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【考え方】安らかな魂を想う

私は西洋哲学科の出身だけれど仏教も好きで、好きと言っても全く詳しい訳ではなく漠然とした興味がある程度なんだが。

和尚様がお経を唱えるのは、故人の魂が迷うことなく極楽浄土へ行けるようにの意味だと思っている。
どうしても、在りし日の故人が、広くてなんとなく視界の悪い場所できょろきょろ辺りを見渡しているところを想像してしまう。
そこにお経が聞こえてくるときっと導かれるように歩き出して、行くべきところへ向かうのだろうと。

でもそれは、いつか見たアニメや本や映画のイメージで作られたものであるように、
実際にはもう、肉体から魂は離れているんだ。その魂とはさすがに人魂のようなものを想像する訳ではなく、実体のない、もしかしたらその人たらしめた記憶もないほど純粋な、純粋な精神の根本のようなもの。

たくさんの修行を積んだ和尚様たちが極めた仏の道・お経の真髄を、生前そんなこと全然わからなかった人が死んでいきなり理解できるものか。
だからお経に導かれるのは純粋な魂だ。きっと。

哲学的に考えたら、魂と離れた肉体にはもうその人はいない。
でも感情的に言えば、肉体がこの世から消えてしまうことはどうしようもなく悲しい、寂しい。だからもう魂も宿っていないその人の身体に、ありがとう、ありがとうと何度も声を掛けるのだ。

悲しみに耐えるために押し潰されないために、矛盾しまくった好きな解釈でいいんだ。
あの世があるとかないとか、そこにその人が生前の姿でいるとか笑っているとか、どこかに生まれ変わっているとか。
結局そんなことわからないのだから、今この世にいる人が、苦しくないように想像すればいい。

ただ、魂よ安らかに。
この世界に生きていた人には魂が必ずあって、それが肉体を離れたことで、神の元へ還るのだと思っている。
どうかその途中で道に迷うことなく、そして当たり前のように正しく清らかな魂であってほしい。
そんな気持ちを言葉にして、手を合わせる。魂よ安らかに。

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