
人生は有限であるということをわかっているか
たった今、事故の現場を見てしまった。
もう片付けた後だったけど、ショッキングな光景。不意打ちすぎて、心への衝撃が大きい。
最初は、パトカーが止まっていて、何だろう?と、私はのん気に歩いていた。
警察官が何人かいて、何かあったのかな?程度で。外れた所にタンクローリーが止まっていた。
現場を通り過ぎるときに、「事故」という看板と、交通整理の人を見て、あぁなるほどね、と状況を把握した。
その瞬間に見てしまった。
路上に残った血の跡を。
広範囲で拭き取りきれていないのがわかった。
いつも歩く道路に、広がった血の跡。ショックを受けた。
あぁ誰かここでケガした人がいたんだ‥。
どこかの誰かの人生に、大きな影響を与えるほどのことが、ここで起きたんだ、と。
この道はよく歩く道。
今朝通ったし、そして今も。
今朝から今までの間に、誰かの人生が変わったのだ。それが、信じられない。
「人生は有限だ」
という友人の言葉を思い出した。
そう。
私たちの人生には限りが有る。有限なのだ。
血で染まった道路を見て、再び思い出した。
そんなこと、頭ではわかっているけど、意識せずに日々生きていた。
ほとんどの人が、私のように「人生ってずっと続いていく」と何となく思っているだろう。
特に若い頃は、時間なんか無限にあると思っていた。
さらに、当然のように今と同じような未来があると、思っていた。
そんなの思い込みで、若さは一瞬だったし、時間は今も刻々と過ぎている。
今日のショッキングな光景を通じて、改めて実感した。
人生が変わること、さらには突然終わってしまうこともあるんだと。
有限なんだよ。
その「人生は有限である」と言った友人は、「こんな大変な人生、終わりがあると思えるのは勇気になる」とも言っていた。
いつか終わると思うから、がんばれると。
もちろん、決して積極的に死は選ばないが。
不思議な考え方だったが、いつかやってくる死に希望を見い出す考え方もあるのか、と新鮮だった。
終わりがあるから、今を大切にできる。
私たちは普段、死を考えない。
しかし、死があることを意識することは、「私たちの人生には終わりがある」と、つまり「人生は有限である」と意識することにつながる。
有限ならば、限られた時間を、より有効に使おうじゃないか!と思えるのだ。
人生を、日々を、目の前の人を、より一層大切にできる。
だから、人生が有限であることを意識することは、
今この瞬間を大切にすることにつながるのだ。
またアドラーの言葉が降りてきた。
「今ここに、強烈なスポットライトを当てよ」
そんな人生を送ろうではないか。
私たちの人生は有限なんだから!
いいなと思ったら応援しよう!
