子どもも大人もみんな”まちのこ”。まちのこ団が夢見る世界とは《団長インタビュー・後編》
こんにちは、まちのこ団です。
この記事は、まちのこ団・団長のインタビュー記事の後編です。
前編はぜひこちらからご覧ください。
ーー大学をたまたまサボった日の「あそび」との運命の出会いから、自身の原体験と重なって「あそび」の魅力を知っていく。そこでの出会いが自身の「居場所」にもなり、今の「まちのこ団」の原点にもなっていく。これが前編までのお話でした。
排除ではなく理解。その理由を探しにカナダ留学
《ーー大学卒業後は、就職ではなくカナダに留学。目的は何だったのでしょうか。》
カナダに留学した目的は2つありました。1つは、大学での学びをより深めるためです。大学の研究テーマは政治論で、大まかに言うと国や人の正義とは何かということを学んでいました。カナダの政治哲学、特に多文化共生の連邦制について学びたいという思いがありました。
もう1つは、「あそび」の可能性を試すというものです。大学での学びに繋がりますが、お互いの正義のぶつかり合いが混乱を生む現実に対して、「あそび」は、音楽やアートがそうであるように、思想や正義、文化や言葉の違いを越えて分かり合え、共通体験できるものかもしれないという仮説です。移動式あそび場で見た光景がひとつのきっかけになっています。
正義や、何かを正しいと判断するとき、人にはそれぞれ基準があり、それはアイデンティティや所属しているコミュニティ、国、慣習やモラルなどによって様々ですが、それらは共通言語があるからこそ成り立つものでもあります。
一方で、あそびは言葉が伝わらなくてもできる。言語というレベルに達していないあそびなら、逆にそれらを超越して分かり合うことができるのではないか、そういうイメージでした。
背景には、自身の幼少期の体験が強く影響していて、大学で政治論を学ぼうと思った動機もそこにあります。高校生の頃に一度カナダに短期留学したことがあり、そこでカナダの多様性、異文化理解度の高さや、違いを受け入れる寛容性に驚き、同時に大きな魅力を感じました。日本とどうしてこんなにも違うんだろう、という疑問が原動力になっています。
カナダで感じた他者理解のヒント①「あそび」
1つ目の目的は、資金面と語学面が追いつかず叶いませんでしたが、「あそび」の部分では手ごたえを感じることができました。
ある授業中、先生がいきなり「今日は天気がいいから外でピクニックでもしよう」と言って、外で過ごす時間がありました。クラスには、ヨーロッパ、中米、南米、中東など様々な場所からの留学生が集まっていましたが、サッカーならみんなできるだろうということでやることになりました。
留学したての頃、語学面の不安から他の留学生とコミュニケーションがうまく取れず、一歩踏み出せずにいました。ところが、一緒にサッカーをしたり遊んだりするうちに、気がついたら壁のようなものがすっかり無くなっていることに気がつきました。一番分かり合えた、一線超えたような、あのときの心地よい感覚は今でも覚えています。
言葉はわからなくても、あそびは越えられる。あそびの可能性を感じました。
カナダで感じた他者理解のヒント②「居場所」「コミュニティ」
カナダ留学でのもうひとつの気づきとして、所属しているコミュニティの数が日本に比べて多く、それが異文化理解や違いを受け入れる土壌に繋がっているのではないかという点です。
それを感じたきっかけは、私が通った教会との出会いにありました。私はホームステイをしていたのですが、滞在先がたまたま教会の牧師さんのお宅で、毎週末教会に一緒に行きました。
教会は宗派によって様々な雰囲気や特徴がありますが、私が通っていた教会は、とても自由な風潮でした。讃美歌ではなく、バンドを組んでオリジナルソングを歌うような。毎回決められた教会に行くのではなく、町中から好きな教会に行くことができ、毎週末違う教会に通う人もいました。
通っている人も、年齢や立場、人種も様々で、教師や学生、工場労働者、オフィスワーカー、タクシー運転手、初めましての人、家族で毎回来ている方たちなど多様でした。違う人が当たり前のようにいる場所。幼少期からこのような場所に通っていたら、自然と人との違いに寛容になるし、他者理解につながる。そう感じました。
ここでの体験が、今のまちのこ団の居場所づくりの活動、まちのこ団が理想とする居場所のイメージを形づくっているように思います。
