「読書嫌い」だったのに国語科教員になって引け目を感じていた話
プロブロガーで夫婦別姓でフェミニストのヨスさんと連続公開ゼミ「#世界はもっと生きやすい」を始めて、早1年が経とうとしている。毎回、2人が共通して興味関心を持つテーマについてゲストを招き、120分ノンストップでしゃべり倒すという自主ゼミ。コロナ禍でオンラインセミナーが普及したこととも相まって、繰り返し参加してくれるリピーターさんを含め毎回30~200人ほどの申し込みがある。ありがたや。
9月開催の8回目のテーマは「編集者直伝!生きにくさを克服する読書術」。ゲストにお招きしたよはく舎代表の小林えみさんとは、岩波、KADOKAWA、講談社などの大手を含め出版社でSNSの管理・運用を担当する「中の人」が集まる「#ナカノヒト会」で初めてお会いし、何度か交流させていただいた。
今回のゼミも例に漏れず盛りだくさんの内容で、話題も多岐にわたった。わずか2時間の間に言及した(小林さんによる推薦だけでなく「編集者」の仕事についてなど、話の流れで触れたものを含む)本のタイトルだけでもざっとこんな感じ。
山口つばさ『ブルーピリオド』講談社
木村セツ『90歳セツの新聞ちぎり絵』里山社
藤本タツキ『ルックバック』集英社
大場つぐみ/小畑健『バクマン』集英社
松田奈緒子『重版出来』小学館
友田とん『「百年の孤独」を代わりに読む』代わりに読む人
デヴィッド・L・ユーリン『それでも、読書をやめない理由』柏書房
アサノタカオ『読むことの風』サウダージ・ブックス
SANAE FUJITA『AHIRU LIFE.』よはく舎
前田 まゆみ『ライオンのプライド 探偵になるクマ』創元社
神坂一『スレイヤーズ』KADOKAWA
NO YOUTH NO JAPAN『NO YOUTH NO JAPAN』よはく舎
和田義弥『ニワトリと暮らす』地球丸
森山至貴『あなたを閉じこめる「ずるい言葉」』WAVE出版
書店員として新刊300タイトルのリストに毎日目を通すというだけあって、守備範囲の広さとアンテナの張り具合はえげつない。仕事で本を作り、売り、趣味でも本を読み、束の間の休みでさえ紙の雑誌を風呂場に持ち込んで読むという、まさに筋金入りの「本好き」な編集者である。
「風呂場で読むなんて扱いがぞんざい過ぎる!」と一部の「本好き」からは怒られそうだが、濡れてもそのまま処分できるので、雑誌はあえて紙で買っているのだそうだ。他にも「ネトフリの映画は倍速で」「ドラマは仕事の合間にながら聞き」「ミステリーは真相(結末)から」などなど、自分ルールが独特で、ヨスさんにも引けを取らない「効率化オタク」っぷりが痛快すぎた。
出版界では「本を読め」「紙の本を買え」と勧める編集者が大勢を占め、書店主催のイベントなども概ねそうした結論がお決まりなのだが、小林さんのスタンスは微妙に違う。「読書のあり方だって多様でいい」。これまで抱いてきた「読書」の概念もことごとく覆されていく。
話を聞きながら「読書嫌い」だった幼少期を思い出した。もっぱら絵を描くのが好きだったので、活字には苦手意識しかなかった。学校の図書館では伝記マンガしか借りた記憶がないし、何より読書感想文の宿題が大嫌い。オトナが選んだ「課題図書」を読んで、褒められそうな陳腐な感想を絞り出す苦行を、どうしてみんな平然とこなせるのか。
ところが、大学で教員養成課程に進学するにあたり教科を一つ選ばざるを得ず、「美術」とさんざん迷った末になぜか「国語」を選んでしまった。他に得意なものがなかったのだ。教員免許は小学校一種と中学国語の二種で取得。後に私立小の高学年を担当するにあたって、国語を専科とすることになってしまった。
当時、とりわけ文学青年でもない、漢字や古文に造詣が深いわけでもない「読書嫌い」の人間が、国語なんかを教えていていいものかと引け目を感じていた。さすがに、嫌いだった「読書感想文」を教え子たちに強いるわけにもいかず、自分の好きな本の「推薦文」を書いてみよう!という宿題に変えた。当時、それらを編集した冊子には、こんな一文を寄せている。
何をかくそう、先生(私)がまだ小学生のころの話。図書館に行ってもさし絵が気に入った本ばかりを選び、本文をまともに読み切ったこともないほど、本を読むのがにが手な少年だった。なにしろ感想文を書くのがきらいだった。「課題図書」という名の、何やら「ありがたそうな」本の数々。今、先生という立場で言うのもなんだが、だいたい先生とか親にすすめられた本は、おもしろいと思ったことがない。「本がおもしろい」と初めて思ったのは中学に入ってから。すべて本には、書いた人が伝えたいメッセージがこめられていると知ってからのことである。今思えば、もっと早く気づいていればよかった。
(中略)子どもたちの文章を読むと、世代をこえて同じ物語が読みつがれていることが分かってうれしい。ぼくらのバイブル(?)だった「ドラゴンボール」ブームの再来と同じよろこびがある。
この図書案内は、世界に一つしかない、〇〇組の目線で書かれた、〇〇組のためのガイドブックである。だれにどんな言葉ですすめられるより、「友達が読んだ」という事実の力は大きい。先生まで読んでみたくなるような本がたくさんある。ぜひ、友達の読んだ本をさがして、友達と同じ感動を味わってみよう。(2003年5月21日)
自称で「先生」を多用しているあたりは、いかにも教師らしい文章で恥ずかしい限りだが、極力、幼いころの自分のような「読書嫌い」にも精一杯寄り添いたいとは思っていた。他にも「漢字ビンゴ」やテストの累計点を記録する「漢字でGO」、画数で強さが決まる「漢字クエスト」カードなど、小学生に刺さるための工夫を凝らした。
先の文で「『本がおもしろい』と初めて思ったのは中学に入ってから」と書いた出会いが、まさに「ラノベ」とういジャンルがまだ確立する前、一世を風靡した『スレイヤーズ』『フォーチュンクエスト』をはじめとするファンタジー小説の数々だった。なにやら小難しい活字の羅列をひたすら追っていく作業としか思っていなかった本の世界で、こんなに自由で面白い表現が可能なのかと衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。
同じ活字という括りで言えば、当時ひそかなブームになっていたゲームブックも私にとって重要な「読書体験」だったことは間違いない。東京創元社、社会思想社、グループSNE、富士見書房にはたいへんお世話になった。
しかし、いずれも当時のオトナたちからすれば、教養を身につける高尚な読書体験とは言い難く、しょせんはサブカル。国語教育や学校図書館の世界からはほど遠い存在でしかなかった。ラノベが一大市場に成長した今日とは隔世の感がある。
あの時、小林さんのような考えに触れていたら、そこまで引け目を感じずに国語教師を続けられたかもしれないし、今よりもう少し本好きになっていたかもしれない。読書に限らず、「~ねばならない」「~とはこうあるべき」といった「原理主義」に縛られず、多様なあり方を柔軟に認めていくことが「もっと生きやすい」世界をつくるためにどれほど大事なことか。そんなことを改めて考えさせられたゼミだった。
次回はいよいよ、初のゲストなし回。ホスト役のヨスさんと、これまでの感想も踏まえつつじっくりと振り返りたいと思う。
【おまけ】最後の授業で配った卒業生への宿題プリント。
http://macchansclassroom.web.fc2.com/skill.pdf
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