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~してしまった、の「しまった」を考える
止めたい口癖をもう一つ思い出した。
ランキング第5位くらいに入る私の口癖。昨日書いた「私なんか」が第8位くらいだけれども(笑) あくまで、自分の感覚でのランク。
止めたい口癖。
それは、「〇〇してしまった」の「しまった」だ。
例えば
・言ってしまった
・泣いてしまった
・笑ってしまった
・時間に遅れてしまった
・食べ過ぎてしまった
・名前を忘れてしまった
・皿を割ってしまった
・間違って送信してしまった
・電車に乗り遅れてしまった
・話が長くなってしまった
などなど。全部「しまった」だ。
口癖ランキングに入るほど使っているから、バリエーションは豊富で(笑)
この " ~てしまった "という部分はとても日本的で、人の感情の細かいところを表す言葉だと思っていた。
本当はそんなつもりなかったのに、不本意ながら、そうなった、というニュアンスだろうか。
私が口癖で使う理由は、「罪悪感」が根底にあるからだ。
英語なら、シンプルに
「泣いた」
「忘れた」
「皿を割った」
「長く話した」
のように事実のみ。情緒的な”~てしまった”という言葉はないだろう。
冷たいと思う部分もあるが、英語の方がいい。
情緒があると、自分の気持ちが必要以上に乗っかる。
~してしまった、は、結果をそのまま認めていない。
とても謙虚で心に素直な表現だけど、その「本来このつもりはなかった」という受け止め方は果たして必要なのだろうか。
特に" 失敗 "では「あぁ〇〇してしまった!」「また〇〇してしまった!」と、その度に自分への怒りと反省が出てきて、後悔する。自分を責める。罪悪感が止まらなくなる。
〇〇した自分。そのままの自分を受け入れていないのではないのか。
遠い昔、韓国語を勉強したことがある。
この「~してしまった」の「しまった」に当たる表現が、韓国語にもあることを知って仰天した。日本語だけの情緒ではなかったのだ。
現在形なら「~してしまう」、過去形が「~してしまった」
~버리다(ボリダ) / ~버렸다(ボリョッタ)
当時、韓国語で自分の話をしていた時に、ひたすら「~てしまった」「~してしまった」ばかり繰り返していて、結局言語が変わっても、話す内容は一緒になってしまうんだ、とおかしく思えて笑えた。
英語だったら、こうならないはず。
文法もニュアンスも近い表現だったから、ついつい” 使ってしまって ”いた(笑)
現在形「してしまう」と、過去形「してしまった」
私が止めたい口癖は、過去形の方だ。
「~してしまった」は、事実が1つ。目の前に。
だけど、私の意志が「ここではない、どこか」にあり、そこで描いた理想に生きているように思える。
まるで、アドラーの「今、ここを生きる」をやっていないようだ。
現実を受け入れてない。自分を受け入れていない。そして自分を現実の否定する。だから、使いたくないのだ。
英語のように、事実のみを語るパターンで生きてみようか。
「~してしまった」という表現が減ったら、自分を責めることも減るだろう。
「皿を割ってしまった」のではない。「皿を割った」のだ。
「忘れてしまった」のではなく、「忘れた」のだ。
随分、表現が寂しい感じもする(笑) しかし、自分の結果は1つだから。
今、ここを生きたいから。一旦、事実をありのまま受け入れる訓練だ。
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