#019 授業を受けよう②
拝啓 この連載記事を一度でも読んでくださった方へ
前回「#018 授業を受けよう①」のつづきです。
[1]予習 ⇒[2]受業(学ぶ&実践)⇒[3]復習 ⇒[4]?
[2]受業(学ぶ&実践)/まねぶ・まなぶ・実行する
■まねぶ(真似ぶ)
■まなぶ(学ぶ)
までを前回、お話しさせていただきました。
今回は、そのつづき ■実行する です。
-------------------------------------------------------------------------------------■実行する
-------------------------------------------------------------------------------------小説家や脚本家などをめざす養成講座では、
テキストが配布され、聴講し、多くの課題をこなして、
添削もあって、プロットや短編などを書き上げるなど、
ぎっしり、たっぷり、どっぷり、しっかり学べるはずです。
また、公募・コンテストへのチャレンジを、
カリキュラムに含んだ講座もあるかと思います。
もちろん講座によって内容に差異はありますが、
小説や脚本についての知識・テクニックのほかにも、
作品を書き続けていくための心構えなども教えてくれるはずです。
さて、学んだあと、どうするか?
書く(実践する・実行する)
当たり前のことですが、実践・実行しなければいけません。
書かなければ、作品は生まれませんし、
学んだことを実践・実行しなければ、その学びは定着せず、
記憶から次第に剥がれていきます。
モチベーションも、次第に萎んでいきます。
ですが、みなさん忙しい毎日を過ごしています。
仕事もしなければいけませんし、家事もしなければいけません。
家族のためにすること・したいこともあります。
友人とも遊びたい。恋人といちゃこらしたい。ペットと戯れたい。
映画にも行きたい。読書もしたい。旅行もしたい。
何もせずのんびりしたい。今日くらいはたくさん寝たい。
せねばならぬこと、したいこと、あれもこれもで、いっぱいです。
これらのこと、すべて大事です。生きていくために大事なことです。
では、書く(実践する・実行する)という「タスク」を、
日常生活のどこに差し込んでいけばいいのか?
なにかを犠牲にしないと所詮ムリなのか?
いえいえ、違います。
わたしは、これら庶民としての日常生活と喜怒哀楽は、
創作活動において、もっとも大切なことだと思っています。
庶民の日常生活、そのど真ん中に居続けることこそ、
創作活動にとっての基本だと思っているし、
職業作家になったとしても、庶民と庶民の日常生活を、
決して上から眺めるようになってはいけないと思っています。
庶民としての暮らしを続けながら、
どうやって創作活動(タスク)を追加するかについては、
のちほどちゃんと語りますので、
しばらく「庶民であることの大切さ」について、
お付き合いください。
職業作家さんのなかに「?な方」が大勢いらっしゃいます。
小説家さんのなかにも、脚本家さんのなかにも、映像作家さんのなかにも、「??な方」がいらっしゃいます。
「先生の新刊、面白くないとは言いませんが、なんだかちょっと」
「観ているこっち、さすがに共感できかねます。ごめんなさい」
「君たちはどう? って問われても、…… 逆に◯◯監督、最近どうですか?」
いちおう慎重に言葉を選んではいますが、
わたしが最近「??な方々」に何を感じてしまっているのか?