想いを形に。帰国後に取り組んだ「あそび」のイベント
帰国後、留学中の学びを形にするために、「チルリンピック」というものを企画しました。「チルリンピック」とは、チルドレンとオリンピックを合わせた造語で、「世界中の子どもたちを繋げる、あそびの祭典」の構想です。言語、文化、考えの違いがある中、あそびでそれらの違いを越えた、国境を越えたあそびのコミュニケーション、アソビニケーションが可能かどうかという実証実験のようなイベントです。
自身が留学中にあそびを通して体験した、言語を越えてつながる体験を多くの人にしてもらいたい、という思いがありました。
学生時代からお世話になっていた東京・神田とのご縁をいただき、公益財団法人千代田まちみらいサポートが手掛ける「千代田まちづくりサポート」という公的な場での発表の機会、そして助成金をいただいて、開催することができました。
就職、転職そして入院。山あり谷ありの先に見えた「あそび」で起業の道
《ーー行政と連携して「あそび」を通したイベントの開催。今のまちのこ団の形に繋がっているなという印象を受けますが、当時はそのまま起業しようという気持ちはなかったのでしょうか?》
当時はそのまま起業しようとは思っていませんでしたが、いずれ自分で仕事を起こしたいなという気持ちはありました。就職先を選んだ理由も、そこが第二創業期的な時期で、様々な経験が積めると感じたからでした。営業や店舗運営、商品開発、事業立ち上げも経験しました。
そこでは2年ほど働きましたが、会社の経営体制に深刻な問題が発覚し、退職することにしました。その後、語学の経験を活かすため貿易会社に転職をし、猛烈に働きましたが、それが祟ったのかストレスから体調を崩し、人生初の入院も経験しました。咽頭系の病だったのですが、退院後も1年ほど体調の違和感が続き、このまま続けていくことに不安を感じていました。振り返ると入院もターニングポイントの一つになっていたと思います。
そんなときに、茨城県が起業家育成のためのベンチャースクール(現:茨城県北ビジネススクール)を開くという情報を知りました。都内で開催された説明会で(なぜか会場は六本木の一等地でした笑)、茨城で活躍しているプレイヤ―や県庁の方の話を聞き熱量を感じ、これはタイミングだなと。会社を辞めることを決意して、2019年末に茨城県にUターンをしました。その頃もずっと頭の隅には起業したい、自分が何でチャレンジできるか、やりたいか考えていて、それが移動式あそび場(現:コミュニティプレイバス事業)でした。
お金の匂いがしないと言われても。想いだけで掴んだ優秀賞
《ーープレイバス以外の候補はありましたか?》
いや、ありませんでした。思いつきませんでした。移動式ってこれからくるなって思っていたんです。あそび以外にも、例えば音楽や本とか、食品販売とか、掛け算でなんでもできるなと。(実際に、コロナ禍を経てリモートワークが選択肢として広がり、ワーケーションや多拠点生活、地方移住、ノマドワーカーなど多種多様な"移動式"の生活スタイルが浸透してきています。2024年4月追記)
でも、ローカルベンチャースクールでは、各分野で活躍する講師の方々からこてんぱんに言われました。どうやってお金するんだよって。お金の匂いが全然しないって。そのことは自分が一番よくわかっていました。でも、支援とかじゃない「子ども」視点のビジネスはこれからの日本社会に絶対に求められてることだと思ったし、不足してきているし、必要とされていくものだって。だから、答えると「そういう(課題を感じている)ところに営業して、依頼を受けて行きます!」って。
何度も挫けそうになりながらも、8月頃から11月末頃まで、2週間に1度ほどの講座の中で様々なアドバイスをいただき、ブラッシュアップしていきました。そして最終のビジネスプレゼンテーションで、有難いことに優秀賞をいただくことができました。本当は最優秀賞を狙っていたんですけどね。(笑)
審査員には、ベンチャー起業家や創業支援の専門家、県の職員の方など何名かいらっしゃったのですが、中でも創業支援の専門家の方が「この事業はこれからの社会に必要なことだと思う、なんとかしてこれをビジネスとして持ち上げていく手伝いを私はしたいと思う」と押してくださったと後で聞きました。嬉しかったですね。
