「誰とやるか」決めること
公平性=誰でもいい?
プロジェクトは「誰がやるか?」でグレードのかなりの部分が決まってくる。
旧来型行政では大半の場合、「どんな要求水準書を作るのか、事業手法はどうするのか、VFMは何%あればいいのか、地域の合意形成をどうするのか、議会の理解をどう得るのか」等の事務的視点・手続き論・事勿ればかり気にしていて「素敵なパートナーを探す」視点が抜け落ちてしまっている。
悪い場合にはこうした大事な部分を自分たちで考えずコンサルに丸投げしたり、既成事実を作るためにお花畑のなんちゃって市民ワークショップを開催したり、空中戦の有識者委員会を開催してそれらしい理屈を並べてしまう。
公平性・競争性・平等性・公正性といった行政で求められる原理原則は重要だし無視してはいけないが、これらを過剰に意識して「どうしたいのか?」すら欠落していては、自分たちで覚悟・決断・行動することを避けているようでは、プロジェクトの質が上がるわけがない。
また、これらの論理によって本来は民間事業者の知的財産によるクリエイティビティを形にしていくべき性能発注のプロポーザル等の「誰と選ぶか」のプロセスが、「コンサルに高いフィーを払って・先行事例の劣化コピーでしかない・分厚い・仕様発注」の全く面白味のない要求水準書に基づく形式的な世界に堕ちてしまう。
そのような旧来型行政の行動原理・思考回路に基づく「行政的事業」に素敵なパートナーが現れるわけがない。
「公平性=誰でもいい」ではないはずだ。
ザ・サウンディングの実態
現在、行政のほぼ全てのプロジェクト(プロジェクトのレベルに達しない上記の「行政的事業」も含む)のプロセスではサウンディングが行われることが一般的になっている。
しかし、その実態は上記noteにも記したとおり、何をしたいのかもはっきりしないなかで、「行政のアリバイづくり」で自分たちの市場性のないシナリオを押し通し民間意見を反映する気もなければ、悪い場合にはコンサルに丸投げ委託する低質なものが相当数含まれているのが実態である。この事実は民間事業者が異口同音で口にする「サウンディング疲れ」なる言葉が物語っている。
また、民間事業者も悪い意味でザ・サウンディングにこなれていきていることから、何をしたいのかもはっきりせずに「老朽化しているから民間ノウハウを活用して建て替えたい」といった形でサウンディングをしてしまうと、大手ディベやゼネコンなどに「サービス購入型のPFI法に基づくPFI(BTO)じゃなきゃできません、大きく整備すれば賑わいも作れます」と唆される。(全社横並びで民間が過剰にリスクヘッジしたつまらない形しかサウンディングで話さないと、それがリアルではないがサウンディング結果としての「偽の市場性」となってしまい、客観的な立法事実となってしまう。)その結果、各地にヒューマンスケール/エリアスケールから逸脱した墓標が生まれていくのである。
木下斉さんもnoteでバッサリと「やっつけサウンディング」なる言葉で斬りまくっているが、本当にそのとおりである。
民間事業者は行政のアリバイづくりの道具ではない。そもそも民間の声を反映する気がなければサウンディングなどやってはいけないし、する資格もない。むしろザ・サウンディングによって泥沼にハマってしまう笑えない結果に陥る。
ザ・プロポーザル?
