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批判されたら成功した証拠
○批判が怖い
自分が世に出した作品が、批判されたら怖いと思う私がいます。
作品だけでなく、自分自身のこと、SNS等ちょっとしたTwitterなどでもヘタに炎上したくない、と思うのです。
賛成してほしいし、基本的にあんまり嫌われたくないというのがあるのでしょう。
こう思うのが一般的だと思っていました。
○それはアウトプットの成功
しかし、友人は言いました。
「批判されたり、人に悪く言われたら、それは自分のアウトプットが成功した証拠である」と。
言葉、行動、作品、SNS、仕事…何でもアウトプットしたことすべて。
それに対して、マイナスの意見や批判が自分の耳に届くということは、どこかの誰かが「何かひとこと言ってやりたい」と思う程にまで、響かせた結果。
それはつまり、自分の発信が相手に届いた証拠=アウトプットが成功した証てしょ?と。
批判や非難、炎上、反対意見が来たら、まさかアウトプットの成功しているなんて思っていませんでしたが、確かにその通り!と思いました。
◯相手を動かした=届けられた
もちろん、賛成や応援のコメントの方が嬉しいに決まっています。
届いたと感じるから。
でもそれと同様に、反対や批判であっても届けられたと感じることに気付きました。
賛成も反対も、相手に響いているからフィードバックがあるのです。
考えてみてください。
何かを発信しても、何も無いのが大多数なんです。それが普通。
だから、例えマイナスな言葉であっても、自分のアウトプットしたものを受けた相手が、何か思うところがあり、その思いを発信、行動に至るまで“動かした“ということになります。
むしろ「動かすことができた」と言っていいのかもしれません。
コメントをお願いしても、得がなければ動いてくれないのが人間です。見ず知らずの存在ならば余計に。
それを考えたら、マイナスであっても届けていただいてありがとう、そんな気分なんですね。
◯過去の出来事も
以前、Twitterで大好きなお笑いのことを呟いたら、賛否両論で少々バズった経験があります。
バズりと言えばカッコいいけど、ほとんど炎上で、とても見るに堪えられない意見をたくさんいただきました。
そんな批判的なコメントに傷つき、凹み「今後は簡単にツイートしない方がいいな」と反省していました。
しかし、落ち込む必要はなかったようです。
言うべきことを言えたし、この経験は自分の言葉が相手に届いたということになります。
つまりアウトプットが成功した証拠でした。
こんな風にあの出来事を思ったこともなかったので、とても前向きになれました。(これを教えてくれた友よ、ありがとう♡)
だから怯まず今後も発信を続けたいと思います。
みなさんにおかれましても、批判や非難を受けた場合は安心してください。
自分のアウトプットが相手に届いたということで間違いない!ですからね。
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