背中を押してくれた、妄想癖と大切な人
《ーーその、自信はどこからくるんでしょうか。事業の収支化をどうするのと言われも、「これからの世の中に必要なんです」って、想いに対してブレない自信。》
いや、ブレブレです。(笑)
方向性やアイデアが違うのかなって悩んで夜眠れなかったりとかしますし、車の運転中とかもすぐに考えちゃったり。でも、妄想ができちゃってるんです。妄想って、起きていないことを実際に起きてるようにイメージすることだと思うんですけど、そのイメージした映像が見えちゃうと、いける気がしちゃうんです。これ実現したらめっちゃハッピーじゃない?って。そういう妄想がどこまでできているかで、自分のブレ度が変わります。
《ーー妄想を、映像を思い浮かべる。それは昔からそうなんですか?》
小さい頃から本を読むのが好きで、脳内で映像化するっていうのはよくやっていました。転校を繰り返していたときにはよく本の中の世界に入り込んでいて、ある意味で現実逃避的な時間だったんだと思いますが、その経験が結果的に役に立っていると思うと、それはそれでよかったのかなと思います。
あとは、身近に応援してくれる人がいたことは大きかったです。そのときお付き合いしている人がいて、貿易会社に転職したときくらいから、入院したり、ちょうど迷っているときで、いつもそばで話を聞いてもらって、支えてもらっていました。
会社を辞めて起業をしようと思う!と相談したときも、背中を押してくれました。もし彼女がいなかったら、今こうして起業していなかったんじゃないかなとも思います。いろいろあって、今は別々の道を歩んでいますが、間違いなく、その人がいたから挑戦できたと思っています。
まちで生まれ育った人は、みんな“まちのこ”。目指すのは”まちのこ”の居場所づくり
《ーー現在、まちのこ団の活動としては、移動式あそび場づくりやまちのこベース、先日の「こどものまち・ひたち」や「Living Street Hitachi」などのイベント企画・運営など多岐に渡っています。まちのこ団の将来像としてイメージしていることはありますか。》
まちのこ団のビジョンは、すべての子ども若者が自信を持って生きる社会をデザインするです。その先には、寛容な社会の実現があると考えています。
ぼくは、生きづらさの原因の一つに「他人軸」で自己認知をすることがあると思います。「自信のなさ」と「他者との比較」の劣等感から生まれる妬みや嫉み、恨み、苦しみなどは他人軸で自分を見たときにおこる現象です。客観視するためには必要な視点ではありますが、弊害も大きい。反対に「自分軸」で判断することは、自分の中身を見ることであり、他人から見た自分ではなく、自分が自分の人生に意味づけをすることです。そうするためには、自ら何かを行い「成功体験」「失敗体験」を通して何度も何度も多様な経験を積み、知り、考え、出会い、ぶつかり、喜び、学ぶことが必要だと思います。そうして自分は形づくられていくのだと思っています。まちのこ団ではそのような体験を得られるきっかけを増やすべく活動しています。
また、そういったいわゆる自己肯定感・自己有用感を育むもうひとつのきっかけとして、一見すると矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、他者から尊重される、ありのままを受け入れてもらえる居場所があることも大事だと考えています。
「まちのこ団」の「まちのこ」という名前の由来は、大学時代にお世話になった東京・神田の町会長さんの言葉にあります。『みんな町で生まれて育って、いずれ死んでいく、みんなまちの子なんだよ。みんなまちの子ども、だからまちのこ』
なので、まちのこ団が目指すのは、子どもや若者はもちろん、”まちのこ”にとっての居場所をつくる、つまり、すべての人にとっての居場所があるまちをつくる、というところです。
まずは、同じ妄想ができる人を増やすところから始めていきたいと思います。
(完)
まちのこ団では仲間を募集しています
最後までお読みいただきありがとうございました。まちのこ団はこのように大きな野望を抱いていますが、まだまだ力不足です。ぜひ一緒に妄想をしてくれる方、応援してくれる方、一緒に活動をしてくれる方を募集しています。
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