前述のようにコンサルに丸投げ委託した仕様発注の要求水準書では、民間事業者は「分厚い要求水準書のパズルを解くこと」が仕事になってしまい、「いかに自分たちならでは知的財産を活用していくか」を考える必要がなくなってしまう。
逆にクリエイティビティを発揮しても、そのことは採点上全く評価されないし、実際に受注してそれを実施したとしても(行政からは)評価されない。最悪の場合には、クリエイティビティを発揮しようと頑張って企画提案したことが要求水準書から逸脱するとみなされ減点対象となり失注してしまう。求められていないのにクリエイティビティを発揮してもビジネスとしては良いことが全くない。
だから、このような仕様発注によるザ・プロポーザルでは民間事業者もマシンとして粛々とパズルを解くことに専念してしまい、そこに「人の匂い」が宿ることはない(Chat GPTで軽く遊んだだけでもそれらしい企画提案書があっという間に出来上がる)。
ザ・提案制度(≒随意契約チラつかせ型)
随意契約保証型の民間提案制度は、2024年9月現在で延べ150以上の自治体で(質・規模や内容は様々であるが)何らかの形で実施されている。公務員時代にこの仕組みをはじめた頃は多方面からあらぬ批判(や一部は誹謗中傷に近いもの)を浴びていたことを考えると隔世の感があり、それ自体は素晴らしいことだと思う。
一方で未だに随意契約を保証しない民間提案制度を運用している自治体も数多い。「改めて公募の手続きを行う」「その際に民間から得た情報の全部または一部を利用して公募の仕様を作る」。。。書いていることの意味を本当に理解しているのだろうか。
どのような場合が知的財産に当たるのか行政は判断できるのだろうか。自分たちでできるなら自分たちで提案制度など活用せずにやれば良い。民間に少しでも頼ろうとするのであれば、知的財産はきちんと尊重して買わなければいけない。
中にはPPP/PFIの先進自治体を自称している自治体でもこのような民間の知的財産の意味を全く理解せず、自己都合の「ジャイアン理論」を振り翳している(それに影響された他の自治体が都合よく劣化コピーしていく)のだから闇が深い。
協定締結型
近年、急速に(比較的大規模な自治体を中心に)広まっているのが「民間事業者からテーマ型orフリーで提案を求め、それを関係課と繋いでいく」ものである。
これもアイディアとしては悪くないように思えるが、最終的に随意契約を保証せず(契約行為を行うつもりがそもそもないのだろうが)議会等はもちろん庁内的な合意形成すらそれほど求められない実証実験等にとどまるものが大半であり、行政が優位に立ちお互いの出すリソースやリスク等を考えると「対等の仕組み」であるとは言い難い。
また「協定」に留まる性質上、簡単・気軽に民間事業者と組むことができる一方でそれ以上の「深み」が出てこない、本質的な「負債の資産化・まちの再編・まちの新陳代謝」をお互いのリソースを出し合ってやっていくところまで届きにくいのが課題となる仕組みである。
こうした性質上、協定の締結先は大企業or地元の小さなプレーヤーとなる事例が多く、「表面的にできること」が主になるので覚悟・決断・行動して「この人と未来を賭けよう!」という形にはなりにくい。
簡単な「協定」はお付き合いの段階でしかなく、そのエリア・まちの将来を共に創っていく運命共同体にはなれない。その先が重要である。
入札(総合評価も含めて)
一緒にやる相手を短絡的に価格の多寡だけで決めること自体、そもそもあり得ない。PPP/PFIでやっていこうとする以上、基本計画の策定だろうがなんだろうが価格だけで相手を決めてはいけない。(この分野で一般競争入札に参加する事業者は「安く・大量生産」できる人しかいない。)
PPP/PFIはオーダーメイド型であるし、そのまちの文脈・歴史・人・しきたり等を丁寧に読み解きながら試行錯誤していくことがポイントとなるので、大量生産・大量消費とは相容れないものである。
一般競争入札で良い人と組める可能性は(強烈に高い案件のポテンシャルであったり猛烈に利益率が高いなどの条件があったとしても、)奇跡でも起こらない限りあり得ない。(おまけばかりの技術点を付与した総合評価一般競争入札でも、前述のザ・プロポーザルと同様かそれ以上に内容は仕様発注に基づくものであることから同様の未来しか訪れない。)
