価値と無価値と付加価値のお話
皆様どもっ!!!
おひさしぶりーふ!!!
毎年この時期に、
研究対象を増やすタイミングで、
その研究対象のフィールドワークなどで、
色々と時間を使っていました。
昨年はARやVR、人工知能などを、
研究対象に組み込みましたが、
今年は、
価値、お金、経済、資本、などなど、
それらを研究対象に組み込む事にしました。
そんなこんなで、
価値と無価値と付加価値のお話、です。
日本では芸術と価値、
解りやすい所で言えば、
芸術とお金というのは、
あまり直接結びつける事を好まない節があります。
しかし、
これでその人がどれだけ、
「芸術」というものの構造を理解しているか、
それを明確に計測する事ができる尺度となります。
まず決定的な原理をずばっと申しますと、
「芸術は芸術のみで芸術にはなり得ない」
これが芸術の原理なのですね。
この事はあらゆるジャンルの原理でもあり、
不完全性定理
不確定性原理、
科学の不確実性、
それらと同義であります。
つまり、
それそのものでは、
それそのものを証明できないのです。
これは世界の仕組みそのものなんですね。
これを否定しようにも否定できないのです。
つまり、
芸術でも、
作家とその作品が芸術となりうるというのは、
それ以外の人が、
その作品に少しでも価値が生じたときに、
それが芸術作品となりうるという原理なのです。
さらに言うと、
それ以外の人が感じる価値は、
絶対的に付加価値でなければなりません。
なぜならば、
価値と無価値は同義なのです。
価値と無価値の相違が発生する原理が、
「付加価値」なのです。
つまり芸術作品は、
付加価値があるからこそ、
価値があるわけです。
これはあらゆるものの価値と同義です。
私の研究では、
プラスの付加価値とマイナスの付加価値を定義しています。
プラスの付加価値を解りやすく言うと「お金」です。
マイナスの付加価値を解りやすく言うと「感情」です。
そして芸術とは、
このプラスとマイナスのデルタがプラスのとき、
この世界に価値という形で表出します。
とくに現代における芸術、
現代アートなどは顕著ですが、
このお金というプラスの付加価値、
つまり目に見える付加価値が、
芸術の指標となっているわけです。
そして、
この付加価値の部分がアウトラインを作る事で、
やっと初めて純粋な芸術的価値が同時に表出してきます。
ここまでの理論を理解するのは、
なかなか困難だと思いますが、
この理屈を理解すれば、
芸術家でお金を否定している人が、
いかに馬鹿なのか理解できます。
この構造は、
実は人間が発明した画期的なものの構造と同義です。
それは「お金」そのものです。
お金の付加価値が、
お金の価値を定義しているのと同義です。
簡単に言えば、
芸術家はお金を発行している日本で言えば日本銀行、
アメリカで言えばFRBと同じ存在なのです。
そして、
お金の価値というのは、
お金の付加価値が定義している。
芸術の価値は、
芸術の付加価値が定義している。
これは疑いようのない事実なのです。
しかし日本のほとんどの芸術家は、
芸術作品そのものに価値があり、
それをいかに高めるかという事に注力します。
それは作品をいかに創り上げるか、
作品そのものにフォーカスするわけです。
しかしそれは完全に間違いです。
私はこの事に今から20年前、
年齢は19歳のときに気付きました。
この考え方は、
日本のプロダクト制作全般に言える間違いです。
つまり私たちは、
作品を通して、
いかに付加価値を生み出すか、
それが作品そのものの価値を決定するのです。
作品を欲しいと思う側は、
その作品の付加価値を求めているのです。
だからこそ、
キャンバスに描かれた絵が何百億円になるし、
ただの便器が美術の最高傑作と呼ばれるのです。
つまり私のスマートアート宣言は、
「スマートアート宣言」
http://www.smartart.jp/
ユーザーエクスペリエンス、
つまり付加価値のみに焦点をあてたわけです。
付加価値のみがあれば、
価値は定義されるのです。
皆様ももう一度、
価値、無価値、付加価値を考え直すべきです。
美学者母
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?