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協力について。頑張り過ぎる人
何でも自分でやってしまう人。頑張り過ぎる人。それは私だ(笑)
一方で頑張らない人、何をやっても頑張れない人というのもいるだろう。
そんな人たちは、何をやっても頑張ってしまう私たちのような人のことなど理解できないだろう。
先日の岸見一郎先生のオンライン講義で、頑張りすぎる人へのメッセージがあった。それは、
ギリギリの一歩手前で他者に援助を求めること。
そのトレーニングを、ということだった。
ほほぅ!と思いながら、実はそれが難しいと思っていた。
私は、なかなか助けてと言えない。
だから、こちらが思う” ギリギリ一歩手前 "は、一般的な限界を軽く越えている時がある。要するに、手遅れになってからの援助要請だ(笑)。
実際に、あぁもっと早く頼んでおけば良かった‥と思ったり、なーんだもっと早く言ってよ、協力したのに、と声をもらうこともある。
援助を求めるタイミングがわからず、加減もわからず、「あれ~助けてもらおうかな…」と迷いながらも、頑張り続けている間に終わることもある。
そうすると「やっぱり自分で出来たじゃん」となり、ますます協力や助けを求めにくくなる。
そういえば昔、バイト先で、勇気を振り絞って、助けを求めたことがある。
「この仕事量は私一人では片付けられませんので、どなたか手伝ってくれませんか?」とチームに向かって叫んだ。
そうしたら、仲間の一人が助けてくれた。
しかし、後で着替えのロッカールームで、
「あの新入り、聞いた?」
「ねーほんと」
「出来ないって助けなんか求めて(一人でやれよ)」
と悪口を言われているのを偶然聞いてしまい、静かに傷ついていた。助けを求めたことが適切でなかったようだった。
こういうことがあると、援助を求めることが余計に億劫になる。
岸見先生はこんなこともおっしゃっていた。
助けを求めることは、弱いということではない。
人に助けを求めることが=他者に貢献していることになるというのだ。
なぜ?
他人から、力を借りているのに、他人に貢献している?
それは、他の人に貢献感を持たせる、ということで、あなたは貢献している。というのだ。
他人に「貢献する機会」を与えている存在になる、ということなのだ。
目からウロコで、驚いた。
援助を求めよう。助けてと言おう。
思えばたくさん機会はある。
以前も、仕事でコピー機と格闘して、どうしたらいいのかわからないのに、助けを求められなかった。結局自分で解決した。しかしあの時は、誰かに助けを求めても良かったのかもしれない。
自分に降りかかった大変なことは、ギリギリの一歩手前で助けを求める。
岸見先生は「頑張りすぎる人は、一歩と言わず、二歩三歩手前で」とおっしゃっていたので、早めに助けを求めるトレーニングをしていこう。頼みベタな私のような人(笑)は、本当に難しいけど。やらなくてはならないことだ。
それが今後の自分のため。さらに、それが他者貢献につながるのだから。
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