正直者論(ラッパーの舐達麻、孫GONGから見るプラグマティズム)
どうもぉ!!!
最近赤髪になって、
大阪のおばちゃんやろ!!!
って言われまくる日々の美学者母ですwww
またなぜ僕が今赤髪になったのか、
それも書きたいと思っているのですが。
今日は「正直者論」として、
現代のヒップホップやラップなどを通して、
ある種哲学的なプラグマティズムへと展開していこう、
そう考えています。
最近僕も41歳になって、
昔の友達なんかが、
よく遊びにきてくれたりして、
色々とミーティングしているのですがwww
やはり共通した生きにくさとして、
自分の考えている事や感じている事を、
「正直」に「表現できない」という、
根本的なフラストレーションを抱えています。
しかし私の場合、
皆様もご存知の通り、
なんでも言ってしまう、
というかまぁ「表現」するわけです。
まぁこの様な一般人と美学者母との差異、
その様な事も述べていきたいのです。
まぁまず私の原風景として、
一番に「野球」があります。
これも何度も述べていますが、
清原さんも所属していた、
「岸和田リトルリーグ」「岸和田シニアリーグ」に、
私も所属していました。
その後、鳥取県へ野球留学します。
その時代の「野球部」と言えば、
「根性論」の最終世代くらいなので、
練習でも「暴行」、練習が終わっても「暴行」。
高校では寮でも「暴行」と。
まぁ悲惨極まりなく、
本当に縦社会の究極な感じで、
先輩には「はい」という言葉しか、
言ってはいけなかったわけですwww
この時代はまさに、
私のベースであり、
完全に抑圧されていた時代です。
そんな時代から、
私自身を救ってくれたのが、
ヒップホップカルチャーや、
スケートボードのハードコアな思想です。
そしてそのヒップホップや、
ハードコアな思想の上で、
アートというものに目覚めた、
その様なコンテクストがあります。
それが1998年頃の事で、
僕が18歳、19歳の話です。
その頃に、
僕はアートに命をかける。
その様に誓ったことは、
何度も書いていることなのですが。
それは同時に、
「自分のやりたい事はやる」
「自分の言いたい事はいう」
という事と同義なわけです。
この様な事が、
そもそも私の原理としての哲学、
として一貫している事です。
しかしこの様な単純な事ほど、
なかなかできるものではありません。
非常に困難です。
なぜなら、
「社会」というものは、
その様なものを許してくれません。
色々な所や人間から、
反発を買うのは目に見えていますから、
自明な事です。
しかし私が20年以上この様な活動を、
続けてこれているのはなぜでしょうか?
それはまさに1998年と言えば、
インターネットの黎明期です。
私はインターネットでの、
オープンソースという思考が、
この世の中を変革していく事と並列して、
物事をオープンにする事の強さ、
そこに気づいたわけです。
私は昭和53年生まれですから、
まだまだ「村社会」や「コミュニティ」での、
ある意味「小さな世界」での「ルール」や「常識」、
その中で「他人の顔色」を伺いながら、
人間関係の「駆引き」をして生きている。
その様な世代の「最後の世代」なのかもしれません。
冒頭にも述べましたが、
最近になって色々な人が、
私を訪ねてきます。
その話の内容の根本的問題は、
やはりその様な「人間関係」の問題です。
そしてその様な「問題」を、
アウトプットする場所が無いという問題です。
私も40年以上生きてきましたから、
当然その様な「社会」において、
「自分のやりたい事はやる」
「自分の言いたい事はいう」
そんな事をして、
生き残っていけない事は十二分に知っています。
そして経験してきています。
しかし私たちの今の時代、
インターネット時代は成熟し、
オープンソースは進み、
プラグマティズムという哲学が、
どんどんと広まる中で。
「自分のやりたい事はやる」
「自分の言いたい事はいう」
という事は、
「反発」以上に、
「価値」や「信頼」や「信用」を、
生み出している「現実」は、
誰も否定する事は出来ないのです。
プラグマティズムというものは、
一種の功利主義哲学。
実用主義。とも言われています。
私の中ではヒップホップは、
プラグマティズムだと考えています。
それに対してロックというのは、
夢想であり理想主義とも言えます。
それはもっと踏み込んで言えば、
「肉体」としての「肉という現実」を生きるのか、
「肉体」を無いと考えた「理想という空想」を生きるのか。
その様な作法の問題です。
例えば「ヒップホップ」でも、
「スケートボード」でも、
「リアル」という言葉が好まれます。
ある意味この「リアル」という言葉が、
「ヒップホップ」や「スケートボード」の、
プラグマティズム的側面を表出している、
その様に考察できます。
ここまで述べてきた様な、
ある種「プラグマティズム」は、
昨今のヒップホップなどのリリックなどに、
顕著に現れています。
私は20年以上日本語ラップを聴いていますが、
特に最近のラッパーのリリックには、
プラグマティズム的解釈を容易にします。
表題でもあげているラッパーの、
舐達麻などは。
以前までは隠語として多く扱われてきた、
「大麻」などのライフスタイルを、
堂々とリリックに取り入れています。
さらに孫GONGなども、
自分自身の生き様をさらけ出し、
自分の生まれや育ちを赤裸々に、
リリックに表現している。
その様なアウトローなリリック以外にも、
例えばZORNというラッパーのリリックでは、
「洗濯物干すのもヒップホップ」という、
まさに「リアル」な日常をリリックにしたものなど、
多様な人間の現実が、
リアルなヒップホップとして表出している。
この様なヒップホップの事例からも理解できる通り、
昔の「村社会」や「コミュニティ」などの、
「小さな世界」では、
「裏で悪い事」をして、
「表で良い顔」をするという作法が、
通用しない時代になっているのである。
それは「良い事も」「悪い事も」、
全てさらけ出す。
その様な事に、
「信頼」「信用」「価値」が、
産まれる時代。
逆に言えば、
その様な事を「言える人間」にこそ、
「本当の強さ」があるからこそ、
「信頼」「信用」「価値」が、
集まるのだという事なのだ。
「匿名」で他人を誹謗中傷したり、
「人間関係」で根回ししたり、
「権力」で利益を囲ったり。
その様な「人間」が損をする時代。
「正直」に自分をさらけ出し、
「自分のやりたい事はやる」
「自分の言いたい事はいう」
その様な「人間」が徳を得る時代に、
なっている事に、
全ての人々が早く気づかなければ。
どんどんと、
「信頼」「信用」「価値」を、
失っていく時代なのです。
美学者母
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