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批判を向ける方向は、ひとつ。
人事を担当している、という人と話す機会があった。
最近の採用事情。どうやら、最近の若い子は、様子がおかしい(-_-;)
面接の連絡をメール連絡しても、一切返信がないとか、面接の約束をしているにもかかわらず、当日連絡もなしに、来ないというケース。多いらしい。
さらに、採用を決めたのに、ドタキャンとか。
働いている子がバックれて辞めるとか。
ちょっと信じられない域に達していた。
私の時代とは、常識の概念が違いすぎていて、日常生活でよく戸惑うが(笑)、非常識も、想像を遥かに超えてきている。
郵便か電話が主流だった時代に生きた私。だいぶ昔感が出るな(笑)
今の主流はメール。(こんな時代が来るとは)
メールの気軽さで、求人申し込みも、キャンセルも簡単なんだろう。
応募した会社のメールを、何日も無視することや、メール一本でドタキャン、辞退、はたまた仕事を退職、なんていうのも、わりと簡単にできてしまうのだろう。
信じられないわ。後で泣きついてきて「働きたいデス」って言ってきても、私が人事担当なら、そんな人はダメ。
非常識な人はダメ。だいたい連絡よこさない人なんて、ダメ。
と言いかけたところで、アドラー心理学でおなじみ、岸見一郎先生の言葉を思い出した。
批判は人に向けてはいけない
完全に批判を人に向けていた私。
人に向けないって、どういうことか。
じゃあどこに向けるのか。
批判は人ではなく、事柄(ことがら)に向けてすること。
批判はしなければいけないが、人に向けない。これが大切ということだった。
例えばさっきの、採用の話。
この場合、非常識な行動がダメなのであって、その人の人格すべてが非常識というわけではない。連絡なしに、面接のドタキャンする人であっても。バックれる人であっても。
批判するのは、事柄。人じゃない。
また、こんなこともおっしゃっていた。
よく仕事である光景。
注意や指摘、批判されたとき、自分に向けて言われてると思って、怒ったり落ち込んだりする人がいる。
そういうのも、人に言われていると思わずに、事柄に注目した方がいいと。
「誰が」言われているのか?と思わずに、
「何が」言われているのか?を考える。
仕事で相手に批判されて、腹が立っても、内容に着目して受け取ればいい。
だから、私も常に、どんなにひどい行動をする人でも、私はその人を批判すべきではないし、その事柄だけを批判すべき。なんだな。
さらに、冒頭のように、最近の若い子は…とくくるのも良くないね。
いい子もいるし、そうでない子もいる。いつの時代も同じだ。
思い出した。
自分が若い頃も「まったく、最近の若い子は…」と言われて、批判されて、すごく嫌だった(笑)
それは、自分を見ずに、十把ひとからげで見られた嫌悪感。
さらに、どうしてその傾向があるのか、ことの理由も考えずに、若さだけで人格否定、批判されたような気分になったから、嫌だったんだな。
批判するなら、人ではなく、事柄に向けて。
批判されたなら、人ではなく、事柄に向けられたこと。
こう思うことって大事だ!
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