表現できる人の事。

それが「才能」であり「天才」であるのだ。

具体的な話で、

イチローが椎名林檎の才能に嫉妬したという話がある。

これはよく理解できる話なのだ。

僕の持論では、

イチローには才能がないが椎名林檎には才能がある。

アートの世界では、

村上隆には才能がないが草間彌生には才能がある。

このように分析できるわけです。

その刹那に表面性や超表面性を、

文脈や鍛錬を伴わずにできる人が、

「才能がある」または「天才」なのだと考えています。

美学者母

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