私はたまプラーザで子育てをしたくて、子どもをかえで幼稚園に入れたくて、結婚しても美しが丘にいました。
バスで美しが丘三丁目に向かって入っていく時、ここの太鼓橋と向こうの平津のあたりの太鼓橋とが見える。まっすぐで走りたくなります。三叉路からの、ずっとまっすぐの道。おっきい木がずっと並んでて、天気がいいと空がまたきれい。夕焼けとか。
私、芝居をしているんですけど、いっとき毎朝始発で稽古に通ってたんです。5時17分の始発に乗るために5時ちょっと前に家を出る。三丁目のところの交差点あたりを通るとき、ほとんど車がいなくて。ちょっとバス通りの真ん中で立ち止まったりとか、わざわざ斜めに突っ切ったりとか、ぜいたくな道の使い方したりして。ちょっと走りたくなって…走ったことありますよ。何回か。駅からだと東急からずっと桜並木が続いていて、ず~っと降りてって、集会所のあたりでこう、ふたまたに分かれて、そこの分かれたこっちの遊歩道の右側が八重桜なんです。そこもまっすぐな道で、昔はそのまっすぐな道で走り回ってました。こんなにまっすぐな道、ちょっと走って来なさい! っていう感じ。
ここは子育てがしやすいですね。子どもがいっぱいいるから受け入れてもらえる場所が多いっていうのもありますけどね。車も通らないし、遊歩道もあるし、安心で。団地にもすごくいろんな種類の植物や花があって、季節ごとにきれい。いっとき団地に住んでたんですけど、長男が生まれて双子妊娠して、もう~無理だ!って、三丁目の実家に戻ったんです。母もひとりになって部屋も空いてたので。団地に住んでた時に、大人で10分ちょっとくらいかな、団地から実家まで。その頃まだ父が元気だったんで、毎日のように歩いてて。けっこう歩くんですよ、この子が。なので、駅までもぜんぜん平気で歩いちゃう。下の双子が歩き出したら今度は歩くの大変になるかも。ベビーカーにおさまってる間はいいけど、でも最近はもうおさまってないかな。
私はたまプラーザで子育てをしたくて、子どもをかえで幼稚園に入れたくて、結婚しても美しが丘にいました。私もかえで出身なんです。私の姉も兄も、3人みんなかえで出身。今でもかえでの友達とつきあいがありますね。かえで同士で結婚した子もいるし。で、その子たちの子どもも、またかえでに。かえでで一緒だった友達とのつきあいはずっとってわけじゃなかったんだけど、私たちの親はずっとですよね。私たちがはたちか、20いくつかのときに、当時の園長先生がリタイアするっていうので、お母さんたちが、じゃ集まろうっていうことになって、子どもたちにも声かけたら、行く行く!って、結構集まって。たぶん10数人くらい集まったのかな。もう携帯とかある時代だったんで連絡をとるようになって、大学生の頃はもう年に2~3回くらい会ってご飯食べたりのんだりして。いまはもうそれぞれ子どもが生まれて忙しかったりするので、会えるときは1年に1回ぐらい会ったり。だからもういまさらかっこつけたって、泣き虫だったなんとか君とか、もうバレバレ。男の子も、なになにちゃん!とか呼ばれちゃうから、もうかっこつけられるわけない。でも、なんか楽ちん、気心知れていて。なんか、幼稚園だけしっかり過ごしてればあとは自分で生きていけるかな、って思うんです。だから、うちの子たちを幼稚園だけはかえでに入れたかったんです。
インタビュー:2017年 夏
このおはなしは2018年No.005号に収録されています。冊子をご希望のかたはご連絡ください。冊子は無料、送料180円でお送りします(5冊まで送料は同じ)。「街のはなし」プロジェクトを、スキやサポート,snsのフォローなどで応援していただけましたら大変励みになります!どうぞよろしくお願いします。
企画・文・写真: 谷山恭子
編集・校正: 伏見学・街のはなし実行委員会
発刊:街のはなし実行委員会
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