ぜひとも、お察しください。
商業出版・ビジネスにおいて「いい作品」とは「売れる作品」です。
面白くなくても・つまらなくても「売れた作品」が「いい作品」なのです。
職業作家さんが悪いわけではなく、周囲の大人たち誰も悪くなく、
それが商業出版・ビジネスというものです。
それが健全だとは決して言いませんが、
メディア業界においては「正しい有り様」なのです。
わたしは、こう思っています。
庶民の日常生活、そのど真ん中に居続けることこそ、
創作活動において「???な職業作家さん」との圧倒的な違い、
圧倒的なアドバンテージだと思っています。
ひがみ? ねたみ? やっかみ? どう思われても構いません。
きっと、いや絶対、そうしたネガティブな気持ちはあるでしょう。
しかし、そうした嫉妬心は、
いまはとても小さくなっていて、自分でもほとんど気づかないほどです。
わたしの処女作は「KAKO」という作品で、小6の時に書きました。
クラスの男子が戦国時代にタイムワープしてしまい、
クラスメイトたちで助けに行くという冒険活劇でした。
その当時、小説家をめざそうなんて、コレっぽっちも考えておらず、
純粋に「書きたい」という想いだけで書いた小説です。
この無邪気な子どもの気持ちこそが、
「なぜ書くのか?」の原点かつ正しい答えだと思います。
なにせ無邪気なんですよ。
不純な動機もなければ、野心やプライドもない。
書くからには読んでほしいという欲求はあったと想像できますが、
それはおそらく承認欲求のひとつ手前の「社会的欲求」だと思います。
「ボクとボクの考えていることを知ってほしい」
(なんと、まぁ、健気で、いじらしいガキんちょ)
なので、わたしは、マジでこう思います。
書く(実践する・実行する)とは、想いを伝えること。
プロの作家をめざしてもいいし、めざさなくてもいい。
この[note]で、小説書けるし、エッセイも書ける。
詩も書ける。短歌も俳句も載せられる。
小説に限って言えば、小説投稿サイトもありますし、
出版したくなったら、自費出版だって、
セルフ出版(Kindle出版)だってできます。
この連載記事タイトルは、
「小説家になる方法」「小説家へのなり方」ではなく、
「小説の書き方」です。
プロの作家志望の方のみを対象にした記事ではありません。
もしもわたしが、売れっ子小説家だったら、
「オレ様を見習えば小説家になれる」的な内容で、
サクセスストーリー然とした自慢ばなし記事になっていたと思います。
てか、そもそも、この[note]に記事投稿していないと思います。
はい。話を戻します。
庶民としての暮らしを続けながら、
どうやって創作活動というタスクを追加するか? についてです。
小説を書く(実践する・実行する)ことを、
日常生活のどこに差し込めばいいのか? についてです。
①どうやって創作活動というタスクを追加するか?
みなさん誰もが、忙しい毎日を過ごしています。
学生の方には学業。社会人の方にはお仕事。そのうえ家事もあります。
家族・友人・恋人との時間も、ひとりのんびり過ごす時間も必要です。
しなければならないこと&したいことがありすぎて、
今日も気づけば、もう寝る時間。
その前にお風呂にだって入らなくちゃいけない。
そんな毎日に、創作活動というタスクです。
タスクとは、やるべき仕事です。なので、負担が増えることになります。
じゃあ、どうするか?
タスク(やるべき仕事)にしない。
したいときにやる。書きたくなったら書く。
別に毎日書かなくてもいい。週1でもいい。月1でもいい。
いまのわたしはそう思っています。
習慣化しないと、
せっかく学んで身につけた知識とテクニックを忘れてしまう。
習慣化しないと書けなくなるし、書かなくなる。
わたしは、この記事の前半、このように書きました。
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学んだことを実践・実行しなければ、その学びは定着せず、
記憶から次第に剥がれていきます。
モチベーションも、次第に萎んでいきます。
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もちろん、書くことを習慣化できるひとは、習慣化すればいいのです。
書くことをタスク(やるべき仕事 = 負担)に感じず、
日常生活のなかに取り込むことができるひとは、習慣化すればいい。
しかし習慣化できない方も相当数いらっしゃる訳で、
そうした方々は、書くことをあきらめないといけないのか?