(総合評価も含めて)一般競争入札では「価格の安い人」としか巡り会えない。
自分の人生でしないのに
これらのことを自分の人生に置き換えてみよう。
自分の生命・財産を賭けて何かをしようとするとき、人生の大切な選択をするときに、誰とやるか・パートナーを選ぶときに「誰でも良いから安い」ことを理由には選ばないはずだ。相手のことも大して分からず、なんとなく「あなたでいいや」ともならない。
一方的な要求・スペックだけ押し付けて、これに応えられる人いますか?と謎の上から目線で一方的に誰かを選択することもあり得ない。
自分は全くリスクを冒さずに、逃げ道もいっぱい作っておきながら相手の退路だけ断つこともできない。
にも関わらず、行政はそのまちの将来を左右するかもしれない大規模事業であっても「今までそうだったから」「地方自治法の原理原則だから」といった主体性のない理由で、相手のことを考えず簡単に表面的な公平性・平等性等を理由として「誰でもいい」安易な選択をしてしまう。
そのような選択肢をとる事業、そしてまちに明るい未来が訪れるわけがない。
自分の金でやらないことを人の金、ましてや税金を使ってやってはいけない。
そして、そのような安易な選択をする人・まちには同等のレベルの人・企業しかやってこない。
「誰とやるか」の重要性
プロジェクトを創るのは「人」
個々のプロジェクトを直接的に創る(決定づける)のは制度・仕組み・金・場所・材料といった要素ではなく「人」であり、そのクリエイティビティであり、生成AIでもない。
だからこそ「誰とやるのか」が最も重要な事項である。
列記したこれらのプロジェクトを見ても、関わっている人々から発せられるエネルギー・スキル・情熱・・・いろんなものが混じり合って「人の匂い」が非常にするし、利用者も含めて多くの人々に愛されている場であることがわかる。
価格だけで選んだ人、コンサルによる先行事例の劣化コピーによる仕様発注のパズルを解いただけの人、(制度的な位置付けも含めて)希薄な関係性でやっている人たちが実施する事業からはこうした「人の匂い」は生まれない。
対等・信頼の関係
PPP/PFIでは(PPP/PFIに限らった話ではないが、)誰かと何かを構築していくものなので対等・信頼の関係が大原則になる。それぞれが持つ(得意な)リソースを出し合い、足し算・掛け算をして試行錯誤いくことではじめて「何か」が得られる可能性が出てくる。
「対等」であるとは関わる人々が自分のリソースを「平等に・同じレベルで」出し合うことである。ザ・サウンディングのように行政がなんの努力も検討もせず、市役所のなかでホームページに掲載して待っているだけでは、全くリソースを出していないしリスクも負っていないので良いパートナーに巡り会えることはないし、サウンディングの場でもクリエイティブな議論にはなり得ない。
「誰と組むか」を選ぶために
「何をしたいか」突き詰める
まずは「自分のまちをどうしたいのか」「そのプロジェクトで何を叶えたいのか」を1人称できちんと説明できるようにしていくこと、いつも言っているが「ビジョンを明確にする」こと、そして共有して共通言語にしていくことが重要である。
自分の言葉で相手にしっかりと伝えられないことは、相手に刺さらない。
そして1人称と言っても独りよがりでは単なるスタンドプレイでしかなく、相手には信用されない。
上記noteで記したように関係課が集まり徹底的なディスカッションを繰り返しながら何をしたいのかを突き詰めていくことによって、様々な与条件・制約事項・将来的に様々な方面から出される懸念や留意事項などは自ずと精査されていく。
同時にこのプロセスは内輪だけでやっていると独りよがりになってしまいリアリティを持たないので、市場と向き合い「やりたいことができる人」を探すことが求められることとなる。ここにサウンディングの本来的な意味が存在する。
出せるリソースを明確に
未だに「PPP/PFIは民間資金を活用するのだから行政は何も支出する必要がない(行政が資金を出すのはPPP/PFIではない)」と誤認する人たちも多い。PPP/PFIは「それぞれの主体が持てるリソースを出し合い、どちらかだけではできなかったプロジェクト・世界を創出する」ことであり、そのリソースの一つが資金である。
