【映画・音楽評】 リュック・フェラーリ……ほとんど何もない Presque rien
リュック・フェラーリLuc Ferrari(1929〜2005)
フランスの作曲家、映像作家。特に電子音楽で知られる。
映像作家としてのフェラーリ作品が上映される機会は、日本ではほとんどない。研究機関や特別な上映会においてのみである。
リュック・フェラーリ『ほとんど何もない、あるいは生きる欲望』
Presque rien ou le désir de vivre ドイツ(1972・73)
第一部 コース・メジャン Le Causse Méjean
第二部 ラルザック高原 Le Plateau du Larzac
第一部 コース・メジャン
コース・メジャンは第二部のラルザック高原と同じく、フランス中央山塊の南にある僻地である。
地名であるコース(causse)とは、石灰質の不毛の台地のことで、映画にも石灰質の岩が転がっているのが映し出される。
若いカップルである活動家ロルフ、そして写真家エリカが限界集落を取材するためにメジャンにやってくる。この村で耕作・牧畜する人々を取材する中で、農民の様子、そして農場の集団化による自立と共存を目指す「GAEC」のアドバイザーであるミシェル・ガリベールとの会話を元に、彼らなりの答えを見いだそうとメジャン村を歩く。その様子を、フェラーリのカメラは静かに見つめる。
「GAEC」は「Good agricultural and environmental conditions」の略で、EUの農政組織「環境保全農業条件」のことである。
第二部 ラルザック高原
タイトル「ラルザック高原」から、クリスチャン・ルオー『ラルザックの奇蹟』(原題)Tous au Larzac !(2012)を思い出す人がいるかもしれない。
1970年代、フランス中央山塊の南にあるラルザックの広大な農地に、政府が軍事施設を建設することを決定したことに対する農民の闘いを記録した映画である。農民は命をかけて美しい田園を守ろうとし、彼らのデモはフランス国民の注目を集め、いつしかラルザックは、反グローバリゼーションの誕生の地と呼ばれるようになった。『ラルザックの奇蹟』の原題「Tous au Larzac !」は、「皆よ、ラルザックへ」といった意味である。
第二部『ラルザック高原』が1972・73年の作品だから、リュック・フェラーリは『ラルザックの奇蹟』の40年も前にこの地域に注目し、映像におさめたことになる。製作がドイツとなっているのは、フランスのメディアがこの状況に触れようとせず、ドイツのテレビ局の委嘱でフェラーリが撮ったからである。
第二部にも第一部のロルフとエリカのカップルが登場する。ラルザックに入った二人は、第一部同様、村に突きつけられた現実を直視する。本作は彼らの行動と村の人々をフィルムに収めたドキュメンタリーである。だが、フェラーリは闘いの記録としてこの地を撮ろうとしたのではない。住民の営みに入り込むのではなく、ただひたすら「見ること」、「聴くこと」の作業に徹することで、この地域に生きる者たちの生活を映し出そうとしたのだ。
リュック・フェラーリが映像作家でもあることを知ったのは2014年。同志社大学での上映会がきっかけである。それまでは作曲家フェラーリとして知っていたのだが、なるほど、彼の音楽作品を改めて聞き直すと、目の前に展開する映像空間を散歩しているような気がしてくる。
わが家には彼のレコードが1枚ある。ドイツのレーベルWERGOの輸入盤である。学生のときに購入したと記憶している。古くなったレコードの半数近くは中古レコード店に売却したのだが、このレコードは手元に残してある。わたしにとり、捨て難い、味のある作品である。
『等々』―電気ピアノと磁気テープのための―
『ミュージックプロムナード』―オリジナルテープ=モンタージュ―
この2作のうち、とりわけ『ミュージックプロムナード』に衝撃を受けた。それは同時多発的音楽と表現すればいいだろうか。異なる場所にマイクを設置し、そこから送信される音を同時に聞く音楽、音のプロムナードである。マイクを設置した場所は、街頭、戦場、音楽会場、etc……。とすれば、シュトックハウゼンやケージのラジオミュージックを思い浮かべるかもしれないのだが、正確には、音の同時多発的モンタージュである。そして、採取された具体音を、その採取された環境から切り離した音素材としてモンタージュするミュージック・コンクレートとも異なる。具体音を採取された場所から切り離すことなく、環境音……といっても、環境という場の社会的意味を付与されているということではない……を音の素材として使用するという意味で、音の同時多発的モンタージュなのである。そしてモンタージュは、物語の創生をわたしたち鑑賞者に促す。
「物語は、はっきりと筋のあるものではありませんが、筋を暗示しています。音による演劇ということができると思います。音の持つ意味が言葉のそれよりはっきりしていないため、見たり読んだりするよりは漠然としていることは言うまでもありませんが。しかし、これは聴衆のひとりひとりが筋を作り上げていくもので、それは当然作曲家が最初に考えていたものとは違ったものであり得るわけです」(『音楽芸術』1969年12月号インタビュー)
そんな音楽を制作するフェラーリが、映像作品へと移行するのは必然と言える。演劇ではなくモンタージュの映像へと。演劇も映像も、どちらも物語なのだが、フェラーリ特有のモンタージュの実践は映像に馴染みがいい。
彼のドキュメンタリー・フィルムは、『ミュージックプロムナード』同様、その中には「ほとんどなにもない」(presque rien)と言える。これはドキュメンタリーのあるべき姿である。
(追記)
七里圭監督『サロメの娘 アナザサイド in progress』を見た日の映画日記に、わたしは次のように記している。
『サロメの娘 アナザサイド in progress』の音(音楽・具体音・声)のみを取り出すと、それはルチアーノ・ベリオやリュック・フェラーリの電子音楽+声(物語る+声)の作品に近似されるかもしれない。ベリオやフェラーリでなくてもいいのだが、音として自立しているということ。その意味で、この作品は〈音+映像〉ではなく、〈音〉+〈映像〉である。それはソニマージュでありながら、音と映像のせめぎ合い、闘争である。つまり、従前の映画史における映像と音との調和(寄り添い合う)を要請しない。
たとえば、映像の亡霊化を試みること。映像を音から分離するのである。投影機に対峙する矩形(フレーム)に投影するのではなく、矩形から分離した透過性のある紗幕に投影する。紗幕は館内の空気の滞留によりひらひらと揺らぎ、映像は亡霊のように、ファンタズムと化す。そもそも音は実体のない非物質であるのに、映像をフレームに固定することで、あたかも音にも実体があるかのように思うのではないのか。ならば、映像をフレームから分離・解放することで、音の物質化を拒むことができるかもしれない。そのとき、〈映像〉と〈音〉は何ものと化すのだろうか。
七里圭作品とリュック・フェラーリの音楽作品の類縁性を思ったのだ。上映後のアフタートークで、フェラーリの音楽が話題になったことに驚いた。
(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)