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豊橋〜カレーうどんと水上ビルの街〜

知ってるようで知らない味、確かめに行く

豊橋人も名古屋人もカレーうどんには一家言ある。われわれ愛知県民はどちらも誇りに思っており、豊橋を再訪するならまずはここからと決めていた。理由は駅からの近さと、外観の好みだ。

まずは東口を出てペデストリアンデッキから広小路通りへ降り、すぐ左側のときわ通りを抜けて約500m、徒歩7分の道のり

昔ながらのアーケードが目印

朝きっぷを買い間違えて、到着が12時過ぎてしまった。すでに10組以上待ち

外観だけで、もう美味しそう

25分ほど待って名前を呼ばれる。1人なので相席お願いするかもですとのこと。大丈夫です、と答えて店内へ。さらに15分ほど待ってはじめての『豊橋カレーうどん』とご対面

うずらの卵3個がうれしい。刻み葱はお好みで

名古屋のそれと比べて少しあっさりしている感じ。若鯱屋とかは、もっとどろっとして粘度が高い。しばらくうどんを食べると、ご飯がお出まし

ちゃんと福神漬けも添えられている

うどん出汁のカレーライスを匙ですくって締めるのは不思議な感じだ。待望の豊橋名物を堪能して、寒空に汗ばみながら外へ出る。東へ歩いて松葉公園を越えると、そこは東海道だった。一度ちゃんと見てみたかった吉田城跡へ

東海道へ出る。川の方の雲行きがあやしい

みなとまち風情と、川を背にした城跡と

城下町らしい地名。向こうの土地が急に低くなっている

東海道と垂直に交わる蒲郡街道を越えると、けっこう大きな宿場町だったという吉田宿の西の入口に出る

手前の門は吉田宿西惣門跡。丸恵商会さんの前が似合う
湊町という町名。まさに川沿いのまち

湊と港の違いが分からなくて調べてみると『湊』は船着き場 で『港』は水上通路・水路のある町だそうです

上った先が吉田城。右も左も湊町感たっぷり

タモリさんの『高低差フェチ』、その気持ちが分かる道だ。一度坂を降りきってお城方面に向けゆるやかに上っていく。左手の駐車場はもう川べり

どんどん寒くなってきた

川沿いの緑道があるようなので、強風にめげず歩いてはみるが寒すぎてすぐ引き返す。

豊川親水緑道
映らないけど寒風吹きすさぶ豊川(とよがわ)

東へ歩いて国道1号線に掛かる歩道橋を渡る。名古屋方面から車で南下してくると、ここで直角に東へ曲がるあたりだ。いつも気になっていたカッコいい建物があって、今日は是非じっくり見たかった。

豊橋市公会堂は昭和6(1931) 年だから、現在築94年
国登録文化財。豊橋市制25周年を記念して創建
2羽の鷲、半円ドームにモザイクタイル

公会堂の脇から豊橋公園へ。城跡はこの公園の中にある。

門柱に木プレート貼りで筆書きの銘板。シック
見事な石垣、大きな松並木に囲まれ
いわゆる「天守閣」はない
鉄櫓(くろがねやぐら)という櫓だけ戦後再建されている
豊川が堀の役目で要塞にもなるタイプ

鉄櫓はちいさな歴史館みたいになっていて無料で入れます。ありがたい。

かつては四隅に櫓があったようだ

雪が舞ってきた。駅からは少し距離があるので帰りが心配だなぁ、と思ったら急に晴れる。さっきまでの曇天が嘘のような快晴

木々の影が差すと、表情が違って見える
行きは急いでて気が付かなかった守衛所

チンチン電車が現役で走るまち・豊橋

晴れればこっちのもの。これも初めての路面電車に乗って帰る。実は前夜調べて、この豊橋鉄道の冬のヒット企画『おでんしゃ』に乗りたかったが今シーズンは早々に売り切れだった

おでんと酒が電車内で楽しめるという、夢のような企画 ↓
車内広告もレトロ

建替え不可能な歴史遺産。あと20年がギリ見られる限度?

駅に戻ったら、最後の目的地『水上ビル』群へ。徒歩2分で着く距離

一番駅よりの『豊橋ビル(1965年築)』。壁面のアニメは地元・時習館高校がモデルらしい

ここは牟呂(むろ)用水の暗渠の上に建てられたという世にも稀な建築群で、全3棟からなる。この先には『大豊ビル(1964年築)』『大手ビル(1967年築)』。すべて築60年クラスの先輩たちだ。
歴史的な経緯は↑のウィキにもあるしググればいくつも出てくるが、要は戦後の闇市の流れで、1階は店舗・2階以上が住居と事務所が多い。

新旧入り混じったテナントが
いまだ生きてる商店街の感じが凄い

どの店も興味が尽きなくて、これはまた次回は泊まるしかないと思ってしまった。今日は日帰りだしカレーうどんを食べたばかりだ。食後に寄ろうと目星を付けてたオシャレカフェだけで我慢

アメリカン珈琲と大人のカヌレで1,023円なり
この店で思い出ぼろぼろを歌いたい

店内には20分くらいしか居なかったが、印象的なのは近所の店員さんらしき方々が、ちょいちょい訪れて世間話をされていること。差し入れを持ってきだだけで帰った男性もいた。渋ビルは全国に数多あれど、活かすものは人のコミュニティなんだろうな、と妙に会得した。

真っ赤なバラはあいつの唇
ここに来たなら玉置浩二に挑戦したい
長く連なる屋根の下で『雨の日商店街』というイベントが開かれたことも

遺したくても遺せない。だから今、見に行く

『昭和100年』を迎えた今年は、ちょうど戦後80年。どさくさ紛れに建てられた建物は寿命を迎えるものも多い。まして権利関係が複雑すぎる水上ビルは建替えなど、およそ不可能と言われている。

『豊橋カレーうどん』は受け継がれるだろう。しかし自分だって、いつまで元気で歩けて足をのばせるかは分からない。
『いつか』はもう、来ないかもしれないのだ。



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