例えばPFI法に基づくPFI(サービス購入型)では、民間が提供するサービスに対してサービス料を行政が支払うことになる。このような古典的なPFIですら、契約の根拠は行政が支払えるサービス料という金銭的なリソースである。
更に誤認している人たちなかには「民間が公共資産を活用して稼ぐのは悪」といった理論を振りかざす人たちも多い。民間が公共空間・サービスで利益を得られるのは高質で市場にあったサービスを提供していることの証明でしかなく、まちはこうした民間の経済活動の結果としての税金で成立していることを忘れてはならない。まちとしての持続可能性も「まちのなかできちんと資金が循環する」経済合理性がなければ絶対成立しない。
このようなことを前提として、素敵なパートナーと手を組むためには事前に行政として出せるリソースを整理しておくことが重要である。そのプロジェクト全体で(少なくとも20年間で)どれだけの一般財源を確保できるのか、条例等の緩和措置はどこまで行うのか、マンパワーはどれだけ用意しているのか、議会や市民との合意形成をどこまで真剣に行う体制が準備できているか等もリソースである。
民間にそれだけの知的財産を求めるのであれば、行政はそれを越えるだけのリソースを準備することが礼儀である。
前述のTHE 610 BASEも含めて、福知山市の廃校活用では民間事業者の使いたい形に合わせて市街化調整区域であっても市が当該用地と周辺に地区計画をかけて実現している。これも行政の出せるリソースの一部である。
このようなリソースの出し方は行政でしか出せないものであり、同時に「やるか・やらないか」の姿勢に依存するものなので、この人とやりたいと本気で思えばこの程度のリソースの提供は必然的にすべきものである。
知的財産の意味を「正しく」知る
これらのnoteにも記したように、世の中では優良事例と言われているものが多くあるが、表層的にそれらを見るだけでは意味がないし、点としてはうまくいっているようでも周辺エリアの状況に深刻な悪影響を及ぼしているものも存在する。
PPP/PFIについてもサウンディング(や提案制度)に関するセミナーも数多く行われているが、実施方法や実施要領の解説、普通のサウンディングの事例紹介程度にとどまり、残念ながら知る限りレベルの低いものが多いと言わざるを得ない。
PPP入門講座や公共FMフェスのように「なぜそうなのか?」「どうしてそこに至ったのか?」等に触れずに本質に迫ることはできない。
知的財産についても同様である。個々の民間事業者が生きているのは、それぞれの事業者に他社と差別化できる知的財産があるからである。知的財産は民間事業者にとって最重要のリソースであり、同業他社に情報公開請求等で簡単に提示して良いものではないし、民間提案をお上意識でむしり取って「全部または一部を使って公募関連資料を作成する」などは暴挙というほかない。
「誰とやるか」を本気で決めたいのであれば、その人の知的財産を尊重する。そのためには知的財産について改めて「正しく知る」ことが前提となり、このことがわかっていればザ・プロポーザルや随意契約を保証しない提案制度、ましてや(総合評価を含む)一般競争入札などパートナーの選定方式としてあり得ないことはわかるはずだ。
営業を前提としたサウンディング
サウンディングは庁舎で待っていてはいけない。コンサルに委託したり地域プラットフォームのなんちゃってサウンディングで誤魔化そうとするのは問題外である。
サウンディングは、自分たちのやりたいことを「誰とやるか」「やりたいことと市場がマッチングするのか」を確かめるために行う行為なので、自ずと行政が自ら徹底的に営業していくことが前提となる。
「行政は営業に行ったことないから」「個別の企業に営業するのは公平性等の関係で問題があるから」等のやらない理由をこねている人・まちに素敵なパートナーと巡り会えるチャンスは生まれない。
個別企業のスクリーニングや業界団体への周知依頼等によって徹底的に案件の周知をする、動画も含めてSNSやマスメディア等も活用するといった工夫によって情報を幅広く行き渡らせることで、つまらない批判には十分に耐えられるはずだ。
