「置かれた場所で咲きなさい」から「咲く場所を見つけ、自分色の花を咲かせる」へのシフト
高校の卒業式の日に担任の先生(H先生)から言われた言葉である。
私は医学部志望であったが、センター試験のできが悪く、思いもしない工学部(生命工学)に進学することが決まっており、絶望感を味わう最中で卒業式を迎えたのである。
3年生の時はクラスの学級委員をしており、クラスの代表として先生に花束を渡した。その時に言われた言葉が
「置かれた場所で咲きなさい。」
その当時は、嫌味にしか聞こえなかったが、今思うとこの言葉がなかったら今の自分はいないと思う。
H先生との出会いは高校2年の時だった。担任になり、個人面談で「このままでは希望の大学には合格できない」とはっきり言われた。2年生になりたての頃はろくに勉強をしておらず、とりあえず指定校推薦で六大学に入れればいいかなくらいの感じであったが、この面談を境に少しずつ勉強に熱が入り始めた。同じくらいのタイミングで祖父が脳梗塞で倒れ、重度の後遺症を患った。目の前で、体のあちこちが麻痺して、言葉を発することができない様子をただ黙って見るしかできない自分に苛立ちを感じた。そこから、生物に興味を持ち始め、生物の担当であったH先生の影響もあり、医学部への進学を志すようになった。3年になってもH先生が担任となり、常にサポートしてもらった。
結果は、不合格
家庭の都合上、浪人は許されなかったために、人生のおわりを告げられたかのように絶望感に打ちひしがれた。
大学に入学後は、工学部であったことから教養科目で大の苦手な物理があり、私に取っては地獄のような日々。ただ単位を取るために試験前に少し勉強し、残りはバイトと遊びに全力を注いだ。大学2年になった時に、有機化学の授業でペニシリンの合成方法を学び、「これが人類を救った物質なんだ。薬は有機化合物から構成されており、それは熱力学や量子力学が大きな柱となっている」と気づけた。つまり、病気を治すためには単に生物学の知識だけでは完結しないことを認識した。この気づきから、私は「医療現場ではなく、モノづくり(創薬)で医学に貢献したい」と思うようになったのと同時に高校卒業時の「置かれた場所で咲きなさい」の意味がようやく理解できたことになる。
私はこの講義をした教授の研究室の門を叩くことに決めた。4年生から大学院修士課程の3年間、死に物狂いで研究に励んだ。置かれた場所(=研究室)で花を咲かせるために。。。
その結果、論文を2報、国内外の学会発表と発表賞受賞と自分でもできすぎと思うくらいの実績を残すことができた。そして、念願かなって製薬会社に入社することができた。
入社後、希望した部署とは異なる部署への辞令が言い渡された。しかし、前向きに捉えることができている。なぜか?
置かれた場所で花を咲かせればいいのですから。。
現在、入社3年目。毎朝始業の30分前から仕事を始める習慣をつけ、努力を重ねた結果チームリーダーに昇格することができた。ただ、これがゴールではないと思っていない。むしろ会社に入ってからのゴール(花が咲く)が何かが分からないというのが現状。
この記事には、
敷かれたレール(=置かれた場所)をきちんと走ることでいろんなものを得ることができてきた(=花を咲かせること)が、これからは自分で目的地を決めて走ることが必要である。
ことを書いた。
これからの命題は
咲く場所を見つけ、自分色の花を咲かせること
さあ、次のステップに向け自分自身を振り返ることにします!
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