
修士課程の時にアメリカでプレゼンした話
修士2年生の時にアメリカで開催された学会で30分のプレゼンテーションをしたときの経験談から学んだことを赤裸々に語ります。
1.きっかけ
私が所属していた研究室に外国人の研究員(以下、Lさん)が入ることになったのです。Lさんを空港に迎えに行ったものの英語は何もしゃべれない。なんとなく理解はできるが、自分の言いたいことを思うように伝えることができないジレンマ… 悔しい気持ちよりも恥ずかしさがまさってました。
その日から、報告会の資料は英語で作成することに決まりました。突然のことながら、私含め研究室のメンバーはこれまで英語をまともに使っていなかったため、資料の英語はひどすぎる内容でしたね(笑)。
特任研究員(以下、ポスドク)の先輩たちは英語でディスカッションしている姿を見て、「俺もこんな風になりたい」と思うようになりました。
2.英語でプレゼンするまで
最初にやりがちなことは、完璧な文法で話さないといけないと思ってしまうことですね。これによって、ガチガチになってしまい、言葉が出て来なくなります。当時、TOEIC550点でありましたので当然のことですね…
そこで、私が意識したポイントは
✅文法は中学英語以上は使わない
✅英語が上手な人のフレーズをとにかく真似る
✅とにかくアウトプットして練習(英語でのコミュニケーション)
最初の報告会の日は今でも鮮明に覚えています。
かっちりしたスクリプトを作って、練習しまくりましたが、本番は途切れ途切れで実に滑稽な発表になりましたね(笑)。ただ、英語で発表しようとする姿勢が評価され、ボスを始め、先輩方も親身になって聞いてくれました。
その日からは、英語を使うことに恥じらいをなくし、研究の話だけでなく日常会話も英語で話すようになってきました。
研究も順調に成果が出始めた修士1年の秋に、教授から
「来年の夏にアメリカに連れていくから30分間プレゼンしてみないか?」
と提案され、私は即答で承諾しました。
就活も無事に終了し、本番まで2ヶ月を切り、資料作成から発表練習まで苦しい日々が続きました。ボスがつきっきりで指導をしてくれたおかげもありなんとか様になるようになってきました。とにかく気が済むまで何回も練習しました。原稿丸暗記くらいになってきたくらいに本番を迎え、無事に発表を終えることができました。質問も4つもらい、自分の発表が海外のスピーカーたちに伝わったんだなと思うと胸が熱くなりましたね。私にとってかけがえのない経験になりました。
余談ですが、その日の夜はお酒の勢いでオーストラリア美女にナンパして撃沈しました…
これも、今回の頑張りなしには経験できなかったと思いますね(笑)
3.英語を使うようになって見えた世界
✅外国人と積極的にコミュニケーションをとるようになった
→留学生の研究アシスタントをし、共同研究が論文化した
✅海外旅行がより一層楽しめるようになった
→言葉の壁を全く感じなくなり、恐怖心ゼロ
✅一生付き合える、海外の友達ができた
→Lさんとは家族ぐるみで仲良く、大学卒業後も飲みに行っている
私の場合、サイエンス(学会発表)を通して英語を使うようになりました。たまたま、この機会を与えてくれたボスには今でも感謝していますし、私の第一の師匠です。
これまでの人生は日本人としかコミュニケーションをとって来なかった自分が世界を感じれるようになったのです。
よく両親から言われた言葉がありました。
「いい大学に行って、いい会社に入って、家と家族を持ちなさい。」
敷かれたレールを歩いていれば幸せになれるよということを両親は私に言いたかったのでしょう。ただし、現代社会は目まくるしいグローバル社会。昨今のコロナ禍のワクチン開発では世界各国と比較して大きく遅れをとってしまった日本。土地柄的に、自分たちから外に出て行かない限り世界は歩み寄ってはくれません。しかし、自分たちから歩み寄ればチャンスは世界中に転がっている。私はこのプレゼンの体験で痛感しました。変化を恐れては、こらからの日本の未来は明るくはならないと思います。
これまでの常識はこれからの常識ではなく、トライアンドエラーを繰り返しながら新しいことにチャレンジしなければならないのです。
コロナ禍で自粛期間している間にも世界と少しずつ格差が広がっているのではないかと考えています。
話が脱線しましたが、本場アメリカでプレゼンを経験することで英語力はもちろんですが、視野が広がり、思考の柔軟性が身についた気がしています。
これからも私を取り巻く外部環境は目まぐるしく変化すると思います。今回の経験から得た「一歩外に踏み出す勇気」を持ち続けることを意識して行きたい。そして、常に視野を世界に向けた思考を心がけたいですね。