公務員時代に総合体育館の指定管理者の公募要件を作成するためのサウンディングでは、(当時はまだSNSはなかったがw)これらを徹底的に行うことによって説明会に20社が参加し(6社との個別対話)、その対話結果を反映して基本計画を大きく見直して要求水準書に落とし込んだことによって、東京ドームを選定することができた。
随意契約保証型の民間提案制度
随意契約保証型の民間提案制度は、「誰とやるか」を決める方法論として非常に使いやすく、民間事業者にとってもアイディアレベルの簡易な企画提案書のみで応募リスクを低減しながら参加できる方法論として有効である。
もはや「随意契約ガー」といっている場合ではないし、そんな時代でもない。
そもそも優れた民間事業者は一般競争入札の参加登録もしないし(手間が無駄)、ザ・プロポーザルで分厚くてつまらない仕様発注パズルの要求水準書を読み解く時間もなければ、そんなものに興味は示さない(時間の無駄)。
福井市では上記のように「地域振興規定」を定め、条例で民間提案制度によりこれに該当する提案があった場合は、減額・無償貸付についての議会議決を不要とするルールを備えている。この規定によって、民間事業者は自分たちで全くコントロールの及ばない議会リスクをほぼゼロにできる。
これも「誰と組むのか」の可能性と幅を大きく広げる行政でしかできない工夫のひとつである。
近年では余市町の道の駅、常総市のまちなか再生などの行政負担を前提としたものも随意契約保証型の提案制度の範疇になってきている。
「原則として新たな行政負担が生じない」提案制度はプロトタイプであり、それぞれの自治体によって、本当に「この人と組みたい」という強い意志があればこのような仕組みに発展させることも十分考えられる。
事業パートナー方式
南城市では2本の大規模事業を事業パートナー方式で応募している。
事業パートナー方式とは、行政が最低限の与条件とやりたいことだけを定め、プロポーザルで選定した事業パートナーとともに具体的な事業手法・資金調達方法から設計・施工・維持管理運営までを一緒につくりあげていく方法論である。
従来、コンサルに委託していた可能性調査・アドバイザリー業務等も含めて実際に事業を行う事業者が実施することで、「計画する人と設計・施工・維持管理運営・経営する人を同一主体」とすることができる。
今後、この方法論が急速に広まっていくだろう。こうした方法論が広まっていかなければクリエイティブなプロジェクトは創出されにくいし、全国各地で膨大な数のプロジェクトを展開していかなかければいけない現状を踏まえれば、必然的な形とも言えるだろう。
エージェント方式
前述のオガール・morinekiや盛岡市の木伏緑地等で用いられている方法論で、上記の事業パートナー方式と似た仕組みではあるが、行政ももちろん(三セクを組成する場合は出資して)関与していくが、事業そのものを民間事業者に委ねる意味合いが強くなる。
エージェント方式では公募等によらず「直接その人を指名」することから、より大きな覚悟・決断・行動が必要となるが、まさに運命共同体としてそのまち・エリアの未来を左右するプロジェクトに取り組んでいくこととなる。
特命随意契約
まだこれといった事例は確認できないが、これからの時代を考えると「この人と組むしかない」といったパターンも多く出てくるだろう。そのときに上記のような現実的でかつきちんとした方法論を取ることも選択肢になるが、それすら飛び越えていきなり「この人とやろう」と決めることも長の執行権によって出てくるかもしれない。
まちとしての総力戦が求められる時代、大切なのはどれだけ多くの魅力的なプロジェクトを自分たちのまちで創出できるか、そしてそのためには誰とやるのかが勝負を決める。
一般競争入札やザ・プロポーザルに拘っているのは前例踏襲・事勿れに陥っていることと同義である。ザ・サウンディングでお上意識をいまだに持っているようでは素敵なプレーヤーと巡り会えないし、リアルな市場とも向き合えない。こうした思考回路・行動原理でいる限り、金太郎飴的なハコモノ事業・魅力のない愛されない場にしかならないので、まちを見渡せば膨大な税金を投下したにも関わらず誰も幸せにならない現実が広がってしまうのだ。
やはり必要なのは覚悟・決断・行動であり、どうやって「やり方を変える」のか、そこにクリエイティビティが存在する。
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