そうではありません。違います。
タスク(やるべき仕事 = 負担)と感じているのに、
無理して日常生活のなかに取り込んで、
純粋に「書きたい」という想いじゃなくなってしまったら、
本末転倒になってしまう。
むしろ、そうした習慣化できない方々にこそ、
わたしは書いていただきたいし、書くべきだと思っているのです。
だって、それが庶民の日常生活、
そのど真ん中にいるということなのだから。
「最近どうですか? おやおや?~な職業作家さん、お忘れですよ?」
「てか、だから、おやおや? なんですよ。分かっておられますか?」
庶民の日常生活は、毎日が忙しいのです。
しなければならないこと&したいことがありすぎます。
そんな毎日のなかで、
落ち込んだり、悔しい思いをしたり、泣いてしまったり、
イライラしたり、笑ったり、はしゃいだり、
たまに感動するモノやコトに出会ったりするのです。
そうした庶民にとって、
書くことを習慣化することなんて至難の業です。
その代わり、
ノンストップで書きたいときは、徹夜してでも書く。
いまのわたし毎日書きたいキャンペーン中は、毎日書き続ける。
何より「タスクにしない」ことが重要で、
純粋に「書きたい」という想いが高まっているときに書く。
わたしが思う「書く(実践する・実行する)」タイミングは、
純粋に「書きたい」という想いが高まっているとき。
多少のブランクがあっても、
モチベーションが萎んだままだったとしても、
「書きたい」想いは、必ずやってくる。
コレ、多くの方に「確かに!」と思っていただけるはずです。
この、必ずやってくる「書きたい」想い、
そのときこそ「書く(実践する・実行する)」タイミングなので、
ぜひそのチャンスを逃さず、執筆に挑んでください。
②とにかく小説1本、実行し終えないといけないのか?
はい。
書き終えなければいけません。
実践・実行し終えなければいけません。
ですが、とにかく小説1本は、ハードル上げすぎです。
つまり「小説を書かないといけない」は、よろしくありません。
「小説! 小説! 小説!」と意気込めば意気込むほど、
ハードルがどんどん高くなっていきます。
なので、ハードルを下げてください。
とにかくハードルの向こう側に行くことが大事なのです。
高くなってしまったハードルを越えられそうもないのなら、
ハードルを潜って、向こう側に行けばいい。
長編小説がしんどかったら、短編小説でいいし、
ショートストーリーでいいのです。
ショートストーリーじゃなくたって、いつかのためのプロットでもいい。
最近のわたしもそうです。
プロットばかり書いています。(だって毎日忙しいですから)
プロットも、ひとつの作品です。
経験と実績がひとつ増えたということです。
プロットであれば、さほど負担じゃありません。
てか、ほとんどタスク(やるべき仕事 = 負担)じゃありません。
とにかく1本、実践・実行し終えること。
プロット作品でもいいから、週1でもいいから、月1でもいいから、
1本また1本と、創りつづけることを実践・実行してください。
そうすれば、でかいアイツがやってきたとき、
タスク(やるべき仕事 = 負担)だと感じることなく、
きょうは、今週は、この連休中は、など、
日常生活を続けていくなかの、ある時間、ある期間を使って、
小説1本、書き切ることができると思います。
※でかいアイツとは、強烈に「書きたい」想いのことです。
<追記>
「よーし、小説を執筆するぞ!」じゃなくて、
「さ、おはなし、書こ」でも全然OKだと思います。
むしろ、そっちの方が、なんだか楽しそうで、
ワクワクしながら書けそうです。
ちな、
わたしはタイムマシンに乗って、
小6の時のボクに会って訊ねたいです。
「ねぇ。きみの作品の[KAKO]ってさ」
「まさか[過去]と[書こ]掛けてるの?」
たぶん小6のボクは、
「いいえ。SF小説なのでローマ字にしただけです」と回答し、
つづけて「ボク、戦国時代をこの目で見たいから」
「そのタイムマシンで連れて行ってください」と頼んでくると思います。
(その歳で取材ですか? なんと、まぁ、ませたガキんちょ)
…… はい。
今回はこれにて、チャン ♪ チャン ♪ おしまいです。
~ てかコレ、まだ読んでません。なにせ毎日忙しいですから。笑 ~
[告知]
とても売れているようなので、
この本を買いました。
GW中に読みます。
~ 5月中に読後の感想を記事にします ~