原理主義者は、春が来るのが怖いのか
自分の弱いところの一つに「変化が怖い」というのがある。
慣れ親しんだものから、新しいものへ変化する時、怖さが伴う。
大きなは変化は、当然、ほとんどの人が何かストレスを感じているだろう。
私は、それプラス、小さなことであっても、ストレスや怖さを感じる。
まだまだ、修行中の身だね(笑)
例えば、自分の行動パターン。
トイレの個室、いつも同じところに入ったり、
馴染みの店は、いつも決まった席に座ったり。
そんなことも、安心感を得るためにしている。
変わることが苦手、そういう人間だと思ってる。
しかも、自分が納得しているか、がとても重要。
今年の春からの、ステイホーム。
この世の中の状況には、納得しているから、ストレスはあまりない。
しかし、今日、仕事で変化を求められた。
それが、とんでもなくストレスだった‥(><)
それを求めてきた側からすると、それは大きな変化ではないのかもしれない。
しかし、私にはとても大きな変化に感じた。
どういう態度をとったか。
無意識で、話を拒絶していた。
怖い!という感情が源にあるからだろう。
アドラー心理学「嫌われる勇気」の著者、岸見一郎先生の講義に以前参加したときに、原理主義者の話があった。
原理主義者は「どんな状況においても、1つの原理に従って進み、その原理をいつでも正しいと思い、そこから逸れる事は無い。人生において、すべてが慣れた正しい道を行くのでなければ、不快になる」
これはまさに私のことだと思った。慣れた道を外され、不快になったからね(笑)
「このような人にとっては、春にうつりゆく事は、困難をもたらす」
「春になると決まって不快になる」
そうそう!まさにそう。
ここで言う「春」は、人生の変化のことだ。
私は、正直に言って、春になるのが怖い人間だ。
そういう弱さがある。
今日の仕事の新しい変化は、私にとってまさに春。
人々にとっては訪れたら嬉しいものでだろうけれども、私にとっては強いストレスをもたらすものだった。
「新しい状況に入らなければならない瞬間に失敗する。なぜなら、そのことに準備ができていないからであり、規則や魔法の言葉がなければ、耐えられないと信じているからである。」
そうそう!耐えられません(ToT)
岸見一郎先生がおっしゃった言葉はまさにズバズバ私に当てはまり、ずっと心に残っていた。
そして、それを実感する出来事が起きた。
ずっとこの言葉が頭を駆け巡っていた。
原理主義者である私は、春になるのが怖いのか。
それならばどうしたらいいのか。
これまでずっとこうやって何とか生きて来れたのだから、「納得していない春」だってあったはずだ。でも生きている。
となると、迎えられない春はない、ということだ。
越えられない春はない、の方が正しい表現か(^^)
案外、慣れるのが早いから、春は想像しているよりも、たやすいことなのだろう。
春。心理的な壁は、一旦飲み込むことができれば、私には問題ではなくなる。
春はそう悪いもんじゃない、と私は知っている。
だからこそ、拒絶することも良しとも思わない。
春をどう受け入れるかで、いつもあがくのだ。
今日訪れた春は、きっと受け入れることになり、今度は私が、
私以外の春を嫌う人(=物事の変化を嫌う人)を、説得する側に回るだろう。
そんな想像をしながら、なかなか春を受け入れられない原理主義者。それが私だ、と実感するのだった。
本当にありがとうございます😊嬉しくて小躍り!!💖