
一生「幸せ」に生きる唯一の方法~幸せとは・・
皆さん、こんにちは。
今日は、幸せの概念について、少しお話ししたいなと思います。
皆さんは、「幸せな人や理想の将来像」をイメージするとき、どんな人や人生を思い浮かべますか。お金持ちの人でしょうか。スタイルの良い人でしょうか。有名人でしょうか。有名企業で働いている人でしょうか。可愛い奥さんを持っている人でしょうか。
「幸せ」というのは、一定の概念はなく、人によって「幸せ」の尺度は違います。
ただ、もし、自分に「幸せになること」を誓うことができれば、誰でも「幸せ」になることができると私は確信しています。
では、そもそも「人生の目的」って何でしょうか。
それは、人それぞれ違う・・・?
そうでしょうか。
人生の目的は、誰しも「幸せに暮らすこと」ではないのかと思います。
皆、その過程や概念は様々だったとしても、「幸せに生きること」を目指しているのだと考えています。
ただ、その「幸せの追求」には、罠があり、皆あまり気づいていないのだと思います。
結論から言うと、実は「幸せ」には2種類あり、「相対的幸福」と「絶対的幸福」という概念があります。
そして、ほとんどの人は、「相対的幸福」の追求で生きていて、一生、永遠に満たされることなく人生を終えるのです。
相対的幸福(他人と比較した幸せ)には、ゴールがありません。
満たされたら、次の比較する人が出てくる。上には上がいるのです。どこにいっても競争です。上にいけばいくほど、ライバルは強敵で過酷です。そして、満たされた後は、その全てを失うことの恐怖に苛まれることもあるのです。
これって、地獄だと思いませんか。人は気づかずに、この永遠地獄のループに巻き込まれている気がします。
逆に、ごく少数の人は、一生不安に支配されない、永遠に満たされた感覚をもって生きているのです。
それは、人生の目的を「相対的幸福の追求」ではなく、「絶対的幸福の追求」にベクトルをふっているからです。
「生きているのが辛い」と思っている人がいるとすれば、たぶん自分の奥底では、この「相対的幸福の追求」をしているのかもしれません。
では、「絶対的幸福の追求」にベクトルを向けるには、どうしたらよいのでしょうか。
それは、実はとても簡単です。
他人との比較をやめるのです。
あなたはあなたです。誰にも変えようがない人です。存在しているだけで素晴らしい人です。その比較をしている人に勝ったとき、何かが起こるのでしょうか。誰かの役に立つのでしょうか。世界が変わるのでしょうか。
答えはNoです。
あなたが誰かに勝ろうが劣ろうが、世界に何も変化はありません。それに、何をもって「勝っているのか」、「劣っているのか」なんて、この短い時間軸では、わかりません。
だったら、もう他人との比較はやめましょう。
そして、嫌な人との付き合いも一切やめましょう。他人との摩擦や嫉妬で神経をすり減らすことに何の得もないのです。
「答えがないことに消耗することは、一切やめる!」その決意こそが、「絶対的幸福の追求」の一歩です。
そして、次のステップとして、「人生の意味をみつけたい」と思えば、「自分と他人、両者に貢献する」生き方を目指していくと良いと思います。
「他人に貢献」というと、特別なスキルがいるような感じがしますが、まずは、「自分への貢献」を考えてみてください。
思いっきり、自己中で良いのです。自分を満たしてあげれば、他人を満たそうという気が起こってくるものです。
やりたかったこと。
過去にたくさん封印してきていませんか。
片っ端から没頭してみるのです。「何の役に立つか」そんなことはどうでも良いのです。考えても答えはないのですから。なので、考えることはやめましょう。
没頭した先に、答えがぼんやり見えるはずです。
ということで、今日は、「絶対的幸福の追求が幸せに生きる鍵となる」というお話しでした☆
ではでは、また☆
今日も素敵な夜になりますように。疲れを癒やして、明日も素敵な一日を過ごしてくださいね^^
おやすみなさい☆
いいなと思ったら応援しよう!
