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片山洋次郎『整体から見る気と身体』
肩に力が入ると丹田の力は抜けてしまう。(中略)…例えば表現としても「腹を括る」とか「腹を割る」とか、「腹が立つ」とか、「腹に据えかねる」とか、「片腹痛い」とか、そういう表現はあまり今使いませんね。今は、「頭にくる」とか、「肩が凝る」とか、「むかつく」とか、「吐きそうだ」とか、「頭がくらくらする」だとか、そういうどんどん体の上の方に言葉の表現が、向かってきているんですね。昔に比べてそれだけ頭の方に、意識が集まっている。(中略)…それだけ、逆にいうとお腹の方から力が抜けているということだろうと思います。
「いわゆる」整体との違い
去年、整体に行き始めたのは、寝ても治らない首の痛みがあったからだった。そこから、整体に興味を少し持ち、この本を手に取った。
力を使ってぐいっと押すとか、ずれた骨を元の場所に戻すなどの、一般的な「整体」のイメージと、この本の中で言われている「整体」および「気を通す」とは似て非なるものだった。
冒頭から、体を触らなくても、あるいは触っているだけで気を通すことができる、とあって未知なる世界の匂いにぞわぞわした。
ただその場にいるだけで、みんな「気」を共鳴させている。互いの気とか体癖(体質のようなもの)の違いを受け入れ交流できれば元気になる。
エネルギーの強弱
「エネルギーが強い人ほど、外側に大きく(波動が)広がっていく」「それが小さく抑えつけられてしまうと、エネルギーの強い人ほど体の具合が悪くなる」
これを読んでものすごく腑に落ちた。
何がどうというわけではないが、自分のことをエネルギーが高い方だなとなんとなく感じていて、でもその分、乱降下が激しく、その調子についていくのが大変だと思う時もある。
それが原因で、自分だけならまだしも、周囲の人を困らせてしまうのではないかと心配になる。落ちた時は、それはそれで落ち込みに逆らうでも飲み込まれるでもない向き合い方を探していきたい。
歪みを経過として読む
一番、おおっと思ったのは、「歪みを経過として読む」という内容。
病気でも、自分の身体のバランスが取れていればそれでいい(‼︎)
痛みなら、もちろんないほうがありがたいけれど、歪みは必ずしも「治」さなくてはいけないものではない。「歪み」は、体がそのようにある方が心地よい状態なのだということ。
体に「弾力がある」という表現も新鮮で面白い。柔軟性があるとか、柔らかいとかではなく、「弾力」。
「気を通す」「流す」「息を吐く」
お腹に力が抜けている状態で立つと、腰が痛くなりやすい。そこで、膝の力を緩めて立つ練習をすると、足の内側に力が入り、お腹の下の方に自然と力が入る。
初めの一歩として、レッグウォーマーで足首を温める、立っている時に膝を緩めることを始めてみる。
気功には行ったことがないので、概論を読んだところであまり実感としては分からないことも多かったが、折に触れて読み返したいと思う。
今年は気功の体験もしてみたい。